第陸幕 祀り〈中〉
ユキが帯を軽くいじって面をつけてくれた。ちょっとしたアクセントになって可愛い気がしてくる。いや、でもいかつかったんだよな……。
「ところで何か用がもしかしてあった?」
「ええ、まあ。せっかくこちらまで来たので跡継ぎたる東雲様に御挨拶をしようかと思ったのですが……いらっしゃいませんね」
「あー……廻はねえ、『こんな大勢に挨拶をする!? 無理無理無理無理。俺はそういうの向いてないから! すまん、後で埋め合わせをするからユキ変わってくれ!』……って言って自分はそそくさと展望台の方に行っちゃった」
「東雲様……」
「まあ、廻には廻の仕事があるし、実際私のが挨拶とかは得意なんだよね。ほら、ユキさんってば、外面だけは最高にキュートだろ?」
キュートだろうか。どっちかというとクールなイメージだが。とはいえそれを面と向かって言うほど親しくないので飲み込んだ。ついでにアシヤも面倒事を避けるべく飲み込んだ。
「さて、いけないいけない。あんまり長話してると怒られちゃうから、私もそろそろ持ち場に戻るよ。それじゃあ、お祭りを楽しんでね、澪ちゃんにアシヤ」
「ありがとうございます、ユキさん」
彼女は小さく手を振ると遠くに向かってかけて行った。ちょうど現れた男性と何かを話し合っている。
「……さて、挨拶も終わったことですし、行きましょうか」
「うん!」
「何からやりますか? せっかくの初めてのお祭りなのです。遠慮せずにお話ください」
「それじゃあ金魚すくい!」
「金魚すくいはダメです。屋台の金魚はだいたい弱っていましすし、きちんとお世話できないならダメです」
「うす……」
*****
たのしんだ。
それはもう精一杯楽しんだ。
初めて食べたたこ焼きは熱くて涙が出てきた。中はトロトロでマヨネーズが美味しかった。何故か鮎の塩焼きが売っていてそれも食べた。内蔵が苦かったが、しょっぱくて、アシヤは嬉しそうに食べていた。クジ屋で謎の水鉄砲を当てて、アシヤが爆笑していた。草履の足を踏んだら黙ったので無事解決である。
ヨーヨーはボヨンボヨンさせたら面白くて、スーパーボールを袋いっぱいにすくった。ベリーカステラを一瞬アシヤに預けておいたら全部無くなっていたので、アシヤの分のかき氷に全部がけ食欲ガタ落ちタイプに変貌させた。すごい顔をしていた。澪はいちごのかき氷を食べた。高いやつ。とても美味しかった。フランクフルトも、唐揚げも、フライドポテトも、全部全部全部楽しんだ。
楽しい。楽しい。楽しい。
そう、澪は楽しかった。
「ねえねえアシヤ! 次はあれ! あれやろうよ! 任せて私絶対二百円で四本おじさんからぶんどって……あれ?」
ジャンケンで本数が決まるチョコバナナ屋を見つけて興奮冷めきらぬ口調でアシヤに語り掛けたつもりだった。だが周りにアシヤの姿が気がついたら見えなくなっていた。
「…………嘘じゃん」
熱中しすぎたのだ。それはそうだ。誰だって初めてお祭りに行けば盛り上がる。ましてやそれが一生行けないと思っていたのなら尚更だろう。澪は全身全霊で楽しみ……そしてその体力に三十代美麗お兄さんもといアシヤはついていけなかったのだった。
「ううう……」
無事ジャンケンに勝った澪は四本のチョコバナナを抱えてため息をついた。アシヤと分け合うつもりだからまだ手をつけてない。きちんと色が違うのを四本持ってきた澪を褒めて欲しい。
「アシヤ……どこいっちゃったんだよお」
どこかに行ったのは澪の方である。
坂の上の神社の近くの石に腰をかける。近くの石ではカップルがイチャついているが澪はひとりだった。遠くから聞こえてくる人の声と祭囃子に、さっきまで熱を持っていた頬や手は完全に冷たくなり、感傷的な気分になる。
「…………あはは」
一人であることに慣れたのはいつからだろうか。
両親との記憶はほとんどない。澪が覚えているのはひとつだけだ。暖かな日が差す玄関でスーツに着替えた二人が仕事に出かけていく姿。あとから聞いてわかったことだが、どうにも両親は澪を家政婦に預けて仕事に行っていたらしい。その家政婦も事故をきっかけに来なくなったそうだ。
そうして突然ひとりになった。
澪はありとあらゆる家をタライ回しにされた。父の家も母の家も、あちこちの家に行った。澪はその先では子どもではなく、何らかの厄介な代物のように扱われていた。
転校ばかりで友達はできず、毎日のように酷いことを言われた。それに慣れきってこんなものかと思って諦めてしまおうとして……今の養父母が澪を引き取ってくれた。
二人もまた仕事に精を出していて共にいる時間はほとんどないが、それでも家族だと断言できるのは二人だけなのだ。
でも、だから。
一人でいるのには慣れていた。平気だった。平気でなければいけなかった。そうあることを望まれたのだから、そうあるべきだと思った。
アシヤと出会うまでは。
自分勝手、自遊人、胡散臭くて不真面目で几帳面。漂う煙のようでありながら、炉端に咲く木蓮のような華やかさを持つアシヤは、ごく当たり前に親しげに接してくれた。
「……だから、かなあ……」
そんなこと言ったらダメなのに。そんなふうに思ったらダメなのに。だって一度そう思ったらもうずっとそうだって分かってしまうから。
「……ひとりが、ちょっとだけ寂しいな」
祭囃子の音も熱気も遠いから、思ったよりもするりとその言葉が口を着いた。寂しい。そうだ、とても、とても寂しい。
閑散として人のいない境内の一角に少女のすすり泣く声が静かに響く。押し殺していた感情は感傷的な気持ち共に溢れ出した。泣いてはいけないとわかっていても、涙が止まることは無い。一人だった頃よりもずっと、今の方が寂しい。
「ぐすっ、ぐず……」
不意に聞こえてきたもうひとつのすすり泣く声に弾かれたように顔を上げる。
「……誰?」
「うっ……お姉ちゃんこそ、だあれ?」
しゃっくりが時折混ざる声で、聞き返された。幼い少年が瞳から落ちる涙をとめどなく拭っている。青い甚平に、頭には天狗のお面を着けていた。
「ええと……私は平坂 澪」
「うぐ……ひっく……ぼく……田所 りゅうれん」
「りゅうれんくんっていうの? 君も迷子?」
「うん……お姉ちゃんも?」
「あははは……」
少年はもじもじとしながら澪の隣に座った。時折、嗚咽のようなものが混ざる。風が吹いて草木が擦れ合い、まるで雑談をするかのようにざわめいた。
「友達ときたのに、別れちゃったの……」
「ありま。確かにここの神社、ちょっと広いもんね……」
「うん……」
歩いた感じかなり広い。こんな広い神社を自分が見逃していたのはなんだか妙な気分だ。街でもほとんど話に上がらないのも、どこか奇妙である。
「よし」
何はともあれだ。
こんな小さな子が泣いているのに放っておくのは良くないだろう。あんまり澪はそういうのが得意では無いが、仕方なし。いっちょ人助けと行こうじゃないか。
「お姉さんがりゅうれんくんのお友達のところまで連れて行ってあげるよ。どこか心当たりはない?」
「心当たり……うっ……あ……みんなと一緒に遊ぶ秘密基地があるから、そこかも」
「秘密基地」
なんて甘露でワクワクとする響きなのだろうか。
思えば確かに小学生の頃、クラスメイトの男の子たちがいつもそんなことを言っていた気がする。
「それってここから近いの?」
「うん。すぐそこだよ」
「いよし! それなら!」
澪は立ち上がり拳をにぎりしめる。なんて言うか、うん。楽しそうでいいんじゃないか?
「私がいっちょ、連れてってあげよう!」
「わーい」
りゅうれんの拍手に澪は満足そうにむふぅ、と息をついたのだった。
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