第陸幕 祀り〈上〉
祭事とは様々な側面がある。例えばそれは神を敬う為のものである。例えばそれは神を畏れる為のものである。例えばそれら神を鎮める為のものである。例えばそれは神と分かち合うためのものである。例えばそれは――神を、もてなすためのものである。
自転車のチェーンがカラカラと音を立てて歯車を回転させる。ある程度の距離を引き摺ってから澪は思い切り後輪を上に持ち上げ、がちゃん、と固定した。ロックを行ってから鍵を抜く。
平坂 澪は今日も今日とてT市胡散臭いで賞ぶっちぎりのオンリーワンである『占い屋 アシヤ』にバイトをしに来ていた。古びて昼間の太陽に照らされた看板は、なんて言うか少し前のパチンコの看板みたいだ。
「……ん?」
ふと、店の前によく知った影があった。
白昼の陽に溶けそうな銀髪と中性的でありながらしゃなりとした端正な顔立ち。薄水色の着流しを纏い、炎天下の中で立っているのは、いつもならクーラーの効いた室内に篭っているはずの店主・アシヤだった。
あまり暑いのが得意では無いのだろう。初夏の日差しにアシヤは顔を僅かに赤くさせて扇子でぱたぱたと顔を仰いでいる。その輪郭を数滴の汗が流れ落ちた。
「……」
誰かを探してるように視線をさ迷わせているアシヤはなんだかレアだ。普段はすました顔で、或いは胡散臭い笑みを浮かべているのに。
なんだか見てはいけないものを見てしまったようだ。とりあえず回れ右でコンビニあたりでアイスでも買うか、と思った矢先に彼と目が合った。
一瞬、目を見開いて、水滴のような瞳が光を反射して煌めいた。だがそれはすぐに、いつもの妖しい笑みによって打ち消されてしまった。
「おはようございます、お嬢さん。これはこれは奇遇ですな」
「あー……うん、そうだね」
なんだかどっちかって言うと今の一連の表情変化の方が見てはいけないものだったかのような感覚を受けた。
「あー、うーん、ところでアシヤ、なにか私にもしかして用があるの……?」
「おや、お嬢さんにしては大変察しが宜しいようで」
「どういう意味なのそれ」
「ふふ、口が滑りましたな。失敬……ところで話は変わりますが。これは依頼では無いので断っていただいても結構なのですが、お嬢さん」
長い長い前フリの後にアシヤは無言で懐から一枚の紙を取り出した。
それは回覧板に挟まっていたもので、町内会が回しているもので、そして街の至る所の掲示板にはられていたもので、初心者が調子に乗って作った刺々しい虹色のワードアートでデコられているもので、そしてそれは。
「…………なつ、まつ、り……?」
「ええ」
ビラに書かれた五文字をぎこちなく読み上げた声を肯定するアシヤは美しい笑みを浮かべていた。満面の、美しい笑みを。
「夏祭りに行ってはみませぬか? お嬢さん」
*****
「お嬢さんは夏祭りに出かけたことがありますかな?」
「逆にあると思う? 私は古今東西のありとあらゆる神社を出禁になった女だよ」
「神社出禁はパワーワードすぎますな……」
事実である。
少なくともこの街にある神社のほとんどからもう二度と来ないでくれと頼まれている。あと都市の方の神社にもいくつか頭を下げられている。
「だから私は夏祭りにはいけないと思う」
「いえいえ、今回は平気だと思いますよ。なにせこの夏祭りは白国神社にて開催されるものですから」
「…………白国神社?」
アシヤの告げた神社の名前は知らない神社だった。
ビラに掲載されている地図はどうやら澪の家の反対側。山間の方だ。確かに山の方には澪が行ったことのない神社がひとつある。澪の家は隣町に近い、市内ではどっちかと言うと海側の地区にある。
「ええ。ご存知ないのも無理はありません。白国神社は少々特殊ですからね。ですが毎年夏祭りはやっていたかと」
「ううん……小学校に上がる頃にはもう無関係のイベントと化していたからなあ。お母さんにも連れていってもらったこともないんじゃない?」
「ほう……そんな昔から……」
何かをブツブツと呟きながら計算しているアシヤを見上げた。にこり、と美しい笑みを返される。どうやら知られたくない事柄だったようだ。
「さて、しかしお嬢さんが夏祭りに行きたくないというのであれば仕方がありません。今日も事務所でダラダラと過ごしましょう。どう致しますかな?」
「あー……うーん……アシヤ」
「なんですか?」
「……本当に平気?」
不安な気持ちと好奇心の板挟みになった言葉にアシヤは小さく頷く。夏祭りに行ったことない澪が神社出禁の憂き目を気にしているのはアシヤとて分かっているのだ。故に、安心させるように頷く。
「勿論。では参りましょうか」
「うーん……うん。行ってみたいかも」
「決まりですな。では――せっかくですし正装に着替えて頂きましょう」
*****
黄昏時。
少し前であれば既に日が落ちていても良さそうな時間だったが、既に夏に差し掛かっているのだろうか。当たりは少し暗くなっているものの、まだどこか明るかった。ちょうど、夕方と夜の境くらいの時間だ。
祭囃子の音と昼間と見紛うほどに明るい提灯や電灯の光に澪は視線をさまよわせる。
「お嬢さん、あまり遠くに行かないでくださいね。人混みに紛れてしまうとこちらも見つけられるか分かりませんから」
「あ、うん!」
アシヤの羽織の袖を掴むとアシヤはそっと周囲から守るように手を伸ばしてくれた。確かに人が多い。ちょっとした繁華街か夕方のスーパーくらい混んでる。
「ところで私達今何してるの?」
「おや、せっかく白国神社に来たのです。親しい方々だとしても御挨拶を忘れてはいけないでしょう」
「?? 親しい方々…………?」
「あれ? 珍しい顔じゃないか」
聞こえてきたのはそんな声だった。人混みをかき分けて現れたのは一人の少女だった。ひとつに束ねた長い黒髪と赤い袴が目に映える。
「ユキさん?」
「やあ、澪ちゃんにアシヤ。久方ぶりだね」
向こうから走ってきた獄幻 ユキはひらひらと手を許した。彼女の着物には『祭事関係者』の腕章がついている。彼女は人混みを分けてこちらにたどり着くと膝に手を当てて呼吸を整える。
「はぁ、はぁ、ふ……人、多くねえか……」
「お疲れ様です、ユキさん」
「ん、ありがとう……ところで澪ちゃん。よく似合ってるね」
ユキの言葉に顔に熱が集まるのを感じた。
そう、今日の澪はアシヤのいう『正装』をしていた。いつもであれば学校の制服を着ているのだが、せっかくの祭体験ということでアシヤがわざわざ浴衣を調達してきてくれたのだ。彼の式神たちがあわあわとしながら着付けてくれた。
薄紅色の浴衣には桃の花や組紐、蹴鞠があしらわれている。
「そ、そうですかね……」
「ああ、よく似合ってるよ。アシヤが選んだのか?」
「ええ。こういうのを選ぶのは得意なので」
「……そうみたいだね。よし、ならこれを持ってくといいよ」
渡されたのは狐のようなお面だった。目が穴が空いているところも含めると六つもあってやや不気味だ。
「いや、狐じゃなくて狼だよ。これはね、白国神社に祀られている
「……聞かない神様の名前だったんだけど」
「まあ、この辺りに狼信仰は無いからね。白国神社は特別なんだ……とにかく、このお面、腰につけてあげるからなくさないようにするんだよ。あと、何があってもお祭りの間、最後の花火が上がるまでは境内から出ちゃダメだからね。誘われてもダメだよ?」
「はーい」
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