第参幕 高速道路の都市伝説《下》

 アシヤの目はミラーに豆粒ほどに映ったそれが何かを視認したようだった。そして確認するよりも前にアクセルを踏んだ。

「ちょっ……!!?」

「舌を噛まぬように気を付けてくださいませ、お嬢さん。このまま突っ走ります」

 は? と聞き返す余韻すらなかった。全速力で踏まれたアクセルはすぐに車を限界速度まであげていく。

「ご安心召されよ! 小生これでもゴールド免許なれば。ペーパーでもございませんし海外でもするりと免許を持っております。かつては国内Bライセンスを取っていたり、峠を攻めたりなども」

「それとそれ、多分両立しないからね!!? あと国内Bライセンスってなに!?」

「護符を切ります。これでスピード違反が誤魔化されるようになります故」

 用意周到すぎるしいい子は真似しちゃダメシリーズ過ぎる。大人しく体を丸くしておく。


「……で、何があったからこんなことしてるの?」

「ふむ、お嬢さんは高速道路で会える怪異についてご存じですかな」

「えー……」

 景色が慌ただしく変化していく。アシヤは今までに類を見ないほどテンションが上がってるようでニコニコと笑っている。

 分からないが高速道路で会える怪異なんてあまりにも俗っぽすぎて想像がつかない。

「ふふふ、正解はターボばばあでございます」

「ターボばばあ」

「はい。人気ひとけの……いえ、この場合車気のない高速道路を走っていると突然後ろから推測時速一四〇キロで追いかけてくる老婆のことを指します」

「身体能力が怪異譚じゃん」

「それまではただ追いかけてきて並走するだけだったのですが」

「既に並走の地点で怖いんだけど」

「ある時から追い越された車の運転手が死ぬようになりまして」

「いらないよ!! もう既に怖いからガチ怪異要素はいらない!!」

 半ば悲鳴のように叫んだ。車の針はもう既に振りきれてる。何故それなのにきちんと運転できるのか。もしかして疑うべきはアシヤの方なのか?

「いやー、以前から遭ってみたかったのですよ。ターボばばあ」

「ターボばばあの方は遭いたくなかったと思うけどね」

「ですので今日はターボばばあとカーチェイスをしようと思います!」

「カーチェイスでもなんでもないんだが!!?」

 どちらかと言えば一方的カーチェイスである。相手人だし。


 とは言え妖怪大好きっ子三十代(推定)アシヤくんがそんなことで怯むわけもなく。とんでもドラテクを見せつけられることになった。


 まあ、うまかったのだ。

 ちょっとビュンビュンして体の方が恐怖体験についていけなかったけど。

 だが問題はそこではなかった。つまりだ。

「……アシヤ」

「はい」

「ターボばばあ、なんか追い付いてきてね?」

 サイドミラーに見えるのは先程よりもはっきりとしたターボおばあさんの姿だった。勿論薄めに見ればどんなおばあさんなのかしっかりと確認できる。

「そうでございますね」

「時速一四〇キロでは走ってるんじゃなかったの!?」

「一説によれば時速一六〇キロと言うのもありますが……どうやらこれはそのような類いではないでしょうな」

「ええとつまり?」

「あれは対象より必ず速く走ると言う怪異でしょうな。ですから決して振りきれない」

 仮に二〇〇キロの車がいたら二〇〇キロ以上で追いかけてくると言うことだ。必ず奴は並走する。

「……では」

「アシヤ?」

「仮に小生達がUターンをして追いかけたとしたらどうなるのでしょうかねえ」

「……へ?」


 なにか悲鳴をあげたり抗ったりするよりも前に車が鮮やかに回転した。ドリフトした。車は進行方向を真逆に帰る。その頭の行く先にはターボばばあがいる。

「ちょいちょいちょいちょい……!!」

「では追いかけっこ再開といたしましょうねえ……ッ!」

 獣が獲物をいたぶるときのような笑みを浮かべて再びアクセルが全開になる。開かれたアクセルは名前の通り加速をする。限界まで。

 恐らく車体の先にいるターボおばあさんも気が付いたのだろう。


 最早シートベルトと言うなの頼りないひもにすがるだけの生き物となった澪はその異変に気が付いた。

「ね、ねえ」

「存じております」

「いや存じておりますじゃなくて……ターボばばあ逃げてるんだけど……!!?」

 逃げていた。

 逃げ出していた。

「そりゃまあ、はい。テレポーテーション能力封じておりますし」

「アシヤ、もしかして遊んでる!!? 怪異の命を弄んでる!?」

「ふふふ、妖怪に人権があるとでも?」

「お巡りさーーん!! この人です!!」

 アシヤはそのままターボおばあさんに激突した。衝突事故だ。怪異相手じゃなければ確実に訴訟で有罪で刑務所にぶちこまれている。

「……つまりませんね、この程度ですか」

「…………私は怖かったです」

 今度は丁寧にUターンしながら法廷速度に乗っ取って走り始める。引かれたターボおばあさんはその場で放置することになったらしい。遊ぶだけ遊んで死体はその場に捨てていくと言うわけだ。


 ターボおばあさんも裸足で逃げ出すアシヤのドラテクに心底からドン引きだ。だが鬱憤は晴らせたようで鼻唄を歌いながら穏やかにドライブが進んでいく。

「まあ、思ったより面白くありませんでした」

「あんなに盛り上がってたのに……?」

「まあ、どんな怪異が現れようとも落ち着いて安全運転が一番大切ですね」

 とばしたお前がそう言うのか。

 轢き逃げしてるお前が言うのか。

「……良心は痛まないの?」

「良心? はてはて、なんのことやら」

 痛まないらしい。


「まあ、こんなものでしょうね。最近できた若い怪異は」

「…………そっか」

「実は期待しておりました」

 ターボばばあには実はいくつかの変異種がいる。ホッピングばあさんやら棺桶ばあさんやら様々な、だ。さらにはおばあさんではなくサラリーマンやらなんやらの亜種もいると聞く。


 そのどれも、今回のおばあさんの援護に来なかった。

 非常に残念だ。来たら一人ずつぼこぼこに轢き逃げしようと思ったのに、とおおよそ倫理から全うに踏み外した思考でアシヤは溜め息をつくのだった。

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