第参幕 高速道路の都市伝説《上》

 世の中の全てはコインの裏と表でできている。表があれば裏があり――裏があれば当然、表がある。それは自然の摂理にして世の理だ。何者も犯すことのできない神聖な契りだ。

 ……と、曖昧に話をしたが別に大したことはない。

 今日も今日とて澪は『占い屋アシヤ』にアルバイトとして足を運ぶのだった。


「ってあり?」

 山本を迎えた時のように占い屋が外行き仕様になっていた。がらがら扉を横にひいて顔を出すと奥のソファにアシヤが座っていた。

「おや、お嬢さん」

「ん、客人かアシヤ。なら私はそろそろ」

「ああいえ、むしろ好都合にございますれば」

「と言うことは彼女が話に登った新しい従業員か」

 立ち上がった人物はすらりとしたスーツに身を纏った女性だ。彼女の瞳が好戦的に光ってるように見える。


「始めまして。私は獄幻 ユキと言う。雇用契約書を持ってきたので説明を聞きながら記入してもらえると助かる」

「……こよーけいやくしょ?」

「ああ。貴女がここで客でありながら時間を奪われるくらいならば茶汲みもしていると聞いたし、きちんと雇えと言ったんだ。あ、安心してほしい。表向きにはきちんとした仕事についていることになるから」

「ええと……」

 戸惑っているとひょこりとアシヤが顔を出した。肩を掴んでいるアシヤを怪訝そうにユキと名乗った女性は見上げる。

「ああ、彼女はアゲハと言う政府の機関に所属する……言うなれば裏と表のバランサーでございます」

「お前達の尻拭いだけをしながら生き続けるつもりは無い。バランスを取っているつもりもない。勝手に都合のいいように解釈するな」

 彼女はアシヤの手を冷たく払った。


「とにかくだ。とにかく、私は不法労働を許せないだけです。と言うわけで雇用契約書を準備してきた」

「勤勉ですね」

「冗談だろ。お前達が私を勤勉にさせているんだ。全く。できれば老後はゆっくり寝て過ごしたいものだ。特に研究に手を染めるのはいい。この世の真理の全てを解剖してみたいものだ」

 椅子に座り空を見る彼女はふう、と息を吐いた。たばこの煙を吐くようなその仕草は色気がある。

「そんなことをしてみれば、あちこちがあちこちで大爆発を起こしますよ。そもそも何故女王自ら動いているのですか?」

「……人が多いのはいいねえ。耳や目、腕や剣はいくつあっても足らないものだ」

 ゾクリ、と背筋が跳ねた。


 どこにいても、なにがあっても、その声は彼女に届く。全ての事柄は彼女の掌の上で踊っているだけなのではないだろうか。そんな気にすらさせる。

「……で、サインできた?」

「あ、はい!」

「うん。騙すつもりはないから安心してね。ほいほいほい……うん。あとはこっちでうまくやっとくよ。 あと、お給料はちゃんと振り込んでもらうんだよ? アシヤ、こう見えても金持ってるから」

 彼女はヒールを鳴らして店の外に出た。アシヤが幻術を解こうとした瞬間、また部屋の扉が開く。

「……忘れてた。そう言えば私、今日は客だった」

「…………なんと?」

「客だ。お茶を出せ」

 強盗の方がましと言うようなセリフで舞い戻った彼女はどかりと店主より堂々と椅子に腰かけたのだった。


「して、なんの用ですかな? お客様」

「お偉いさんからの依頼だ。家に入ると戻ってこれなくなると噂の民家がある。実際周辺で失踪事件が多発している。住人は半年前に退去しその家を売りに出したそうだ。お前にはその調査に向かってほしい。お前ならヤバければ即時離脱ができるだろう」

 アシヤがあからさまに嫌そうに顔を歪めた。今日は中国風の服を身に纏い、髪を頭の上で結わえている。和服じゃないのは始めてだ。

「して、なにをお望みで?」

「原因の解明だ。何故人が消えたのか、だ。原因さえわかれば解決は無理強いしない。最悪消すからな」

「なるほど……しかし何故小生に?」

「安倍家の陰陽師が見当たらない。上としても貴方を頼るのは業腹だが被害が拡大するのだけは防ぎたいと言う訳だ」

 政治の話だ……完全に政治の話をしてる……。

 澪は黙ってお茶を飲んで手土産として持ってこられたラング・ド・シャにかじりついた。高い品だったようだ。たいへんおいしい。

「と言うわけで頼んだ。これが資料だ」

「対価は」

「口座に振り込んでおいた」

「……承りました。断ると言っても無駄でしょうからね」

「ああ。ものわかりのいい子は大変好きだ。これからも我が社と良好な関係を保っていてほしいものだね、アシヤ」

 彼女は、今度こそ去っていった。

 アシヤは眉を寄せたまま動かない。扇子で隠した口元がどうなっているのかは分からないが、多分――。


「お嬢さん」

「ん?」

「塩を撒きなさい」

 …………唇を噛んでいたに違いない。


***


「と言うわけで向かいましょうか」

 アパートを出てすぐに立っていたのはスポーツカーが有名なメーカーの車と、羽織姿のアシヤだった。なんと言うミスマッチ。

「向かうって……私これから夕飯の買い物に行くとこなんだけど?」

「よいではありませぬか。今から支度をなさい。こういうのはさっさといって、さっさとやって、さっさと帰ってくるのが一番です。さ、行きますぞ」


 アシヤにそう唆されて車にのせられる。良く見たら普段と違って今日は着流しの下にズボンを履いているようだ。

「なんで着流しに頑なに拘るの?」

「こちらは一応正装ですからね。洋装を着ていると忘れがちですが。本来ならば身を清めて行いたい位です。ええ。ですのでせめて着流しは、と」

「ふーん。どれくらいで着くの?」

「夜通し走るつもりでございますれば……日が明ける頃には着くかと。途中でパーキングエリアに寄って美味しいと噂のメロンパンを買うつもりです」

「じゃあパーキングエリアについたら起こして」

「ええ、分かりましたとも」

 車の鈍いエンジンの音と柔らかな振動に、澪は体の全てをシートに預けて沈んだ。窓の外に流れる景色を見ながら、瞼を閉じたのだった。


 アシヤの運転はそれはそれは快適だった。

 夢を見ないくらい澪の意識は深く眠りに落ちていて、起こされた時に自分が寝ていたかどうかが分からなくなった程だ。空が夕焼けから完全に沈んでいなければ本当に分からなかった。

「アシヤ……ごめんね」

「はて、なんのことにございましょうか」

 肉巻きおにぎりの串をもぐもぐと食べながらアシヤが首を傾げる。車内にはパーキングエリアのコンビニに置いてあった無数の食事が積み込まれていた。

「買わせちゃってほんとごめん」

「?? 小生も食べたいと思っておりました故に、ご安心を。それよりも今気がつきましたが貴女を連れてきたことに謝罪をすべきかもしれませぬ」

「なんで?」

「妙齢の女性が小生のような男性と同じ車に乗り込むのには抵抗があるのでは?」

 言われてみればそう言うこともあるかもしれない。

 まあ、と言っても普段からあの胡散臭くて薄暗いテナントの中で二人っきりだし、先の祟り事件の時もアシヤと一緒に車に乗った。

 信頼していると言えばしている、と思ってほしいところではある。

「ま、あんまり気にしてないよ。アシヤは私の困ってることに手を貸してくれてるだけだし」

「そうでございましたか。ならば、ええ、よろしいかと。小生はお嬢さんの気持ちが大切ですから」

 外のオレンジ色の光がアシヤの透き通った清水の瞳のなかで反射する。自慢げに持ち上がった口角と、繊細な輪郭が、浮かび上がる。


 彼は、楽しそうに肉まんを食べていた。

「おや、なにを食べてるのですかな」

「押し寿司。この辺の名物じゃないのにね」

「んふふ、よいではありませぬか。こういう雑多な雰囲気と言うものは整えられた空気よりも感じるのが難しいものです。ひとつよろしいですか?」

「うん」

 さっき開けたチョコレートの袋を漁りつつ箱ごとアシヤに手渡した。彼は楽しそうに押し寿司を口に運びながら笑った。


 しばらくして、完全に夜の回った頃に車は再び動き始めた。小腹を満たし、仮眠を取ってからの出発は思ったよりも眠気がない。

「食べてすぐは眠くなるものですからな。事故を減らすためにもこうした方がよろしい」

「確かにね。アシヤも寝る前より元気そう」

「ええ。夜は元気になれるものです」

 しばらくはなにもなかった。なにもなかった、と思う。パーキングエリアが遠くなって、道自体が山に入った頃だった。

「なにか、おりますな」

「え?」

 アシヤがバックミラーを確認しながら、不意にそう言った。

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