第弐幕 触らぬ神に祟りなし《下》

「触らぬ神に祟りなし、と申しますでしょう?」

「さ、さわらぬって」

「字で書きますとではないのです。害の有無ではありません。ただこと自体がタブーなのです。貴方は聞いたことがございますか? 信じていないが故に他の神が害をなすと」

「な、なにを、何をあんたはいってんだ!!!」

 山本の怒声にアシヤは涼しい顔をしている。

「信奉していることと信じていることは違うのです。崇拝と信じていることとは違うのです。その存在があるかもしれないと考えることが信じることです。洗礼の有無やお参りなどとは全く関係ない。バカにしていようとも、あるはずがないと言おうとも、そのように考えている地点で信じているのとおなじなのです」

 信じていないものの前に化け物も悪魔も神も現れない。

「だ、だからなんだっていう! 綺麗にしたら、したなら、なにもしないで」

「貴方は自然の善悪を測ることができますか? 或いは虫の善悪を測ることができますか?」

 山本の顔がひきつる。黒い闇が伸びてくる。


 自然が山を沈め、人を殺したところで、そこに善悪を問えるのか。虫が獲物を殺すことに善悪が備わっているのか。よいだとかわるいだとか。

「信じれば救われるなど人の見る夢にございますれば。そもそも信奉する地点で邪となる神もおります」

「…………あんた」

「あの祠は実に合理的にございました」

 神は信仰されることで、信じられることで存在を得ることができる。あの祠にはまだ新しい饅頭が供えられていた。

「そもそも先の祠は実に美しい術が施されていました。小生と同等のレベルの実に美しい術にございますれば。あのような堕ちたる神の力を封じることも可能でございましょうに」

「ふ、古い祠?! し、し、ししし、しってて!」

「いいえ、見せていただいたのです。何より術の残骸があの小道には満ちておりましたから。そこからどのような術であったのか推察するのは小生からしてみれば赤子の手を捻るようなもの」

 祠には力を無理矢理押さえつける術式が施されていた。無論それでは長くは持たないだろう。だから恐らく術者は告げたに違いない。


「『何者にもこの神を知らせてはならない』」


 語り継ぐことはおろか、祠がどのような由縁で経ったか、対処法すらも語り継げなかったのだ。そうして力を封じているあいだに信仰が衰えるのを――神なる力が風化するのを待つことにした。

「老化で祠が壊れたのも、貴方達が見つけたのも偶然ではありますまい。しかし祖先が期待していたのは形だけの信仰ではなく、むしろ真逆。信仰が蔑ろにされるような時代を求めていたのでしょう」

「な、ならば……我々はどうしろと」

「さあ。最後の一人になるまで死ねばよろしいのでは?」

 護符に忍び寄る影が触れ、影は霧散する。つまりそれは神を御すのにアシヤは十分だと言うことだろう。


 だが彼は手をさしのべたりはしない。

「自業自得の自滅劇にございますれば。小生が手を下すのも、貸すのもまた道理に反します」

「そ、そんなことが許されると思っているのか!! 目の前で誰かが死にそうなのに、お、お前は、見殺しにするって言うのか!! この外道が!!」

 山本の言葉にアシヤは表情を消した。愛想笑いを止めてただ、見下ろす。

「――面白くありませんね」

「…………は?」

「見殺しに致しますとも。ええ。小生はなにか余計なことはしなかったかと尋ねました。それに嘘偽りを返したのはそちらなれば小生が責められる筋合いもありますまい。何より御身はこれより自害して果てられる身なれば。やはりこれも小生が責められる筋合いはありませぬな。ならばはてさて、如何をもって外道などと責められねばならぬのでしょうか。御身が何かに殺されるのならばとにかく、自害となれば小生が邪魔をしたところで……ああ、それに」

 澪の頭をそっと撫でると彼はその末路を口にした。


「下手に手をだし恐ろしい神に愛でられて死ぬも生きるもない無間地獄に堕ちるなど、勘弁願いたいものですな」


 山本の顔がただ恐怖でひきつった笑みを浮かべていた。その事実を指摘されたらもう、理解せずにはいられない。分かっていた。彼はもう、分かっていた。


 神はそこに在るだけだ。


 むしろ何かを授けそうな、そんな予感すらある。けれども今後一生これがついて回ると思うと、これが傍に在ると思うと耐えがたい。死がまるで、甘い蜜のようにすらも感じる。


「では、小生はこれにて。お代はこたびはとりませぬ。どうぞゆるりと余生を過ごされれば幸いにございますれば」

 廊下が軋み、アシヤが摺り足で遠くに去っていく。ずっと黙って同情するような目で見ていたあの陰陽師の客と言う少女が、まだ自分を見ていた。


「……アシヤの意地悪」

「はて。貴女まで私を責めるので?」

 だっこされたまま澪は頬を膨らませた。まずだっこされてるのがだいぶ屈辱だが、たぶん仕方がないのだとは思った。だって自分はあれが――あの神が、何故公民館に現れたのか――その理由を知っている。

「アシヤの力ならあの祠と同じ芸当ができるって言ったでしょ」

「ん……? ああ、はい、そうですね。ですが無意味だと見ました」


 例えばここで渾身の術で封じたとして、十年二十年は持つだろう。もしかしたら百年いけるかもしれない。だが誰もあの祠を再建してはならないとは伝えられないのだ。

 最も、命を掛けて伝えたものもいるが。

 仮にそれを知ってしまったとして、神はその知りうるものをそのままにしておくだろうか。まあ、否だろう。まずない。そんなのは都合のいい夢だ。

「……と、まあ、後はあの祠を再度ぶっ壊しておけば一応依頼は完了ですかね」

「壊すんだ」

「ええ。壊さないとどうにもなりませんし。また再建されて厄介なことになられても、ねえ。私のほうが困ります。と言うわけで雨でも降らせましょうか」

 それ、と護符を破くとすぐに空が曇り始めた。

 アシヤが笑顔で雨乞いのようなものです、と伝えた。そんなインスタントな雨乞いがあるか。だがすぐに遠くで大きな音がして祠が壊れたことを伝える。

「お前達。あの石を全てバラバラの遠くの方に飛ばしてらっしゃい。祠があったことなど、思い出せぬようにね。そのあとは自害しなさい。それをもって人身御供とすればよろしい」

 式神らしき童子達は頷くと走っていった。


 触らぬ神に祟りなし。

 障らぬ神に祟りなし。


 関わらなければ神の視線も関心もこちらに向くことはない。いい意味でも悪い意味でもだ。

「ま、今年は豊作でしょうな」

「……なんで?」

「あれは土地神です。堕ちたとはいえまだ生きておりますれば。ええ。五人も吸ったのです。豊作でなくば困ったものです」

 澪が首をかしげる。五人、と言うところに疑問を持っているのだろう。

「山本様のお父上はあの神のために死んだわけではございませぬからな」

「と、言うと?」

「……自らの身を捧げ物に、神の怒りを解くために恐らく食事もとらずにお経を唱えたのでしょう。その末の餓死です」

 まあ、問題は神が怒ってた訳ではないと言うことだ。怒ってなかったから六人目の被害者の魂は神のものにはならなかった。彼は苦しみの末に自害したのではない。怒りを沈めるための人柱だ。無意味だったけど。

「ふふ、さあさあ帰りましょう。この様なところに長居しては貴女の体に障るかも知れませぬからね」

「ちょっ……ちょ、て言うか、なんで抱っこしたままなのーーーー!!?」


 

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