第弐幕 触らぬ神に祟りなし《上》
平坂 澪は自分のことをぶっちぎりで不幸だと思う。
少なくとも、このイカれた『占い屋』なんて正気を疑うような店でアルバイトしなければならないと言うのは不幸そのものだろう。
店主であるアシヤ――下の名前はしらない――は黙っていれば中性的な雰囲気を持つ美青年だ。日本人離れした容姿は一目を引く上に儚い雰囲気すら持ち合わせている。
常に薄水色(そう言うとアシヤは大抵ムッとした顔をするが)の着流しを纏っている。あと、笑うと胡散臭くなる。
が、一度話し始めるとどうにも胡散臭さがばかになら無いのだ。まあ、腕がたつことだけが現状唯一の救いだけれども。
「て言うか、あの日はなんであんなとこで占い屋開いてたんですか」
「気まぐれです。あと、占いでそこに行くと面白いと出たので気まぐれに」
結局気まぐれじゃないか。店のソファでパラパラと雑誌を捲るアシヤは面白くなさそうな顔をしている。
この男、昨日も一昨日も『興味がないですね』の一言で客を放り出した。
「……お嬢さん。なにかを勘違いしているようですが、昨日の客は自然現象に悩まされていただけに過ぎません。私が手を差し出すような者ではないですし」
「なんで分かるんですか?」
「そんなものいないからですねえ。あの客、屋根裏部屋からすすり泣く声が聞こえたと言っていましたが恐らくは屋根裏の配管が壊れただけですよ。もし仮にいたとしても私が出るほどではありません」
そんなものいないって……。
先日土蜘蛛を相手に妖怪大戦をしたのを忘れたのか、或いはアシヤがここ一週間で記憶喪失になってるか、どちらかだ。
「いないってどう言うことですか」
「いないものはおりませぬ故。いるものはいますが、いないものはいない。そもそも自然現象なのに陰陽師を雇うのはお門違いです。自然現象には自然現象の専門家を連れてくればよろしい」
アシヤはぴしゃりと言った。
一理あるようでないような言葉に、首をかしげる。
「何より合縁奇縁と言う言葉にもあります通り、縁と言うものが全てにはありますからねえ」
「じゃああのお客さんは招かれたの?」
「いいえ」
「呼ばれたの?」
「まさか」
「じゃあ」
「お嬢さん。あれはただあちらとこちらの境を踏み外して、ただみたから寄っただけの客にございますれば。ええ。例えば善意などで手を貸してしまえばですよ、怪異があれはこちら側なのだと誤認をして群がることも少なくはありますまい」
「…………そんなことってあるの?」
「無いと言えますか?」
ない、とは言えない、言いきれないだろう。
先の言葉を借りるのならば専門家のアシヤが言っているわけだ。嘘ではないに違いない。
そこでふと、疑問が生じた。
「じゃあ私は?」
「お嬢さんの場合はその体に流れる血のせいでこちら側だと誤解されてます」
「むぅ……って言うか、そのお嬢さんってなんなの」
「ええ? はてさて、一応、お嬢さんの体質改善に助力しようと私なりにお客様として扱っておるだけですよ。ただ、お客様と呼ぶとほらこれからいらっしゃいます方々にややこしいですから」
今度は袖で口許を隠して笑っている。雅な仕草だけど嫌味な仕草だ。
「お嬢さんって子供扱いじゃない!」
「小生からみれば子供です。それとも、他の呼び名を御所望ですかな?」
顎を掴まれて検分される。その顔はまるで意地の悪い狐のような顔だ。耳元で唇が開く。
「例えば、御主人様とか」
ゾクリと背筋が震えた。離れようとするがアシヤの手があまりに強くこちらを掴んでいる。
「レディ? マスター、ロード、主君……ああ、主、殿……我が姫、なんていうのもどうでございましょうか。私のこともアシヤではなく、従僕、しもべ、道具などと嘲ってみますか? そう言うプレイがお好みであれば、小生はいつでもお付き合い致しまするが」
アシヤが笑っている。
とてもでないが意地の悪い笑みすぎて直視ができない。
「…………お、お嬢さんで……結構です」
「宜しい。貴女はいつまでも可愛い
解放された。背伸びをしていた訳ではないしむしろアシヤが気を利かせてくれたのか顔を寄せていたけれども。でもあの至近距離はない。ないよ。
(……と言うか、私よりもアシヤのが恥ずかしいこと言ってない?)
「それよりもどうやらお客のようですよ」
アシヤが指した入り口には、一人の老人が立っていた。
農家の人なのか作務衣を着て、ゴム手袋と長靴を履いている。この辺はそこそこ都市開発も進んでいるので澪も田んぼはみたことがないが。
「あんの、陰陽師屋っつーのはここであっとりますか?」
「ええ、ええ! あっておりますともお客様。ささ、どうぞ奥へ」
「奥っつうが、そんな奥はないべよ。どうみても古くて廃れたビルさね」
「ふむ、これは失礼。確かにお客様を迎えるようなものではございませんでしたな」
アシヤはピッ、と流れるように護符を切った。
瞬間、室内は落ち着いていながらどこかそれっぽい雰囲気を持つインテリアへと変化する。
「え?」
「壱。お客様を奥へ」
「はい、かしこまりました」
店の奥から出てきたのは平安時代の貴族の子供が着ているような服を纏った少年だった。顔は隠されていて見えないが、まるで雛人形が大きくなって動いているようにも見える。
「お嬢さんはお茶の用意を」
「……このテナント、キッチン無いでしょ」
「今はあります。そちらです」
怪訝に思いながら言われるがままに暖簾をくぐる。
「……は?」
思わず、目を見張った。
そこにあったのはほどよく寂れてくたびれたキッチンだった。見覚えのある棚やコンロ。当たり前だ。そこは今、澪が一人で暮らしているマンションのキッチンだったのだから。
「あ、アシ」
「しーーっ! お客様にばれたらどうするのですか。とりあえず己の役目を全うなさい」
説明はあとです、と言われた。腹が立つが仕方なくあるべき場所からあるべきものを取り出して茶を沸かしていく。
戻ると客だと言う農家の男性とアシヤが楽しそうに話していた。
「いや、すんごいんだね。じいさんばっさんから話さ聞いた時は嘘かと思ったが、こりゃ本物だ」
「ええ、ええ、そうでしょうとも。一応本物のお客様以外にお越しいただいては困ります故、先の姿は世を忍ぶ為の姿でありますれば」
「……実のところは?」
小声で尋ねるとアシヤは片眉を上げた。茶を置きながらなんてことの無いと言う顔でだ。お客さんは聞こえてないのか茶菓子を口のなかに頬張っている。
「こちらが世を……と言うか、客を忍ぶ姿ですね」
詐欺師だ。アウトな詐欺すぎて不安になる。
「何を申します。術を使える陰陽師を詐欺師とは言いませぬ」
それはそうだけどお前のこれは詐欺だよ、と澪は思ったのだった。
さまざまな方言が混ざったような言葉で話す農家の客は名を山本と言った。
苗字で止めたのは他ならぬアシヤが『名は体を示します故、困り事がありますならば最後まで申さぬ方が良いでしょう』と止めたからだ。
澪の時に止めなかった理由についてあとで問いたださねばならなくなった。
「実は、困ってるんです」
「おや、どのようなことで?」
「そのぅ、あまり言いにくい事なのですが……」
山本は言い淀んだ。唇が言葉を紡ごうとしては止める、と言うのを繰り返している。唇を何度か噛んで、ようやく覚悟したように山本は言った。
「人が死ぬのです」
山本は言葉を続ける。
繰り返すように、重ねるように。
「ひ、人が死ぬのです。よく、よく、死ぬのです。もう近所では次に死ぬのはわしだと、わ、わしだと、よくよく話になるのです」
「ふむ」
「怖くて、怖くて、村のじじとばばがどうにもなら無いならもう藁にも鬼にもなんでもかんでもすがるしかないと……そこでここまで、来たのです」
要するに近所で沢山人が死ぬと言うことか、と身も蓋もない締めをする。
「限界集落ってこと?」
「ふふふ、面白いことを言いますね。ですがこの感じ、そうではないのでしょうねえ。何せこのアシヤの元まで声が届いたのですから」
扇子が広げられた。それで彼は自らを仰ぐ
静寂が部屋を満たした。五分だったような、三分だったような、大体それくらいの静けさが部屋を満たしていた。
「――分かりました」
アシヤは一言そう告げた。
「向かいましょう」
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