ヨモツ少女の怪奇譚

ぱんのみみ

第壱幕 魑魅魍魎奇々怪々

 人生のはスパイスだ。付き物だ、かもしれないけれど。時に世の中に溢れるが刺激となり人生をより豊かなものにしてくれることがある。

 余人には預かり知れぬ不思議は特異な経験と非日常を与えてくれる。そしてそれは日常をより鮮やかに見せるスパイスとなるのだ。


 ただスパイスが多すぎればどんな食べ物も嫌気をさすだろう。

 平坂 澪は、全くもってその通り辟易していた。そんな自分の人生に、嫌気がさしていた。


 澪の周りはいつも不思議、を通り越して不自然に満ち溢れている。夜道に後ろを誰かが付いてきているような気配がしたり、誰もいない部屋で誰かにみられているような気がしたり……というのはまだ、無害な方だ。

 死んだおばあちゃんが棺桶の中から起き上がったり、誰もいない部屋の中に誰かが座っていたり、後ろにいつも誰かが立っていたり、なにもないところで転んだり。気が付いたら知らない子供達に囲まれて遊んでいたり。そう言うのが頻繁に起こるのだ。

 親戚からは葬式に来るなと言われたこともあった。

 両親も幼い頃に交通事故でなくなったし、たらい回しにされた家では怪現象が起こって、何人かは新興宗教に入ってしまうほどだった。


 正直に言えば、もう無理だと思っていたのかもしれない。

 寺に行けば坊主が裸足で逃げ出し、神社に行けば神主と目が合わない。盛り塩は景気よく無くなるし、貼っておいた護符はびゅんびゅん風に飛ばされる。景気がよすぎて破産しそうだ。

 新年の御神籤は凶越えて大凶。

 ある時はどんなに揺すろうとも棒がでてこなかった。さすがに笑った。そんなことあってたまるか。


 だから、そう。

「おやおや、お客様、憑かれているようですね」

 かけられた胡散臭い声に、思わず足を止めてしまったのだった。


 場末も末。あまりに寂れてて酔っぱらいすらも通らなさそうな商店街の角に置かれた小さな机とパイプ椅子。机にはでかでかと『占』の一文字が書かれている。が、机の上にはそれらしき道具はない。

「疲れてません」

「そのような意味ではございません。憑かれてる、とりつかれていると言うことですよ、お客様」

 水色の滲む銀髪に貼り付けた笑顔が最高に胡散臭かった。長身の男性は手に持った扇子で口許を隠す。

「客引きなら結構。間に合ってます」

「そうですか。それは残念。ところで最近神社に行かれましたかな?」

 男の言葉に踏み出そうとした足が鈍る。


「御神籤は大凶。結んで帰ろうと思ったところ真ん中から美しく切れてままならず今も財布の中に入っている。最近の悩みは寝不足。特に深夜に耳元でなにかがごちゃごちゃと喚いていて寝れずじまい。そのせいで今朝は一時間寝坊。遅刻して遅れて走ったにも関わらず二本遅いバスには乗り遅れ、挙げ句ネクタイを自宅に忘れてきた……ように思われますが、いかがですかな?」

「な……なんで分かったの!!?」

「ふふふ、からくりなぞございませぬとも。ええ。何よりこの世の中、このように曖昧に告げてさも当たっているかのように思わせるような話術もあるとか。私の言葉がそれでないとは言いきれますまい」

 もし彼の話術がそう言う類いのものだとして、世の中にまず何人大凶を引く人がいて、更に寝不足に悩んでいる人がいて、その中からバスを二本乗り過ごし、ネクタイを家に忘れてきた人が何人いるのかを考えなければならない。

 少なくともそう多くはないだろう。

「とは言え小生が嘘を付いていると言うように言いましたが全くの事実ですね? ええ、ええ、恥じらわずとも宜しい。分かっておりますとも。心配なさらずとも貴女の悩みの種は白日に晒さずとも明らかになっております故」


 ほ、本物だ……。

 疑う余地もない。この男、本物だ。そしてついでにちょっとヤバイやつだ……。

「それで如何いたしますかな? 私のお客様でいらっしゃるかどうかを確認したいのですよ」

 男はなにも言わずに扇でとんとん、と料金表を示した。三千円と書かれている。三千円。


 先にも言った通り、澪は辟易していた。スパイスは少ないからスパイスなのだ。


 座らないと言う選択肢は、もうなかった。


「ありがとうございます。私、アシヤと申します」

「……私は平坂 澪、です」

 差し出された白い紙にその名を刻む。

 アシヤの澄んだ翡翠色の瞳が細くなった。潤っている唇が弧を描き、微笑んだ。

「みお……ふふ、なるほど」

「えっと、アシヤさん?」

「アシヤで構いませぬ。ふふふ――あまり、面白くありませんね」

 …………は?

 こいつは今、なんと言ったのだろうか。涼しい顔で扇子で顔を扇ぐこの男、なんと言ったのか。

 面白くない?

 面白くない、と、言ったのか……?


「知りたいですか?」

 熱湯の中のような思考にいる澪にアシヤの声が聞こえた。

「し、し……知りません! 帰ります! やっぱインチキ占い師じゃん!!」

「占い師ではないのですがね」

「知りません!! はいこれ!」

 財布の中を見たら千円札が一枚しかなかった。苦渋の決断をしてる暇すら惜しい。とにかくさっさと、このうさんくさく人間離れした男の傍から離れたかった。


 樋口一葉を一枚、叩き付けて澪は歩き出す。

「つりは」

「いらん!! ばか!」

 誰もいなくなった辻でアシヤは愉しそうに微笑んだ。


「小生は、陰陽師なのですが……」


***


 澪は――澪は、走っていた。

 恐怖が背後からすごい早さで近付いてきている。


 アシヤのところに寄ったせいで遅くなってしまった澪は地元でショートカットと有名な道を歩いていた。別になにもしていない。ただ、その道の先にいた『なにか』と目があったのだ。


 大きさは二メートル程の巨大な蜘蛛、と言う形容が一番正しい気がする。ちなみに澪が逃げてる理由は虫が苦手だからである。

「やだやだやだやだやだ、まじでなんなのふざけてるのバカにしてるんでしょうなんでこんなよりにもよってッ~~~!!」

 転んだ。

 終わった、と思った。

 日々危機に面してるせいである種鈍ってしまった危機感がさすがに危ないとレッドランプを光らせ、警鐘を鳴らす。


「ーーーーーー!!」

 蜘蛛の脚が持ち振り上げられる。その先が鎌のように鋭利だと言うことに気が付いたのは、幸か不幸か。


「お嬢さん、失礼。こちらにございます」


 鈴が鳴るような音がして、目の前に紙切れが叩き付けられた。蜘蛛の脚はその紙切れをまっぷたつにする。それと同時に抱えられて後ろに跳んだ。

 さらりさらりと流れる銀髪が揺れる。

「立てますかな?」

「あ、アシヤ……?」

「ふふ、そうです。私、アシヤです」

 何故ここにいるのか。エセ占い師は護符のようなものをヒラヒラと揺らしながら澪を自分の後ろに下ろした。

「前にでてはダメですよ。貴女は小生の後ろにいれば宜しい」

「え? え??」

「あれは土蜘蛛です。ふふ、釣り上手だとは思いましたがずいぶんな大物を釣り上げてきましたね。良くできました」

 頭が大きな手にわしゃわしゃと掻き乱される。


 土蜘蛛。平安時代に現れた大怪異でその討伐奇譚は当世にまで残る大英勇譚となっている。その大本は蜘蛛信仰から来ている。つまるところ、落ちた神だ。


 アシヤは護符を広げる。それが妖しい光を放った。

「それ」

 空に散った護符が高速で飛翔し土蜘蛛の体を切り裂いた。アシヤは近付いていき、土蜘蛛の甲殻を下駄で踏み潰す。

「よもや、よもやですよ土蜘蛛様。阿倍の家の者ならばいざ知れず、アシヤの名の者がアナタを殺すことになろうとは。小生、一生の光栄とさせていただきとうございます」

 彼は一枚の護符を破いた。その手に現れたのは、一本の刀だ。鞘に大量の護符が貼り付けられたそれを抜く。

「こちらはレプリカ、複製ですが……神性の無い脱け殻程度殺せる。では、膝丸――殺しなさい」

 ドスッ、と重く低い音が響き、土蜘蛛の身体が串座にされたと同時に煤のような黒い埃となって消えていく。完全に消えると刀の方も護符に戻った。それをいそいそとアシヤは懐にしまった。

 なんとも胡散臭い手品師だ。


 夜の公園。差し出されたお汁粉の缶と微笑むアシヤとを見比べる。

「…………あの」

「奢りですよ。こう見えても小生、がっぽがっぽと稼いでるんです」

 自覚はあるのか。

 遠慮せずにお汁粉を受け取り、それを暖にする。アシヤは愉しそうに笑っているばかりだ。

「さて、からくりのお話は如何いたしますかな?」

「……お願い、します」

「素直でよろしい」


 澪がな理由はその名前にある。

 平坂と言う名字は一見すれば辺り差し障りのない名字のように聞こえる。だが恐らく、その本質は黄泉比良坂よもつひらさかなのではないだろうか。

「よもつひらさか?」

「簡単に言えば黄泉にある坂ですよ。黄泉の入り口であるともされていますね。加えて澪と言う名前は水のそこにできた深い溝のことです。黄泉もそもそもは地下の泉と言う意味です」

 はてなマークを大量に浮かべたままの澪に更に噛み砕いた説明をすることにした。

「水と言うのは死者を呼び寄せると言います」

「ああ、それは私も知ってます……あれ? 澪って水に関連した……」

「ええ、意味は深い溝でなんとですよ、船の道に使われるとか。ところで……黄泉比良坂から流れてくる船とは船でしょうかねえ」

 血の気が引いた。

 黄泉にあるであろう川で澪も知っている川なんて一つしかない。


 ……三途の川。死者が渡る河だ。


「ひ、ひどくない!!? つまり名前ってこと!? 変えようがねえやん!!」

「ふふふ、そうでもないですよ。朝陽とか縁起の良さそうな名前にすれば抗いようがありますねえ……ですが、はてさて。姓はそも血です。アナタがその血の呪縛から逃れられるかは未知数ではあります」

「ダメじゃん」

 つまりダメだった。

 アシヤの方は非常に好奇心が引かることでもある。


 平坂――比良坂の家。

 果たしてその家は何をやっていたのだろうか。黄泉比良坂なんて穏やかではない。何をしていても不思議ではない。そもそも。

(まともな一般家庭だったかどうか……)

「アシヤ?」

「……そこで小生から提案がございます」

 アシヤからの提案に澪が絶叫し暴れまわるのは……もうすぐのことだった。

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