2020年7月23日(開会式)
本来、オリンピックが開催されるはずだった日程に、ネクロリンピックの全日程は設定された。選手が揃わず、開催を中止した競技も少なくない。それでも、各国を代表する屍者たちが、各々の文化風俗に相応しい制服を着て、国旗を振り、楽しそうに行進して国立競技場を埋めた。数人から多い国では数百人にもなる選手団の姿はオリンピックやパラリンピックの開会式と変わるところが無いように見える。しかしながらまったく同じとはいかない。取材して判ったことだが、二点、大きな違いがある。
一つは、半数以上の国の選手団が、その国在住の選手によって構成されたものでは無いと言うことだ。技術供与ではなく、死者そのものが供与されていた。元々、屍者を労働力として活用していた国は多くはない。技術的、経済的に、屍者の再生工場を持たない国も多かったし、それ以上に文化的、宗教的に認めていない国が多かった。そうした国には、屍者再生工場を持つ国が、選手団の生産を請け負い、納品しているのだ。生産国としては、何が何でもネクロリンピックを成功させたい日本を筆頭に、アメリカ、ロシア、中国などが並ぶ。こうした選手団のあり方を否定的に捉える人も多いだろう。しかし、代表選手になることを目的に国籍を変更する者は、オリンピックにおいても少なくなかった。人間がやってきたことを、屍者であることを理由に否定することはできない。なお、屍者が代表選手となるための国籍条項として、死んだ時点でその国の国籍を有していることが条件となっている。選手団の生産請負国に、通常であれば、各国の選手団を揃えられるだけの各国の国籍が明白な死者が揃っているとは考えにくい。
この問題がいかに処理されてきたか、いずれ改めてレポートしたいと思う。
もう一つは、入場行進を行う選手団の中に、スマートフォンで開会式の様子や自分自身を撮影するものがいなかった事だ。何しろ、スマホを契約できるのは生きた人間だけで、屍者が契約できる国は存在しないのだから無理もない。
アテネから直接日本に届けられた聖火は、羽田空港から、直接国立競技場へ届けられずに、日本全国を巡り、そして戻ってきた。聖火リレーのランナーたちも、無論、屍者である。この数ヶ月、日本全国では県境を自主的に封鎖するなどの分断が各地で見られていた。人間がリレーしていくことなど、たとえマスクをしていても、トーチが手渡されるたびに十二分にアルコール消毒されたとしても、受け入れられることは無かったであろう。最後の聖火ランナーは、昭和時代の有名なレスラーであったらしい。私は知らなかったのだが、当時の日本に生きていたものならば、誰でも知っている時代のシンボルである。屍者再生技術によって復活したその男性は立派にアンカーを務め、ネクロリンピックは開会した。
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