2020年8月1日(大会10日目)

 大会中盤となり、柔道の男女各階級の決勝戦が連日続いている。前回までのオリンピックの参加者に比べれば、選手の数はまったく少ない。これをネクロリンピックの失敗と見なすべきなのか、それとも、初めての大会としては四人から十六人の選手を集めて全階級を実施し、今後の発展に期待できると述べるべきなのか、今の私には判断はできない。次回開催も明らかではないのだから。

 しかし、男子百キロ超級の決勝の壮絶な戦いには、素直に賞賛を送りたいと思う。近代柔道という限定されたルールの中で「死闘」と呼べる試合は滅多にあるものではない。もっとも、二人の選手は試合の前から死んでいたわけだが。

 決勝戦に勝ち上がり、優勝したのは日本の選手である。

 今大会の急な開催に合わせて選手を揃えたため、単に屍体であるというだけの選手は、どの競技においても少なくない。しかし、柔道といえば日本の「お家芸」である。参加することに意義があるという訳にはいかないのだ。代表選手として白羽の矢が立ったのは、当然ながら(日本人の感覚では、ネクロリンピックはオリンピックの代替開催であるので、有名な代表選手が辞退せずにネクロリンピックへ出場することは当然であるらしい)、世界選手権でも三度優勝している、オリンピックの柔道代表である。

 彼が代表選手となることを選んだ記者会見、つまりハラキリしてみせた会見は、全国放送で生中継され、全国民が見守ったという。JNC会長就任の場面は録画映像であったが、メダルが期待される代表選手ともなれば、生中継で日本中が一緒に経験すべきイベントなのだ。

 代表選手としての重責を果たした選手には、国民栄誉賞を与えるべきだという出身地の有力国会議員からの提言があった。その一方で、屍者は人間ではないのだから日本人でもないという、死体に鞭打つ発言もある。このような個人を使い捨てる発想を持つ人もいるところ、本音と建前を使い分けて開き直って見せる人間がいるところが、日本に滞在して不愉快になるところだ。

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