転
あれから僕と奈良坂は具体的な計画を練り、準備をして数日が経った。
部屋のベッドに寝転がり休日を謳歌する僕のスマホが鳴る。
『部屋空けろ』
兄からの連絡。でも、今日はそれだけじゃなかった。
『よろしくね』
奈良坂の言葉は短かったけど、短いからこそ、なんだか身が引き締まる思いがした。
いつものようにベッドをズラし、布団を敷く。
慣れた動作だけど、今日ばかりはこれから奈良坂が連れて来られることを想像してしまって、ちょっと嫌な気持ちになった。
そのまま、読み始めたばかりの恋愛小説といつものスマホセットを手に、親の部屋に入る。
先日、奈良坂の話で兄の女癖があまりに悪いことを知ってしまった僕は、どうにか頭の中を書き換えようと、ネットで調べた恋愛小説で上書きを試みている。
まだ読み始めたばかりだけど、なんだかキラキラしていて、心が洗われる気分になれた。
恋愛小説を開き、二十分ほど現実逃避をしていると、玄関のドアが開いた音がした。
一応、首から上を親の部屋から出して確認してみると、私服の奈良坂もこちらを見ていた。
「…………」
(頑張ろう)
初めて見る不安そうな奈良坂の表情に頷いてみせると、奈良坂も頷きを返してくれた。
そんな僕らのアイコンタクトに気づかないまま、兄は奈良坂をリードして部屋に入ってしまう。
奈良坂は、なんだか後ろ髪を引かれるように最後までこちらの方を見ていたけど、すぐに部屋に入った。
「よし」
奈良坂の背中を見届けた僕は、自分のスマホを耳に当てる。
『すみません、今日は』
『いいよいいよ』
スマホから奈良坂と兄の声が流れる。画面には、奈良坂という文字が表示されている。
奈良坂と話した日の放課後、僕らはこの作戦のためにお互いの電話番号を交換していた。
そして今、この会話はそのままスマホアプリで録音されている。
これが、僕たちの作戦。
あとはこの録音をネタにすれば、方々を説得できるだろうという寸法だ。
『それで蛍ちゃん、何の用なの?』
『それは……』
二人のやり取りを聞きながら、僕は場違いにも「奈良坂の名前、蛍って言うのか」なんてことを考えていた。
『お姉ちゃんと別れてくれませんか?』
『えー、またその話?』
『お願いします』
『それってさ』
『……はい』
『蛍ちゃんが俺と付き合いたいから、別れてくれって意味?』
『はい?』
「はぁ……」
我が兄ながら酷すぎてため息が出てくる。
お願いだからこれ以上醜態を晒さないで欲しい。同じ親から生まれただけに、なんだか僕まで同じような人間なんじゃないかと思えてきてしまう。
『今日来てくれたのって、その気になってくれたってことじゃないの?』
『いや、それは……』
奈良坂が今日わざわざ僕の家に来たのは、この作戦のためであって、断じて兄に気があるからではなかったりする。
でも、モテモテの兄からすればそう思えてきてしまうのかもしれない。
うーん……我が兄ながらさすがにかなり気持ち悪いかな……。
『否定しないってことは、図星なんでしょ?』
『……は?』
『いいよいいよ。奈津には俺の方から言っておくから』
『いや、ちょ――』
スマホ越しの大きな近い物音と、廊下の先から聞こえてくる小さな遠い物音が重なり、もしかしてと僕の心を不安にさせた。
だから、スマホを耳に当てたまま、居間を通って廊下に足を踏み入れながら、様子を伺ってみる。
『やめてください!』
『えー、なにそれ。誘ってるの?』
『違います! 犯罪ですよ!』
これで終わってくれればいいものを、物音は止まない。
兄はきちんと思いとどまってくれなかったようだ。
「おいおい……」
安易にこんなこと思いたくはないけど、ここまでくると病気なんじゃないだろうか。
勘弁して欲しい。昔は優しかった兄だったんだけどなぁ。
「……しょうがないか」
奈良坂の身に危険があってもいけないので、僕も最終手段に出ることにする。
ポケットから五百円玉を一枚取り出す。
これが、僕の最終手段だ。
(急げ。急げ)
この子供部屋の鍵は、実は外から開けられるようになっている。
鍵を開け閉めするときに稼働する金属部分に一直線の溝が刻まれていて、実はそこに硬貨や爪を引っかければ開けることができたりする。
もしかしたら中で誰かが倒れた時のためにこうなっているのかもしれないけど、なんであれ今この状況では好都合だ。
(よし)
ガチャリと音が鳴ったので力任せにドアノブを捻り、体重をかけて一気にドアを開け放つ。
そこには、ちょうどドアの方へと逃げてきていた奈良坂と、その背中の方に絡みついたまま呆けた顔を向けてくる哀れな兄の姿があった。
「――ふんっ」
思いがけない僕の登場に驚いたままの兄に対して、奈良坂は先に冷静に行動することができた。
奈良坂の言葉通り、兄は「蹴り上げられ」てしまった。
何とは言わないけど非常に痛そうで、さすがに見ている僕も冷えてくる思いだ。
「ありがとっ」
「ああ、うん」
投げつけるような感謝の言葉をくれながら奈良坂は僕の脇をすり抜け、そのまま玄関から出て行ってしまった。
残された僕はスマホを操作しながら、生まれて初めてのとてつもなく醒めた気持ちのまま、うずくまる兄の姿を眺めている。
「……信……二」
「なに?」
いつもなら何とも思わなかったけど、兄に呼ばれた名前は、何だか少し気持ち悪い感じがしてしまった。
ついこのあいだまで程ほどに仲の良い家族だったのに、一つ壁を越えただけでこんなにも遠く、相容れないような断絶を感じてしまうのは、なんだか寂しくもある。
「お前……終わってんな」
「……ははは」
どっちがだよ。
そう言いたいところだけど、僕には最後の仕事が残っている。
「兄さん」
「……あ?」
「うわぁ。怖いなぁ」
自分でも驚くほど煽り気味に流しながら、僕のベッドの掛布団を捲り、一台のスマホを取り出す。
「はい、これ」
「……は? なんだこれ」
「いいから。耳に当ててみて」
「意味わかんな――――え」
鳩が豆鉄砲を食らったような兄の表情に作戦の成功を感じ、僕は不謹慎にも笑ってしまった。
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