5話 春眠暁を覚えず

 夢に見たのは、青い空。

 突き抜けるような青い空。


 それは、生暖かい春の日の午後。

 突然の雨音に、カーテンを開けると、外は激しめの天気雨。


 狐の嫁入りか...。


 雨にもかかわらず、空が青い。

 それは何てことない春の空で、夏のように鮮やかではなく、秋のように澄んでもいない。

 白く霞んだ春の空。


 でも、だからこそ…届きそうな気がして。

 ただ夢を見ていたことを思い出す。


 その懐かしい気持ちが、苦しくて、情けなくて。

 霞んだ青から、隠れるように、カーテンを閉めた。


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「─アヒル!起きろ!授業中!」


 給食後の算数の時間。

 気持ちよく眠っていた安平悠アビラハルカは、後ろの席の女子に叩き起こされた。


「アヒルじゃなくて、アビラだって言ってるだろ!ナナコ!」


「ナナコじゃなくて、ナオコだって言ってるだろ!ア ヒ ル !」


 寝ぼけ眼ながら強気な彼に、後ろの席から山下侃心ヤマシタナオコは負けじと言い返す。


「山下さん。安平くんを起こしてくれてありがとう。でも、授業に戻りたいから、夫婦喧嘩はそのへんにしてもらっても良いかな?」


「「夫婦ちゃうわ!」」


 ニコニコと、茶々をいれた担任に、見事にハモって言い返す二人。教室にクスクスと笑いの波紋が広がる。


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「ハルは成績良いもんね」


 帰り支度の音が響く放課後の教室。

 アキラは、ハルカの授業中の居眠りを庇うように呟いた。


「せやな!

 俺は料理人で医者で探検家になる男やしな!」


「すごいね!

 文武両道で料理も出来る男だね!」


「それでも、さっきは寝てたけどね...。」

 侃心がすかさず一言。


「うぇっ...!それは...」

 図星をさされて、ハルカがしどろもどろになっているところへ、

「あらあら、放課後まで夫婦喧嘩?」

 廊下から声をかけてきたのは、1学年上の幼馴染。


「シノブちゃん!」


「あんまりイチャイチャされると、こっちも気ぃ使うわぁ~って...イタッ!」


「しつこいゾー!この恋バナお化けめ!」


 囃すシノブの頭をナオコが叩いた音が優しく響く。

 日差しが暖かな放課後の教室。


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 窓ガラスが白く曇ったことで、無意識に溜め息が出ていたことに気づく。溜め息を自然につけるようになったのは、いつからだっただろう...。

 少なくとも、あの頃は意識しないと、溜め息をつけなかった。


 仕事終わりの電車の中。

 窓に映る自分の疲れた顔を見て、あの頃を思い出す。最近、体力や新しいことへの適応力が格段に落ちている気がする。

 ただでさえ、ポンコツなのに...。

 職場で一番役に立たないのは、恐らく俺だ。


 あぁ...。こんな自分は、あの頃の俺には見せられない。

 夢どころか、同級生達の“普通”にも満たないこんな姿なんて...。

 疲れた自分の顔を見たくなくて、窓に息を吹きかける。ガラスは大して曇ることはなく、ただ大人気ない自分への羞恥心だけが残った。

 耐えきれず、目をギュッと閉じる。あの幸せな日々すら、思い出せないように、強く、強く…。


 電車の走る音が車内に満ちる。


 未来が今になるのはずっとずっと先のことだと思っていたことを、今さら後悔していた。


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