第14話 二人の関係
夕御飯を食べ終えたリト達は、会計を済ましてそれぞれの部屋へと戻った。その途中、リトは懐が寂しくなったことに涙を流していたが、アルファは知らんぷりした。
やがて時が過ぎ、窓から見える夜景は建物の灯りが減って航空障害灯のランプが目立つようになった。ホテル内も就寝する宿泊客が増えて静かになっていく。
そんな静かな夜に、ユーファニムは一人、ベッドに腰かけて自身のナイフをゆっくり撫でていた。反った刀身には彼女の顔が反射しており、その表情からはどこか悲哀が感じられる。まるで恩人の遺体に優しく触れるようである。
「…………私が絶対に助けてみせる」
ふと部屋にあるバスルームからスライド式のドアが開く音がした。それを聞いてユーファニムは、すぐにいつもの表情へ改めた。
バスルームからは髪の濡れたアルファがバスローブ姿で出てきた。そのバスローブの端にはホテルのロゴがペイントされている。
「はぁーー、良い湯だったよぉ。やっぱりお風呂が広いと風呂上がりの気分も良い感じだよねぇ」
濡れた髪の毛をタオルで拭きながら、アルファは快活に笑う。
「ユーファニムも入ったら? シャワーもあったよ」
「あぁ、ありがとう」
礼は言ったものの、ユーファニムはベッドに座ったまま、その場から動かなかった。抜き身だったナイフを革製の鞘に納め、ため息をこぼす。
「そのナイフ、なにか特別なものなの?」
「あぁ。長から譲り受けたナイフだ」
アルファは「ふーん」と相槌を打ちながら、ベッドに腰かけた。
「エルフの長って、どんな人なの?」
「長は優しく、とても聡明な方だ。森の皆からもよく慕われていた。戦争の時も先頭に立って兵を率いていたし、これ以上エルフの命を散らさぬようにと、早急に人間との停戦を決断したのも長だ」
エルフの中には、その決断を弱腰だと非難するものもいたが、ユーファニムはそうは思っていない。エルフの長の、停戦の判断と人間との交渉によって、エルフの命が救われたのは事実だ。
「私にとって長は、森に生息する獣や野草の見分け方や弓の扱い方、魔法の基礎についてと、森で生きる上で必要なこと全てを教えてくれた恩師だ。このナイフも、それらを教わった後に譲り受けたんだ」
「へぇー」
木の枝を切ったり獣の肉を切ったりと、森で暮らすにはナイフが何かと入用になる。エルフの中では森で生きる生活の知恵としてナイフの扱い方を教わる習慣がある。彼らにとってナイフは、人間にとっての手紙を書くためのペンや時間を確認するための腕時計などの日用品と変わりない物だった。
そして同時に、エルフの中で“モノを譲り受ける”という行為は、譲る側が貰い手を一人前と認めた証であり、大変光栄なことであった。
ユーファニムも長からナイフを受け取った時のことは誇らしい記憶として鮮明に覚えている。
長を助けたいと思うのも、その恩に報いるためでもあった。
軽くノスタルジーに浸った後、ユーファニムは目の前の少女へ意識が向いた。
「……なぁ、ずっと気になっていたんだが、訊いて良いか?」
「ん、なになに?」
「お前とあの男との関係は何なんだ? 師匠と呼んでいるが?」
自分の恩師のことを考えて、自然と思考が想起したのだろう。今まで気にしていなかったが、ふとアルファがリトのことを“師匠”と呼んでいることが気になった。
師というからには何かしらについて教授を受けているのだろうが、ここに至るまでのやり取りを見ていると、二人の関係は師弟というより親子や兄妹のやり取りに近いようにユーファニムは感じた。
「んーとねぇ、師匠とは私が孤児院にいるときから機械について色々と教えてくれたんだ。だから、自然とそんな呼び方になっちゃったんだよねぇ」
「孤児院?」
エルフの中では聞き慣れない単語に、ユーファニムは首を傾げた。
「孤児院ていうのは、何かしらの理由で親や親類のいなくなった未成年以下の子供を保護する施設だよ。私って物心つく前に親に捨てられたらしくって、師匠の所に住み込むまでは孤児院で育ててもらってんだ」
アルファの回答を聞いて、ユーファニムは眉をピクリと動かし、しまったという顔をした。
「その……すまない」
「良いって良いって、そんな重い感じじゃないから」
申し訳なさそうな顔をするユーファニムに、アルファは笑いながら手を振った。
「それで、私のいた孤児院の院長と師匠が知り合いでさ、師匠もよく孤児院に足を運んでたんだよ。五歳くらいの時かな、私がまだ小さかった頃、よく遊んでた車のアンティーク玩具があったんだけどさ……後ろにやるとゼンマイが回って走るヤツね……ある日に私、それをうっかり壊しちゃってさ、『ヤバい怒られるぅ!』って思ってたら、たまたまそばを通った師匠があっという間に直しちゃったんだよね」
今でこそ、ぜんまいバネと歯車を組み立てるなんて目じゃないほど、もの作りの知識を身につけたアルファだが、当時は原理すらまともに理解していなかった。
「職人の手さばきって言うのかな、壊れた原因の特定から修理するまでの動作が、何も知らないあのときの私には、まるで魔法みたいに見えてさぁ、もうテンションの上がって『どうやったの教えて教えて!』って師匠の腕を引っ張って駄々をこねたんだよね」
「ふふっ、そうか……」
似たような経験に覚えがあったユーファニムは、思わずクスリと笑った。
「師匠も最初は面倒くさそうにしてたけど、だんだん根負けしてさ、ついには時計とかコンピュータとかエンジンとか、色々な機械の仕組みについて教えてくれたんだぁ。たまに師匠の仕事に引っ付いていったりもして、機械をなおす師匠を観察して、暇があれば師匠のテクを真似したりしてたよ」
アルファは腕を組みながら昔を思い出す。
科学の基礎理論から、機構の組み立てや回路設計、エネルギー変換の仕組みまで、機械に関するあらゆることをリトから学んだ。その際、誤ってトランジスタに規定以上の電圧をかけてショートさせたり、灯油と間違えて水にナトリウムを入れたり、小型ジェットエンジンを室内で起動しかけたりしたのは、今となっては良い思い出だ。
「そしたら院長が、良かったらこれからは師匠に面倒みてもらったらどうかって提案してね。なにかと師匠の工房で徹夜作業することもあったから、私もその方が都合良いと思って。それ以来、師匠の自宅兼仕事場に居候してるってわけ」
「そうか……けど、良かったのか? 少女が独り身の男と一緒にいるなど、何かと問題があっただろう?」
「まぁ普通はねぇ。でも提案された時にはもう数年以上の付き合いだったし、養子縁組の手続きとかもできる院長の提案だったから、その点は全然気にならなかったかな。師匠も師匠で、ヒトの嫌がるようなことはしない真人間だからさ、問題ナッシングだよ!」
アルファの話を聞いてユーファニムは「そうか」と頷く。
確かに今までのやり取りの中でリトの人柄はある程度分かった。口調こそ悪い時もあったが、彼から特に邪気のようなものは感じたことはなかった。
むしろ見かけのわりに、やけに達観している印象をユーファニムは受けた。
ヒト(やロボット)に警告を受けたり追い剥ぎに狙われたりすれば、例え事前に理解していても、普通は動揺や戸惑いが表面に現れる。200年以上生きたユーファニムも木霊の森で猪に襲われた時には少なからず恐怖したものだ。
しかし、リトは自分が命の危機に瀕したりユーファニムを不法入国させることにも、一切の迷いや恐れを見せなかった。
アルファの話を聞く限り、少なくともリトは三十五年以上生きている計算になる。自分の半分も生きていない人間にもかかわらず、自分よりも落ち着きのあるようにユーファニムには見えた。威厳こそないが、彼女が見てきたヒトの中で、あれほど落ち着き払った精神の持ち主はエルフの長くらいだった。
「“生命の
「なにそれ?」
「昔、長が教えてくれた言葉だ。長が生きるのに必要なすべを私に伝えてくれたように、アルファの師匠も、アルファに人間の技術を伝えている。エルフと人間、寿命は違えどヒトは皆、自分の知恵を後世へ伝えるようにできている。何かを伝えられるように成長してこそ、ヒトが此の世で生きる意味のひとつとなりえる……ということらしい」
「へぇー」
そこでユーファニムは会話をやめ、入浴のためバスルームへと向かおうと腰を上げた。
「ふふっ」
「ん?」
しかし途中、アルファがクスリと笑ったことに首を傾げて足を止めた。
「今、初めて私の名前呼んでくれたでしょ?」
「そう、だったか?」
「そうそう!」
名前を呼ばれただけで親近感を覚えて無邪気に笑うアルファに、自然とユーファニムも笑みを溢した。
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