第10話 追い剥ぎ
無機質な白い通路を抜けて、王国を囲う壁から出てきたリト達は、そのまま車道に入る。王国に入って彼らがまず初めに眼にしたのは、まっ平らなアスファルトの地面と空を覆い隠すのかと感じるほど高い灰色の建物だった。道には草木はおろか雑草すらなく、目に入る物すべては鉄やコンクリートなどの人工的な素材で作られていた。建物は総じて老朽化しており、みすぼらしい。壁によって日光は遮られ、漂う空気もどこか薄汚れているように感じられる。何かの店らしい建物もあるが大半はシャッターが閉じていて、看板は壊されてボロボロだ。空高く伸びた高層の建物は、いくつかのフロアのベランダに薄汚れた衣服が干されているが、人間が住んでいるのか廃屋なのか区別できない。
そんな灰色のジャングルを掻き分けたように作られた王国の中央へつながる大通りをリト達は走る。その大通りに沿ってできた歩道には、明らかに身なりの良くない人間が歩き、ところどころ浮浪者らしき人間が座り込んでいた。
「……ここは空気が悪いな。まるで負け戦の拠点か、あるいは墓場か」
初めて目にする人間の王国内の風景を眺めながら、ユーファニムは同情的な表情を浮かべる。
過去に敵対種族であったエルフである自分は、人間の王国に入った際には、もしかしたら敵意のある眼で見られるのではないかと予期していたが、周辺の様子を見ていると、そんな心配も無駄に終わってしまった。周りにいる人間には敵意は愚か、他人に関心を持つほどのエネルギーすら感じられない。
まるで亡霊のようだった。
「言い得て妙だな。地獄や冥界と言わないだけマシかもしれないが……」
「人間の王国というのは、どこもこんななのか?」
「いや、そうでもない」
リトは目線をまっすぐ前に向けたまま否定した。国内外をよく行き来するリトやアルファにとっては周辺の寂れた風景はすっかり見慣れたものだった。
「壁周辺の居住地区は、日当たりや風通しが悪い上、王国が戦争した時には真っ先に戦場となる場所で、望んで住み着こうなんて人間はいない。今ここにいるのは、貧乏人か人間社会の中で何か後ろめたいことをやらかした小悪党やチンピラだけだ。おかげで日常的に治安が悪くて、王国で二番目に行きたくない場所と呼ばれている」
「二番目? ここよりまだ下が?」
ユーファニムは驚き、思わず訊ねる。
「一体どんな場所なんだ?」
「エネルギー生成地区。王国中の膨大なエネルギーを生み出す代わり人々に見捨てられた地区さ」
「ちなみに、私たちの住居兼仕事場がある地区ね」
「なっ……!」
基本的に人間の王国は皇帝の住む中心の都から遠のくほど治安が悪くなる。だがエネルギー生成地区は例外だ。かつては大手企業や中小企業、ベンチャー企業の建物が建ち並ぶオフィス街だったが、反物質エネルギー炉を用いた電力施設ができてからというもの、その危険性から住み着く人間は皆無となった。
万が一、事故が起きた時には、地区一帯が吹き飛ぶほどの爆発が想定されているからだ。
今では王国の全エネルギー供給を賄っているにもかかわらず地区自体が王国から見捨てられ、稼働しているのは電力施設のみ。施設で作業するのもリモート制御されたロボットだけだ。
リト達の住む個人宅兼工房は、その地区にある旧オフィス街の一角にある。
「そんなに所に住んで、お前達は大丈夫なのか?」
「なに、一応生活インフラは通ってるし、生活用品や食料は買いに行けば良い。いつ爆発するかのドキドキ感さえ我慢すれば、何とかなるもんだよ」
「そうか。しかしなぜ」
「それに」
ユーファニムが訊ねるより前にリトは続けて口を開いた。
「あそこなら“あんな連中”を相手にしなくて済むしな」
「へ?」
ユーファニムは自然とリトの目線に沿って顔を動かした。すると、前方には如何にもガラの悪い人間が大通りをふさぐように立ち並んでいた。彼らの手にはナイフや鉄パイプなどの簡単に手に入る凶器が見える。
「誰だあの人間達は?」
「追い剥ぎ」
よく行き来しているとあって周辺の住人や浮浪者の中にはリト達の顔やサイドカーを覚えている者も多い。だが中には、その物珍しさから今のように襲撃を仕掛ける無法者も少なくない。
「師匠、どうする?」
「どうもこうも、いつも通りだ」
「じゃあ、私は上に行ってるね」
「おー」
アルファは上空へと飛行車を上げて退避した。飛行車の場合、反重力装置の出力を高めて上空に逃げれば追い剥ぎの手が届くことは無い。役人などがこの辺りを通るときは、そうするのが普通だ。
しかし、タイヤで走るリトのサイドカーではそんな事はできない。
「何する気だ?」
「突っ切る」
「なに!」
「いつものことさ。あの連中を怖がってちゃあ王国内外の出入りなんてできねぇーよ。それに、王国のデータベースにハッキングするのに比べたら、追い剥ぎを払うなんて角砂糖を噛み潰すくらい簡単なことだ」
そう言うと、リトは多機能ゴーグルを装着して、閃光弾に似た形状の“物体”を取り出して後ろにいるSanに投げ渡す。
「しっかり掴まってろよ」
「あ、あぁ」
リトの指示に従って、ユーファニムは側車内部にあった取っ手をギュっと掴む。一体なにをするのかと、彼女は内心ドキドキしていた。
「止まれェゴラァァ!」
道をふさいでいる追い剥ぎの一人が血気盛んに大声を上げた。追い剥ぎ達の人数は十人ほど。バカ正直に止まれば、ろくな目にあわないのは誰にでも分かることだ。かといって乗り物で轢こうものなら、いくら治安の悪い地区とはいえ加害者となるのは車に乗っているリト達の方だ。
「San、やれ!」
「承知しました」
そういうと、リトは思いっきりアクセルを回してスピードを上げた。
リトの後ろでは、“物体”を投げようとする態勢でSanが演算を走らせ、より的確な投擲先の位置を算出する。
やがてSanは右腕を大きく振り下ろして、“物体”を追い剥ぎの足元へ投げた。Sanの演算能力とボディのパワー出力によって、“物体”は正確にSanの狙った位置に飛んだ。
瞬間、“物体”は人知れずカチッと音を鳴らす。
すると突風が拡散して、周辺にいた追い剥ぎ達は皆一斉に悲鳴を上げて吹き飛んだ。
道をふさいでいた追い剥ぎ達が退かされた隙に、リトはまっすぐ道を走りすぎた。衝撃を免れた追い剥ぎの仲間は、怒鳴り散らしていたが、その声もすぐに小さくなっていく。
ユーファニムが振り返ると、すでに追い剥ぎ達の姿は遥か遠くにいた。射撃などの追撃もなく、彼女は危機を脱したことを悟った。
「今のは爆弾か?」
「いや、あれは圧縮した空気を一気に広げる衝撃弾だよ。爆弾と違って破片が飛ばないから非殺傷で安全なんだ」
「へぇー」
ユーファニムの疑問に、いつの間にか上空から降りてきてリト達と並走していたアルファが答えた。この衝撃弾や閃光弾を設計、開発したのは彼女だったりする。
これらの“防犯グッズ”については、使用するリトやSan以上に詳しい。
「もちろん、中の空気圧を調整すれば、殺傷することも可能です」
「そ、そうか……」
そんなこんなあって追い剥ぎ達をやり過ごしてからは、特に面倒ごとも無くリト達は車道を走った。やがて壁周辺の居住地区も抜け、辺りの街並みも多少マシなものになっていた。
漂っていた陰鬱な空気がだいぶマシになったのを、ユーファニムも感じ取っていた。
「それで、ユーファニムを国に入れたのは良いですけど、これからどうする師匠?」
「知るか。本人に訊け」
「とりあえず、国の長と会って我らの長を助けるように依頼したい」
「無理」
ユーファニムの希望を、リトは即答で短く否定した。
「何故だ?」
「一国の頂点のヤツが、どこの者とも知れないヤツと簡単に面会できるわけないだろ。そもそも今のお前は、見かけ上は合法的に入国していることになってるが、種明かしすれば、ただの不法入国者だぞ」
「……う、うーむぅ」
不法入国させた本人が何を言っているのかとも思ったが、ユーファニムは口を閉ざした。
「とりあえず、“中央役所”に行ってみるってのは?」
「中央役所?」
アルファの提案に、ユーファニムは首をかしげる。
「中央役所とは、王国の行政を担っている場所です。王国の各地区に点在する“支役所”をまとめている他、一部外交を担当する行政機関でもあります。王国そのものとも密に関わっていますので、現状、私たちが向かう場所としては的確な選択かと」
Sanは淡々と述べた。中央役所の説明は彼の言った通りで間違いないが、それがあるのは役所の中心部。リト達が今いる場所から行くには、ざっと半日は掛かる。
「そこへ連れてってくれ!」
「……はぁ、分かったよ」
そんな長距離移動をするとは思ってもいないユーファニムに、リトは大きなため息をついた後、中央役所を目的地としてサイドカーを走らせた。
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