第9話 入国ハッキング
システムのアナウンスに案内された通りに進むと、やがて通路は二手に分かれ、リト達は一般の通路から外れた細めの通路を行かされた。その通路は普段閉ざされており、アラートが出たときのみ開くように設計されている。
その通路を行くと、辿り着いたのは格納庫のような広い部屋だった。先ほどまでいた無機質な通路と違い、そこは強固な鉄板のような素材で作られた壁で覆われ、薄暗く陰鬱な雰囲気があった。
その空間の中央で停止すると、リトはサイドカーのエンジンを切る。ホバーカーに乗っていたアルファも同様に、リト達の横に停車した。
「……ここは?」
「セキュリティルーム。言い換えれば、留置所兼取調室だな」
「そうか……」
あまり良い状況のようには思えなかったが、リトやアルファが動じてないようなので、とりあえずユーファニムは静観することにした。
ここで、ふとリトはどこからか“2枚の黒い板でできたもの”を取り出した。その手のひらサイズの板の内部にはモニターとパソコンのキーボードのようなキーが付いている。モニターには黒い背景に白文字がたくさん並んでいた。
「それは?」
「小型コンピュータ」
「コンピュータ?」
「えーと、つまりは、いろいろ計算できる道具だ」
「計算? こんなときにどうして算術を?」
「……まぁ、いろいろとな」
ユーファニムは首を傾ける。彼女にも分かる言葉で言い換えたつもりだったが、機械に縁のなかったユーファニムにはそれでも理解できず、リトは説明するのを諦めた。
慣れた手つきでリトはコンピュータをカタカタと操作していく。その端末も市場には出ていない、彼が独自開発したもので、PDAやスマートフォンくらいのサイズにもかかわらず、超高スペックな機能を備えていた。彼の操作に従ってモニターの文字列も滝のように流れていく。その速度は常人では目で追えないほどだ。
何をしているかは理解できないが、端末を操作するリトの姿に、ユーファニムは思わず目を奪われた。何故かは分からないがずっと見てられると思える光景だ。まるで職人が物を作っているのを見ているような、あるいは、雨水が水面に落ちて波紋が広がるのを見ているような、そんな感覚が彼女の中にはあった。
「入国管理システムのデータベースにアクセス……よし、データ追加完了、と」
すると間もなく、壁の模様だと思われた扉がプシューっと小さな音を立てて開き、中から武骨なロボットが数体出てきた。その鉄のキューブにニッコリ顔をつけて手が生えたような見た目のロボット達は、頭についたパトランプを光らせながらリト達を取り囲んだ。
端末の操作を終えたリトは、それをしまって周りのロボット達を一瞥した。
『未登録の人物の入国を検知しました。入国を希望でしたら申請手続きを行ってください。なお、無理に入国を試みた場合や抵抗した場合、貴方達には不法入国の疑いが掛けられます』
女性的な機械音声で、ロボット達は空中に浮きながらリト達に警告する。彼らの移動法にも反重力装置が使われていた。
機械の知識が無いユーファニムにも、自分達がこの鉄の塊に警戒されて、歯向かうと碌な目に合わないであろうことが分かった。この状況を一体どうするのかと彼女はリトに目を向けたが、相変わらず彼の表情には戸惑いや焦りの色は全くなかった。
「exe -code 003500089 Admin -x cmd=True」
リトがロボット達に言い聞かせるように何かを囁いた。
周りが閉鎖的な空間とあって、彼の声は周囲に良く通ったが、ユーファニムにはその言葉の意味を理解することはできなかった。
しかし、その言葉に反応して、ロボットたちは挙動を変えた。空中に浮かせていたボディをガタンと地に落として、生えた手を内部へ格納した。
『コマンド実行、スリープモードに移行します』
そうして、正面に表示された顔が眠っている顔に変わる。
機能を停止した機械に、ユーファニムは小さく息をつき安堵した。
「今のは、呪文か?」
「いや、システムのバグをついて音声入力でコマンドを実行したんだ」
リトに説明されても、やはりユーファニムには理解できなかった。
「いい加減このバグ直せばいいのに」
「あることに気づいてないんだろ。それにあんな無駄に膨大でスパゲッティコードのシステムなんて誰もイジらねぇよ」
尤もなことを口にするアルファに、リトがため息まじりに答える。
ここの制御システムのプログラムコードをいつ見たのかと、アルファは疑問に思ったが、こんなことはいつものことだったので特に訊いたりはしなかった。
「まぁ、そのおかげで私たちも悪用できるわけですけど……」
「これで国へ入れるのか?」
「いやマシンに異常が出れば、とりあえず担当の警備員が出てくるようになってる」
リトがそう言い終えた途端、警備ロボット達が出てきた扉から、今度は黒服の人間が一人出てきた。
「大人しくしろ!」
黒服の人間は手に持っていたハンドガンの銃口を向けてリト達に叫ぶ。ユーファニムは思わずビクッと体を揺らして手を忍ばせていた自身のナイフへと伸ばしたが、リト達はまったくの無反応だった。
「ヤッホー、パウエルさん!」
「よっ」
「なんだ、リトとアルファ、またお前達か」
リトとアルファが師弟揃って手を上げて挨拶すると、黒服の男は銃口を上に向け、安堵した表情で銃をホルダーにしまった。
「イチイチ警備ロボットを機能停止にするなって前に言っただろうが!」
「悪いな」
アルファからパウエルと呼ばれた小太りの男は、サイドカーにまたがったリトを小突く。
言葉は強いが顔は笑っており、リト達と親しげに接する。彼の態度は、まるで長年の付き合いのある友人を家に迎えるときのように、ユーファニムには感じられた。
パウエルはユーファニムに眼をやると、えびす顔の笑みを引っ込めて少し目を丸くした。
「エルフなんて連れて、珍しいな?」
「あぁ。まぁ、なんというか、成り行きでな……」
リトが渋々といった顔をすると、パウエルは何かを察したのか、また愉快そうな笑みを浮かべた。
「なんだ、またお節介か?」
「俺じゃない。全部このバカ弟子とポンコツのせいだ」
リトの言い表した当人二人は、まるで自分のことではないと、とぼけたように首を傾けていた。これまでに何度か見たことのあるその光景に、パウエルはハッハッと高笑いする。
「それで、今日はそのエルフの入国申請に来たってか?」
「いや、パスの受け取りだ」
リトがそう口にした途端、パウエルの笑みが一瞬止まった。
「おいおい!」
「良いから、申請番号は189-20103だ」
リトは手をひらひらと振ってパウエルを急かした。
パウエルは訝しげな眼でリトを見ながらも、国から与えられた警備員専用の端末を取り出す。国の兵士や役人にはそれぞれの業務に沿って専用の端末が与えられている。パウエルに与えられた端末にも彼の業務に関するすべての機能が搭載されていた。
名刺サイズの四角い端末が起動すると、端末から光が出てパウエルの目の前に三次元ホログラムが浮き出る。青い光が作り出すアイコンや文字列を、ユーファニムは不思議なものを見る眼で見つめた。
パウエルはいくつかアイコンやボタンを指先で操作して言った後、システムにリトが口にした番号を入力する。
『申請番号189-20103、名前ユーファニム。国からの承認を確認しました。入国パスを発行します』
入力を終えると端末から機械音声が鳴った。出力されたシステムの結果に、真面目な顔つきだったパウエルの表情がゆっくりと笑みに変わる。
「……はぁぁ、やってくれたな」
「なんのことかなぁ」
何かを察したパウエルだったが、リトは白を切る。そしてここで問い詰めたところで証拠が出ないこともパウエルは知っていた。それゆえ彼は何も聞かず、そのまま出てきた扉の奥へと戻っていった。
「……今のやり取りは何だったんだ?」
ユーファニムは小声でアルファに訊いた。人間の使う機械やシステムについての知識が無い彼女には、今目の前で行われたやり取りの“異常さ”が分からなかった。
「モーリ爺が言ってたけど、外から来たヒトが王国に入るには事前に申請が必要なんだよね。でも今回は師匠がシステムにハッキングしてデータを偽装したから、このままパスが発行されたってわけ」
「ハッキング?」
「んー、簡単に言うと……監視の目を掻い潜って申請をでっち上げたってこと、なのかな?」
「……まさか、さっきの計算できる道具とやらで、それが?」
「うん、その通り!」
リトはニッコリ笑って、得意げに人差し指を立てる。
「でもこれって、師匠の変態的なシステム
「もういいから、ユーファニムの目が点になってるから」
ペラペラと話すアルファを、リトは横から口を挟み黙らせた。彼の言う通り、話を聞いていたユーファニムは、途中から目を丸くしてポカンと口を開けていた。
「まさに感無量といった反応ですね」
「おい、また言葉間違えてるぞ」
「初回無料?」
「遠くなった」
饒舌に話すアルファといつものように言葉を間違えるSanに、リトは頭を抱えた。
そんなこんなしていると、やがて、またパウエルが扉から姿を現した。その手には見慣れない黒い帯のようなものがあった。
「手ぇ出しな、姉ちゃん」
パウエルの言葉に、ユーファニムは眉を歪め、警戒した表情になる。
恐る恐る手を前に出すと、パウエルは彼女の手首に黒い帯を巻き付けた。特殊な素材が使われたその帯は、ユーファニムの手首の大きさに合わせて縮小されていく。締め付けや痛みはなく、布ゴムが巻き付く程度の感触だ。
「これは?」
「それが入国パスだ。外から来た連中には、国内ではそのバンドをつけることが義務付けられている。バンドには小型のコンピュータチップが仕込まれていて、ソイツがあれば国内のどこにいようと丸分かりってこった。もし何か仕出かしたり無理に外そうとすれば、すぐに兵士が飛んで来るようになってる。王国を出るときには取ってやるから、それまでは妙なマネはすんじゃねぇぞ」
説明を聞きながら、ユーファニムは眉間に小さなシワを作り手首についたバンドを観察する。デザインはシンプルだが、手錠をはめられた気分だと彼女は感じた。
「ほら、やることは終わりだ。とっとと行け行け」
これ以上、関わるのは面倒だといった感じでパウエルは手をヒラヒラと振るう。するとタイミングよく、前方の壁が変形して通路が出現した。王国の壁の中へ入ったときと同じく白い壁と黒い地面の通路だ。
「おぅ、ありがとな」
「またねぇーパウエルさん!」
リトとアルファはエンジンを起動する。電気エネルギーで走る飛行車と違い、ガソリンで走るリトのサイドカーは大きなエンジン音を空間中に轟かせる。
「どうでもいいが、まだそんなクラシックカーに乗ってんのか? いい加減買い替えろ」
「生憎、地に足を着けて走るのが好きなものでね」
「ふーん、相変わらずのローテクマニアか。自分でハンドル握って走る人間の気が知れねぇ」
「ローテクはお互い様だろう。じゃなきゃ、アンタはここにいない」
「……はっ、違いない」
唸るようなエンジン音が響く中で、リトとパウエルは言葉を交わす。その会話は人間の王国の中で“異端者”として扱われるリトと“下級層”であるパウエルだからこそ、なし得る言葉の交差だった。
その会話を間に挟まれて聞いたユーファニムだったが、彼女には二人の立ち位置を知るすべはない。
「それじゃあな……人間の王国へ、ようこそ。エルフの嬢ちゃん」
不思議そうな顔で見ていたユーファニムに、そうパウエルが口にすると、リトとアルファはアクセルを回して車を走らせた。
二台の車は通路の中へと消え、その場にはサイドカーから放出された排気ガスだけが残る。
久しく嗅いでこなかった排気ガスに、残されたパウエルは一人咳き込むのだった。
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