第8話 壁の中へ






「……すごいな」


 サイドカーの側車に座ったユーファニムは、地平線の彼方から見えてきた王国の壁に思わず声を洩らす。

 その光景は、まさに世界を分ける巨大な壁といった感じだ。壁の各所には周りをのぞき窓のようなものがあり、無駄な装飾がない。

 その大きさは、壁の先にあるであろう建造物などが外側から確認できないほどだ。


 とてもヒトの手で作られたものとは思えない、大きくそびえ立つ王国の壁に、ユーファニムはしばらく目を奪われた。


「あれが人間の王国だ」


 Sanを後ろに乗せてサイドカーを運転するリトが言った。ヘルメットとゴーグルのせいで、ユーファニムは今彼がどんな表情でいるのかは分からないが、少なくとも自分の故郷を誇るような物言いではなかった。


「やぁぁっほおぅぅぅぅ!」


 そんな道中、アルファの声が響く。彼女はモーリから借りた飛行車に乗って、おおはしゃぎしていた。

 アルファの乗る飛行車は、反重力装置を搭載したオートバイだ。王国内では普通に乗られている代物だが、リトのサイドカーとは性能が月とすっぽんである。並走すればすぐに距離ができるほどの性能の差だが、アルファは久しぶりに乗る飛行車の運転にテンションが上がり、右へ左へ上へ下へと無茶な軌道を描きながら飛行していた。


「あんまり調子に乗るなよぉ」

「分かってる分かってる!」


 彼女の今の運転は、言うなれば蛇行運転やドリフト走行、アクロバティック走行しているようなものだ。王国の中でやれば、危険運転で警察にお縄になること間違いなしである。


「純粋無垢な運転ですね」

「お前は後で『純粋無垢』の単語データをアップデートしとけ!」


 後ろから聞こえたSanの呟きに、リトは呆れた後アクセルを回した。




 ***




 時間は少し戻り、グラカ村でのやり取りに戻る。


「そのまま王国に行っても、助けを受けるのは難しいと思うぞ」

「なに!」


 ユーファニムの大きな声に馬のリリアンも思わずピクリと反応する。


「どういうことだ?」


 ユーファニムはリリアンから降りて、モーリの話を聞くことにした。


「まずそもそも事前に知らせもなく王国に入ることが不可能だ。俺等よそモンが入国するには事前に何らかの方法で申請して入国パスを手に入れる必要がある」

「なら私もその入国パスとやらを手に入れて!」

「まぁ、聞け」


 ユーファニムの返答を遮り、モーリは話を続ける。


「パスは王国の境にあるゲートで申請できる。お前さんの知能なら問題なく申請できるだろうが、実際にパスが発行されるのは何日も先のことだ。俺のときは一ヶ月かかったな」

「そんなっ!」


 入国パスは王国の外にいるヒトが王国の中に入るために必要な証明書だ。人間との会話ができてある程度の知能があるヒトなら、オークだろうが魔族だろうが申請できる。もしこれを無しに王国に入ろうものなら、弁解の余地なく犯罪者として衛兵に殺されてしまう。

 しかし、モーリの言う通り、申請からパスが発行されるまでは、かなりの時間を要する。しかも今の王国は“選別”に公務を割いているため、発行する時間は通常よりも更に掛かるだろう。


「お前さんが一族の代表として来たってんなら話は別だが、一人で勝手に来たとあっちゃあ向こうもすんなり通すこともあるめぇ」


 ユーファニムは悔しげに奥歯を噛んだ。


「けど私には一ヶ月も待つ時間はない、なんとかならないのか?」


 例え長生きのエルフでも、死が迫る時の時間感覚は人間と同じだ。原因も分からないまま一月も手をつけないでいれば、命の保証はない。


「そうさなぁ……お前さんなら何とかできるんじゃないのか?」


 そう言ってモーリはリトに視線を向けた。それに続いてユーファニムとアルファとSanも揃ってリトを見るが、彼は面倒くさいと言いたげに顔をしかめる。


「できないことは、ないけど……」


 リトは頭の後ろを手で擦り、心底イヤそうな様子でユーファニムから目を背ける。

 入国できる可能性を匂わせたことに、ユーファニムはリトに詰め寄った。


「頼む。私には一分一秒でも早く長を診てもらわなければならないんだ」

「そう言われてもなぁ」


 確かにリトにはユーファニムを入国させる策があった。しかしその策を実行するには、それなりに手間が掛かる上、下手をすれば指名手配される可能性もある。昨日たまたま助けたエルフのために、そんな危険な橋を渡るというのは、リトにはイマイチ気が乗らなかった。

 渋るリトに、アルファがポンポンと彼の背中を叩く。


「師匠ぉ、折角だし連れてって上げたら? どうせ私達が帰るついでだし」

「旅は道連れ世は情け、ですね?」

「そーそー!」


 Sanの言った言葉に、アルファはうんうんと大きく頷く。だが、そんなお気楽な彼女と、やはりどこかズレているSanの言語システムにリトは頭を抱えた。

 やがて何かを思案した後、懇願するユーファニムの顔を一瞥して、リトは大きなため息をつく。


「……はぁ、仕方ないなぁ」





 ***




 そして現在、リト達は王国の壁のすぐ前まで来ていた。


 ユーファニムを入国させるための策として、彼女にはサイドカーの側車に乗ってもらい、アルファにはモーリの飛行車に乗ってもらっている。馬で走れば、グラカ村から王国までかなりの時間を要するのもそうだが、外側から生き物を連れてはいると入国がめんどくさくなるのも理由のひとつだった。

 なのでリリアンは一時グラカ村の馬小屋に移して面倒を見てもらうことにした。ユーファニムは渋っていたが、入国のためとなれば致し方ないと、なんとか納得させた。


 そして今、リトとアルファは壁に設けられたゲートの前でそれぞれの車を停車した。

 ユーファニムは壁の上部を見ようと顔を上げるが、壁はまるで天空にまで届いているのではと錯覚させるほどの高さがある。目の前からでは、いくら顔を上げても壁の上部を見ることはできない。


「見ての通り人間の王国は、周りを大きな鉄の壁で囲われてる。中に入るには、八方に設置されたゲートを通るしかない。そのゲートっているのが目の前にあるアレだ」


 王国を囲む灰色の壁は頑丈なだけでなく、人間のテクノロジーが詰め込まれた要塞でもある。そこを越えて中に入るには、地上に設置されたゲートを通るしか方法は無い。

 ゲートは無地とシルバーの武骨な見た目をしており、門というよりは扉のようなデザインになっている。合わせ目は台形のような線になっていて、普段は固く閉ざされている。しかも、核シェルター並みの強度もあるため、爆薬や魔法ではびくともしない設計だ。

 それが開くのは内側の制御管理室で操作するか、近くに入国のパスを与えられた者が近づいてきたときだけだ。


 リトはサイドカーで徐行しながらゲートに近づくと、ゲートは何の前触れもなくゆっくりと開いた。


「開いた!」

「入るのは簡単だ。けど問題はこの先にある」

「私は、どうすれば良い?」

「何もしなくていい。黙ってそこに座ってろ」


 そう言って、リトはアクセルを回してゆっくりと中へ入っていた。

 ゲートをくぐると、中は陽の光は一切入らず、人工的な光だけに照らされた通路が続いていた。光沢のある白いタイルのような壁と黒い地面、見慣れた者から見ると地下通路のようにも見える道だが、それは出口が見えないほどずっと先までまっすぐ伸びている。


「っ!」


 ユーファニムは息を呑んだ。

 その通路には一切の歪なものが排除されており、綺麗に整い過ぎている。流れる空気でさえも、どこか鉄が混じりピリピリしているような感覚があった。森で育ち自然の風景しか知らないユーファニムにとっては、まさに異界の空間である。

 草木や土が無く、動物は愚か虫すらいない、加えて空の見えない空間にいるのは、彼女にとっては初めての経験だった。


『未登録の人物を探知しました。ドライバーは誘導に従い、窓口へお越しください』


 すると、どこからかSanのものとは異なる機械音声が聴こえてきた。おまけに白かった壁は真っ赤に染まり【警告】という黒文字が流れている。

 その音声と周りの変化に、ユーファニムはピクリと反応して背中にイヤな汗が流れているのを感じた。


「慌てるな、想定通りだ」


 ユーファニムの恐れや不安を悟ったのか、リトは彼女に聞こえる声ではっきり口にした。


「あと、ここの中は居心地が悪いだろうが国の中に入れば多少マシになる。それまで我慢してくれ」

「……分かった」


 リトの言うことを信じて、ユーファニムは側車の中で小さくなり、手汗のかいた手をギュっと握りしめた。





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