第7話 木霊の森とエルフの森





 空腹も満たし、外へ出てグラカ村のほのぼのとした空気に当てられたおかげか、ユーファニムは険しい顔つきは徐々に和らいでいった。


「リリアン!」


 村の入口にいた馬のリリアンを見つけると、ユーファニムは駆け出していき、優しく体を撫でた。先ほどまで厳しい顔をしていたのが嘘のように、彼女は優しい笑みを浮かべている。


「心配かけたな。二日も走り続けて疲れただろう」


 リリアンは茶色の体に黒い鬣と尾毛を持つ凛々しい馬だ。主であるユーファニムに撫でられて、口の端がつり上がり、笑ってるような顔つきになっている。リリアンの顔色や毛並みから、彼女が水や食べ物を与えられて自分と同じように面倒を見てもらったのが、ユーファニムには理解できた。


「……どうやら私達はあなた達に助けられたようだ。感謝する」

「いえいえ、どうもどうも、そんなねぇ」

「なんでお前さんがそんなに得意気なんだ? 助けたのはリトだろうに」

「師匠の手柄は弟子の誇り!」

「誰の言葉だ、それ?」


 リトとアルファ、San、モーリを見ながら、ユーファニムは丁寧なお辞儀をした。それに対して、何故かアルファがエヘンと胸を張って返事をしたのを、モーリとリトは細い目で見て呆れていた。


「リト、と言ったな」

「ん?」

「助けてくれてありがとう。おかげで命を救われた」

「あぁ、どういたしまして」


 ユーファニムに礼を言われると、リトは気にするなと言わんばかりにサラッと言葉を返した。


「それで、なんでお前さんは追われてた? こっちは下手すりゃ村に被害が出るかもしれんかったんだ、正直に話してもらうぞ」

「あぁ、分かってる。ちゃんと話す」


 モーリの若干偉そうな口調にも苛立つことなく、ユーファニムは頷いた。


「私は、ここから南へずっと遠くにある“エルフの森”から来た。途中、“精霊の森”を通ってきたのだけれど、そこであの汚らわしい獣共に襲われた」


 ユーファニムは不愉快そうに少し顔を歪める。エルフにとって猪は、オークの手先のモノとされて忌み嫌われている。

 彼女の言ったことについては、リトとモーリもおおよそ察しがついていた。


「“精霊の森”?」

「“木霊こだまの森”のことだろう」


 ユーファニムの言った聞きなれない単語に、アルファは首を傾げたがリトが補足した。



 王国の南側は複雑な地形の平原が広がっていて、グラカ村はその平原の上にポツンとある。その平原をさらに南へ進むと深く大きな森が広がっている。小高い山肌にできたその森は、昼間でも日光を通さないほど樹々が生い茂っており、樹々や地面、むき出しの岩には一面に苔が生えている。加えて、湿度が高く空気が濃い。まさに古代よりヒトが足を踏み入れていない未開の地だ。緑と闇が深いその森には、王国の人間も戦争の時でさえ寄り付かなかった。

 精気の充ちた環境のおかげか、生息している生き物たちも皆大きい。


 ユーファニム達エルフが住む森は、その森のある山を更に登っていき地質や天候が変わったところにある。手前の森とは明らかに質が異なり、エルフたちのおかげで害獣は寄り付きにくく、快晴の時には心地よい陽の光が注ぐ。果物や穀物などの食べ物も豊富に取れ、ヒトも暮らしやすい穏やかな森だ。


 王国では手前にあるヒトが拒む森を“木霊こだまの森”と呼び、エルフたちの住む森をそのまま“エルフの森”と呼んでいる。

 そして、エルフ達の中では“木霊の森”のことを“精霊の森”と呼んでいた。



「けど、一体何をやらかした? 森からここまで追ってくるのもそうだが、あの猪達の怒気は普通じゃなかった。たかだか縄張りに足を踏み入っただけで、あんな怒り方はしないだろう」


 リトが訊ねるとユーファニムは首を横に振った。


「それがまったく心当たりがないんだ。私としては早く森を抜けたくてひたすら走っていただけなのだけど、突然、あの獣共が現れたんだ」


 ユーファニムの言い方に取り繕うような雰囲気はない。しかし、リトはイマイチ彼女の言い分が腑に落ちず、人知れず深刻そうな顔つきをしていた。


「本当か? 松明でも焚こうとしたんじゃあるまいな?」

「バカ言うな。私達だって森に生きる者、そんなことするものか!」


 モーリに疑われ、ユーファニムは顔をしかめて、今度は少し声を荒げた。

 夜の森には周りを照らすものは月明かりくらいしかなく、人間やホビットなどの夜目の利かないヒトだと松明やランタンなどの火を使って灯りとすることが多い。だがこれは下手に扱えば山火事となって燃え広がるゆえ注意が必要だ。それは森で生きるエルフも良く知っている。


「それに、私だって精霊の森を抜けて行くなんて本当はしたくなかった。普通なら東や西に回り込んで人間の国を目指すところだけど、私にはそんな猶予もなかったのでな」

「というと?」


 エルフにとって木霊の森は神聖なものとされ、立ち入ることは許されない領域だ。ユーファニムはその領域を足を踏み込んで今この場にいる。だが彼女には禁忌を犯した罪の意識は無い。

 そんな彼女は、リトが詳しく訊ねると俯き、暗い顔になった。


「……実は、我らの長の命が危ないんだ」


 思わぬ返答に、リトとモーリはお互い人知れず眼を見開いた。


「数週間前にいきなり倒れて、以来ずっと横になったままだ。原因は不明。日に日に意識がある時間も減っている。処置や秘薬、魔法、我々エルフが持つあらゆる治療法を施しているが容体は良くならず、回復の兆しも見られない」

「それで、いよいよ打つ手も無くなって、人間の医療技術を当てにしてここまで来た、と?」

「そういうことだ」


 モーリが引き継いだ言葉を、ユーファニムは肯定する。


「事情は分かった。けど良かったのか、そんな大事なこと話したりして? それに、もしそれが本当なら外交として王国に支援要請するのが筋だろう?」

「自分で言うのもなんだが、私のヒトを見る目は確かだ。伊達に200年以上生きていないさ」

「……ふーん」


 本人が良いと思うならそれでいいけど、とリトは無関心そうに頷く。


「えっ、ユーファニムさんって歳いくつ?」

「今年で253才だ」

「ちなみに、エルフの寿命は人間のおよそ15倍だ」

「おぉ。じゃあ、もしユーファニムさんが人間だったら私達同い年なんだぁ。へぇぇ……」


 リトが補足すると、アルファは面白そうなことを聞いたというような声を上げる。そして好奇心の眼でユーファニムの外見をなめるように見る。

 やがて、胸部の膨らみに目が止まると、自身の胸に手を当てる。何かを悟った後、アルファは肩を落とした。


「……負けた」

「何がですか?」


 いきなり落ち込んでボソリと呟いたアルファに、Sanは不思議そうに目を向けていた。


「話を戻すが、王国に助けを求める件については、まぁ、その、エルフの中でも意見が対立していてな……」


 ユーファニムは言いにくそうに言葉をつまらせた。


「今言ったように、我々エルフの生きる時間は長い。人間にとっては昔のことでも、エルフにとっては戦争を行ったのも、ついこの間のことだ。戦争で直接人間と戦った者の中には、人間に頼るのは恥だと考える者もいてな……」


 エルフはドワーフほど頑固ではないが、とても誇り高い。戦争で降伏した人間に、一族のトップを助けてくれとはとても言えなかった。


「ユーファニムも戦ったの?」

「いや、私は当時子どもだったこともあって戦場には出ていない。だから人間のことも、そんなに憎んでいないさ」


 アルファのユーファニムの呼び方がサラッと呼び捨てになっているのをリトは聞き逃さなかった。どうやら彼女の中では、もうすっかりユーファニムを友達と認定したらしい。


「けど住み処の森では、未だに助けを乞うべきと進言する者達と人間を信用せず助けを拒む者達が言い合っている。しかし、そうしている間にも、長の命は徐々に死へ向かっていてな……私は今すぐにでも人間の医者に診てもらうべきだと判断して、精霊の森を抜けてここまで来た、というわけだ」

「……お前さんの独断でか?」

「あぁ」


 ユーファニムから一連の話を聞いて、モーリは腕を組んで考え込む。


「へぇぇ」

「ほえぇぇ」


 その傍でリトとアルファは感心したように声を洩らした。


「私の経緯については以上だ。それゆえに、私は急ぎ人間の王国へ行く必要がある。貴方達にはしっかり礼をしたいところだが、これで失礼させてもらう」


 そう言って、ユーファニムは再度一礼した後、リリアンにまたがって手綱を取った。


「じゃあ世話になった」

「ちょっと待て」


 発信しようとした瞬間、モーリがユーファニムに声を掛けて引き留めた。


「なんだ?」

「そのまま王国に行っても、助けを受けるのは難しいぞ」

「なに!」





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