第5話 南から来た者




 グラカ村に向かってくる光源の主が何かに襲われていることを察したリトは、サイドカーのアクセルを全開に回して走っていた。

 舗装されていない道を高速で走っていると、たまにバランスが危うくなる瞬間もあったが、彼は持ち前の卓越したライディング技術を駆使して転倒することなく走り続けていた。

 やがてモーリの家の屋根から見えていた光源が地平線の彼方から現れるのが見えた。

 光り方も特に変化はない。やはり光源の主は何者かに襲われて逃げているようだ。

 リトは目を凝らしながらサイドカーのスピードを適度な速さまで落として、慎重に近づいていく。


「あれは……!」


 ある程度、前方にある光源との距離を詰めると、サイドカーのエンジン音と風を切る音に混じって、蹄が地を叩く音と何かの生き物の鳴き声するのを、リトは聴いた。

 その空気を引き裂くような鳴き声には、野生の生き物特有の威嚇と怒気が混じっている。

 その鳴き声に何かを察知したリトは、作業用の多機能ゴーグルを取り出して、暗視モードに切り替えた。

 すると彼の予想通り、光の主は多数の猪に追われているところを馬に乗って逃げているのが見えた。光の正体は手に持った松明と、もう片方の手で手綱と一緒に持っている剣の反射光だった。

 乗り手は一人。顔は外套のフードに隠れており、口元だけしか見えない。


「あの猪って……アイツ一体何やらかしたんだ?」


 馬の乗り手が通ってきたと思われる方角の先には、石や樹が一面苔に覆われるほど緑豊かな森が存在する。猪達はその森に住む種の猪であるとリトは見抜いた。

 その森とグラカ村までの距離は馬で掛けて半日ほど。そして大抵の場合、猪達は生き物を襲うためだけに、その森の外に出てくることはない。

 つまり、いま目の前にいる猪達がその森からずっと馬の乗り手を追ってきたのだと仮定すると、馬の乗り手は、猪達から怒りを買う余程のことをやらかしたのだろうと、リトは推測した。


「まったく、世話のやける……」


 このままではグラカ村まで被害が出る。もし馬の乗り手が村に入れば、猪達は獲物を捕らえるためまっすぐ突進して、石造りの家屋を倒壊させるだろう。


 それを防ぐため、リトは懐からあるものを取り出す。

 それは一見、グローブとメリケンサックを合わせたような代物だった。リトはそれを左手につけると、思いっきり加速して猪に追われている主の元へ急いだ。


 やがて、リトのサイドカーと馬の乗り手の距離が狭まる。真夜中とあって、サイドカーの明かりは馬の乗り手にも視認できるところであった。

 しかし突然、リトはサイドカーのハンドルを大きく回して、道を逸れながら馬の乗り手と猪達の後ろに回り込んだ。そしてアクセルの傾きを調節して馬と猪のスピードにあわせて、それらと並走する。

 そんなリトの行動に、馬の乗り手は 不自然なほど無反応で、馬を走らせ続ける。その反応の無さが気になったリトだが、まずは猪の方が先だと判断して顔をそちらに向ける。


「おい、猪達! ここはお前らの居るべき場所じゃないだろ! とっと自分達の住み処へ帰れ!」


 猪達から返事は返ってこない。怒りに我を忘れているのか、あるいは今目の前にいる個体が、“言葉を忘れるほど退化している”のか……どちらにせよ、リトは言葉ではこの猪たちは止まらないことを確信した。


「チッ!」


 リトは左手にはめた代物、“ノイズアーム”と呼んでいる装置のスピーカー部分をターゲットに向ける。そして、側面についたスイッチを押すと、猪達へ音波が発射された。

 その激しい指向性音波が放射されると、猪達は苦痛の声を上げ、つまづいて転んだ。転んだ猪の体は皆、走行の勢いによって地面の上をゴロゴロと転がる。

 転倒した猪はすぐに立ち上がり、ブルブルと頭を振って威嚇した声を上げる。


 今の音波のせいで、猪の標的は完全に馬の乗り手からリトへ変わった。しかし、そのことはリトも想定済みで、彼はサイドカーのハンドルを切って、走っている馬と距離を取る。

 すると、その場にいた全ての猪はリトを追う。怒り狂う猪のダッシュは中々のスピードであるが、いくら突進する猪のスピードが速いといっても、流石にサイドカーへ追いつく速度はでない。


「はいはい、こっちこっち」


 猪達が追ってきているのを確認したリトは、アクセルを回して一定の距離を取り、懐から大きな栓が付いた缶のようなものを取り出す。その黒い缶には目立った装飾はなく、表立って販売されていないと一目でわかる作りをしていた。

 リトは缶の栓を開けるとその場に落とした。缶はカラカラと音を鳴らして地面を転がり、猪の一団の前で大きな音をたてて炸裂する。それは野盗や野生の獣に襲われても対処できるように、ノイズアームと同じくリトが王都を出るときにはいつも常備している護身用の閃光弾だった。

 閃光弾が炸裂して数秒の間、眩しい閃光とと耳をつんざく爆発音が辺りに広がった。その閃光と音に猪達は怯み、一斉にブキィーーと鳴き声を上げる。

 光と音が収まっていくと同時に、猪達は耐えかねて次々と逃げ出していく。辺りが完全に夜の暗さと静けさを取り戻した頃には、猪はその場に一匹たりとも残っていなかった。


「ふぅぅ」


 猪が去っていったのを多機能ゴーグルの暗視で確認したリトは、サイドカーにブレーキをかけて息を吐いた。その後の猪達の動向が気になるところだが、あの猪の習性からして、時間はかかれどいずれ元いた自分たちの住処へ帰るだろう。


「……さてと」


 リトはゴーグルを外して、馬の乗り手が進んでいった方向へ顔を向けた。

 馬は猪達から追われなくなった時に、すでに走るのをやめていたのか、案外近くに立っていた。加えて、馬の乗り手は手綱を握って座っている。その体勢は、先ほど馬で走っていた時と全く変化が無い。

 リトは徐行してある程度まで近づくと、サイドカーを降りた。

 馬は長い距離を走ってきたおかげか息が荒く、近づいてくるリトにもあまり警戒心を持っていない。


「おい、大丈夫か?」


 リトが声を掛けても、乗り手の反応はない。どうやら気を失っているようだ。


「……おっと!」


 途端、乗り手の身体が傾き、ずるりと落馬した。幸い、体が倒れた方向がリトのいる側だったため、乗り手は地面に衝突することなくリトに受け止められた。


「おい!」


 リトがさらに声を掛けるが相変わらず返事はない。息遣いが聴こえるので、どうやら生きてはいるようだ。

 容体を確認すると、外套のフードから乗り手の顔が見えた。年齢はアルファと同じか少し上くらいだ。そんな少女があの猪の群れを怒らせ追われてきたということはとても奇妙なものだが、しかし何よりも、その顔立ちの良さにリトは思わず息を呑んだ。


 誰もが美しいと感じる顔の造形、シミや黒子ひとつない肌、そして艶のある金色の髪の毛。


 まさかと思い、リトは彼女のフードを取った。すると案の定、少女はその種族特有の尖がった形状の耳を持っていた。


「……エルフ」




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