第四話 或る歌人の遺言 其の参

 ところで貴方様、もう少し私に何か言うことはないのですか。私がこんなにも真剣にお話ししているというのに、口ひとつきいて下さらずに黙ってらっしゃるなんて、ほらもっとよくお顔をお見せ下さい……。


 ――あら、貴方様の瞳はそのように濁った色でしたか。いえそんなにぼやりとした灰色ではなかったでしょう、もっと黒々と潤って艶を持っていたはずでございましょう。もしや目が見えなくなってしまったのですか、おいたわしや。ならばこの部屋の惨状も私のぼろぼろな顔も、ご覧になることができないのですね。

 それにお肌も酷いご様子をしてらっしゃいますね。黝い土色で、吹き出物がぶつぶつ散っていて、まるで土の底でおし黙っている死人か何かのようで……


 もしかすると貴方様はもう、この世にはいらっしゃらないのですか。ええきっとそうに違いありませんわ、だって私はずっと前この耳で確かに、貴方様がお亡くなりになられたと馬鹿にしたように言う義兄の声を聞きましたもの。そうでしょう、貴方様はもうここにはいない、冥土からの来客なのですね。


 ああ有り得ないアリエナイ、どうして今の今まで気が付かなかったのでしょう、貴方様が亡霊であるなんて簡単なことを。


 あら、貴方様いったいどこへ行ってしまわれたのですか。先程まで私のすぐ目の前にいらしたではありませんか。まだ私の話も聞き終わらないうちに消えてしまうなんて。もしや貴方様は最初から全て私の幻想、私の一人芝居だったのでございますか。


 貴方様が私を迎えに来て下さった、などと思い上がったのがいけなかったのですか。最期に少しくらい自惚れたって、仏様もお許し下さるでしょうに。嗚呼、もう貴方様のほかに会いたい方などひとりだっておりませんのに、これ以上何を話すことがあるでしょうか。寂しい、淋しい、ああサビシイサビシイ、ひとりには慣れていたつもりだったのに。


 脳が直接触られているような不快感が、突然すっと消えました。目が霞んで、膨らんだ月の輪郭がさらにぼやけてきました。耳がぐわんと揺さぶられるようになり、音が一気に遠のきました。今はぴいんと甲高い耳鳴りがして、元から微かにしか聞こえなかった外の音が一切聞こえません。命の灯火が薄く細く煙を立てて、頼りなく痙攣しながら、ふらふらと揺れているのが見えるようです。もう全てが終わります。


 欲を言うなら、貴方様の人生に私の死に様を深く、ふかく見せつけるように刻み込みたかったというのが本音でございます。この先生きていくその一分一秒ごとに私を思い出し、貴方様の頭を私だけで満たし、その度私の死を想起するような、そんな苦渋の染みつく人生を貴方様に味わって欲しかったのに、それだけが無念です。

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