第三話 或る歌人の遺言 其の弐

 貴方様と出会ったときのことを、私はよく覚えております。私が上京したばかりの頃、随分と良くして下さいましたよね。同じ文学者としての親心のようなものだったとは分かっていますが、私は夫と別れたばかりで頼れる身内もおらず、右も左も分からなくなるような不安に心も折れそうでした。そんなときに現れた貴方様は、私にとって神様か仏様のように輝いて見えました。


 ああこれはなんとまあ、口に出してみれば陳腐で安っぽい響きですね。


 あの頃の貴方様も、奥様と別れたばかりでさぞ不安定だったことでしょう。私、貴方様は規範を重んじるようなお方だとばかり思っておりましたから、あのお方と姦通罪で牢に入ったことがあると聞いたときは内心卒倒しそうになったのですよ。貴方様はなんて情熱的な恋をするお方なのだろうと。


 それに、私はそれを聞いたとき、彼女が羨ましくて仕方がなかったのです。貴方様の手首に重く冷たい揃いの枷をはめることのできた、彼女のことが。


 まあ、私がどれほど貴方様を愛していたのかはご存知でしょうから、言うまでもございませんね。貴方様だってあのときは互いのことを愛し、互いの才能に尊敬の念を抱いていたことは疑いようがないでしょう。


 あなたの書く作品は今も昔も掛け値なしに素晴らしい、正真正銘の芸術です。あのきらびやかで輝かしい宝石のような詩、あの暖かく優しい母親のような童謡、あの澄み切った朝のように爽やかな大和歌…….ときおり残酷な、何も知らない子供のようなものもありましたけれども、それ故か透き通るようで、そう感じさせる貴方様の技量にはただただ畏敬の念を抱くばかりでございました。文字そのものが装飾品のような、そんな貴方様の才能に嫉妬したこともあったくらいです。


 それにしてもあの頃は、本当にお金がなく酷い貧乏をして、ひもじい生活を二人で分かち合って来ましたよね。家財道具を売り、着物を売り、生活ごと切り売りするような生活が続きました。それでも私たちには揺るがない愛があったからこそ、絶望せずに進んでゆけたのではないかと思っているのですよ。


 ううん、これも何だか飽和した言い回しで溜息が出そうです。言葉のひとつひとつが濁って、心の表面をたださらりと掠ってゆくようですね。恐ろしいほど心に残るもののない、言葉の薄い駄文でしかありません。やはり言葉の扱い方は貴方様が一段も二段も上ですわ。どなたかが貴方様のことを言葉の魔術師だと仰っておりましたけれど、その呼称はやはり、とてもよくお似合いですね。


 でも、その後にお金を一生懸命貯めて、立派な洋館を建てることができましたね。あのときは私も本当に嬉しくて、ついにこの生活から抜け出せると思って、心が躍ったものでした。


 では私がどうして貴方様のもとから去ったのかご存知でしょうか。……あ、いえ止めておきましょう、そんなことを今さら口に出すのは野暮というものでございますね。


 あの祝宴の席で私と貴方様の弟君が何を話していたのかなど、とうにご察しがついているでしょうし。やはりあの宴は贅沢すぎました。それにしたって、私ばかりあのように責められては嫌にもなりますわ。……あら、私ったら余計なことを、口が滑りました。まあ何にせよ、私が去り他の殿方に匿ってもらったことによって、貴方様のお心が私に対して疑念を抱いたことは事実ですよね。


 私が貴方様と別れた後、何人もの方とお付き合いをしたことはご存知でしたか。それもひとえに、私が派手なことをすれば、貴方様がまた私のことを気にかけてくれるのではないかと思ったからです。


 私の最初の夫は弁護士でしたけれども、酷く女癖や酒癖の悪いひとでしたから、もうそのようなことは懲り懲りだったのです。貴方様もそのようなところはありましたがね。いえいえ貴方様に怒っている訳ではありませんよ。でもそのようなことには疲れてしまったので、うんざりして嫌になってしまっただけでございます。


 私は新聞記者の男と出会って駆け落ちし、貴方様のもとを去りました。でもそのひとはすぐ、伯林へ行くのだと言って私の前から消えてしまいました。


 そこから他の作家様を訪ねたりしても上手くいかずに地元へ戻ったのですけれども、実家は既に没落しておりました。働こうと努力はしたのですが、それから仕事が長続きしたことはついぞありませんでした。


 その後出会った三人目の夫はお寺の住職でした。でもやはり駄目なものですね、私たちはすぐに別れました。私の中にまだ貴方様の光があることを、彼も薄々勘づいていたようでした。


 でも私はどうしても、彼に申し訳ないとは思えませんでした。だってそもそも、私が貴方様以外の殿方と恋仲になったのは全て貴方様の気を惹くためでしたからね。その相手に憐憫など、感じている余裕はありませんわ。彼との結婚生活が一年も続かなかったのは、そういう訳なのでしょう。


 その次の夫は元からの知人で、またも住職でした。ですが彼の宗派では妻帯が認められていなかったので、私は存在ごと隠されるように外に出ることができなくなりました。


 やはり太陽のない生活は、洞窟の中にいるようで辛いものですね。いつも戸や窓を閉めているので昼か夜かも分からず、ただ歌を詠むことしか救いのない苦痛な日々が続くうちに、私は心が押しつぶされるのではというほどに精神が摩耗してゆきました。


 いくら窓を閉め切っていても隙間から誰かに見られているような気がして不快で、それでもどうしても誰かに私のことを気づいて欲しかったのです。居てはいけないもののように扱われることが、この上なく苦しかったのです。


 服の糸一本一本の中に小さな蛆虫が潜んでごそごそ動いているように思われて、どんなに寒かろうとも布が触れなくなりました。仏様に助けを求めようとして勝手に外に出て、服も着ないまま木の下で坐禅を組んだこともありました。この後くらいには、心が疲れきって一日中なにもできない日が続きました。そこまでして会えるお方が貴方様でないのが辛くて、なぜこんな生活を続けているのかと叫び続けた日もありましたわ。


 夫はそんな私を病院へ連れてゆきました。お医者様は心の病気か何かと診断なさったようで、私を一ヶ月ほど入院させました。あのときは辛かったですよ、だって私は絶対にそれが妄想などではなく、私を怨んでいる誰か、例えば前の夫などが仕掛けた罠だと心の底から信じておりましたから。そうしてその計画に協力する――少なくともあのときはそう信じておりました――夫への不信感も増してゆきました。


 退院後は結局彼とも別れ、私は中風を患い、実家に帰りました。私は貴方様にもう一度だけでも逢いたくて、家の周りを探し回りました。その姿はちょうど、痴呆を患って辺りを徘徊する老人と似ていたことでしょう。私の義兄はそれを気味悪がって、近所の目も気にしたのでしょう、私をこのような座敷牢に入れたのです。


 あの日から私はこの暗い部屋から一歩も外には出ず、体が骨と皮だけになるまで痩せこけ、床に散らばってべとりとした汚物に囲まれ、半身の動かない体を引きずって生きてきたのですよ。


 あの頃はたくさんの人たちから恋多き女性とも悪妻とも言われましたけれども、心が震えるような本当の恋をしたのは貴方様が最初で最後です。その後の生活は、恋だの愛だのそんな言葉で表せるようなものではございませんでしたから。


 そこにあったのはただ、貴方様への執着のみです。その点でいったら私は類を見ないほどの悪妻なのでしょうね。

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