お狐少女にありがとう

雪見なつ

第1話

「こんな家出て行ってやる!」

 原因は些細なことだった。僕のお母さんは会社だからと言って、明日の授業参観に来れないと言うのだ。明日の授業参観は母の日と言うことで、両親に宛てた手紙の発表をする日だった。僕も一生懸命手紙を書いた。お母さんが帰ってくるまで手紙を読む練習もしていた。それなのに……。それなのに……。

 僕は家を飛び出した。目にたくさんの涙を浮かべて走った。

 これは僕にとって初めての家出だった。

 僕の家の後ろには山がある。よくおばあちゃんと山菜を取りに行ったりしていた。僕はその山の中に逃げた。

 当たりはもう暗くなっている。夕方六時の赤い夕焼けも木々のせいで森に差し込んでこない。森は薄暗く気味が悪かった。冷たい風が吹いて、ざわざわと草木が揺れる。

 お昼に来たときの印象とはかけ離れていて、まるで違う場所に来てしまったかのように錯覚してしまう。

 僕は怖くなって、後ろを振り向いたが、それが本当に後ろなのかわからなかった。それは周りの景色があまりにも変わらないせいだった。前も後ろも深い草が茂り、僕を取り囲んでいる。山道を歩いていたはずなのに、暗くなってその山道もよく見えない。

 僕は後ろだと思っている方に足を進めた。

「帰らないと……」

 トボトボと山道を歩く。辺りはもう真っ暗だ。どこを歩いているのかもわからない。それでも僕は家に向かって歩いた。

 すると目の前に小さな社が現れた。真っ暗な中突如現れた社に僕は思わず、尻もちをついたが、その社をよく見ると見覚えがあった。

 社の左右には狐の像が置いてあって、社の前にはお猪口が置かれている。

 このお猪口は、前に祖母と一緒に持ってきたものだった。

 お婆ちゃんはその社にはお狐様と言う神様がいると聞いたことがある。お狐様はお米を育ててくれると聞いた。だから、お婆ちゃんに感謝しなさいと言われていた。

 僕は社の中を覗いた。真っ暗で何も見えなかったが吸い込まれてしまいそうな程、僕はその暗闇を凝視していた。

 その時だった。

 ガサッと草が揺れる音がした。今は風が吹いていない。それなのに草が揺れた。自然的な音ではなかった。それは何かが草を揺らした音。僕は音が出た方を見たが暗くて何も見えない。

 音はガサッ、ガサガサッと音は徐々に近づいてくる。

「お狐様! 助けてください。お願いします。どうか助けてください!」

 僕は社の前で額を地面につけて頭を下げた。その恐怖から逃げようと必死だった。神様ならきっと助けてくれると思った。

 目を強く瞑り、お狐様にお願いした。

 すると、さっきまでの音は鳴り止んだ。代わりに女の子の声が頭上から聞こえる。

「君、頭を上げなさらんか」

 僕が目線だけで上を見ると、自分と同い年くらいの女の子が腕を組んで立っている。頭には黄色い尖った耳がついている。少女は巫女服を着ていた。下はミニスカートみたいに短い。太腿と太腿の間からはもふもふとした黄色の尻尾が見えた。

 少女は僕の視線に気づいて、スカートを手で押さえた。

「何を見ているか、この無礼者!」

 少女は顔を真っ赤にさせている。尖った耳をぴょこぴょこと激しく震わせて、怒りを露わにした。

 僕は立ち上げって、その少女を見た。僕よりも身長が低い。きっと僕よりも年下だろう。なんでここにいるのか。

「君、失礼なやつだな。妾は君よりも年上だぞ。それも何十年も何百年もな。妾は君が言うお狐様じゃ。この社でお前たちを見ておったのだぞ」

「嘘でしょ! 神様が僕より小さいなんて!」

「嘘じゃないわい。君が助けを呼んだのだから助けるために出てきてやったのに。ほら、この蛇を見た前、さっき君が恐れていたものじゃぞ」

 お狐様を名乗っているその少女は右手に蛇を持っていた。蛇は無抵抗でブラブラとしている。

「でも、ぼ、僕も触れるもん!」

「そうか? なら、ほい!」

 少女は僕に向かって蛇を投げてきた。僕は腰を抜かしてその場にへ垂れ込んでしまう。その様子に少女はケタケタと笑った。僕はその少女に苛つきを覚えたが、あまりにもその少女が綺麗に笑うので、苛つきぶつけることはできなかった。

 少女は社の前で体育座りをしてこちらを横目で見る。

「こんな時間に森に入っては危なかろう。なぜ、君はここにいるのじゃ?」

「お母さんと喧嘩した……」

 少女は黙ってこちらを見ている。

 僕は立ち上がって、少女の横に腰を下ろし直した。なんだか、この少女に対して安心感を強く覚えたのだ。だから、僕はこれまでの経緯を全て少女に話した。

 少女は相槌を打って、真剣に僕の話を聞いてくれた。

「君の気持ちも最もじゃがな。お母さんもきっと参観日に行けないことを悔しがっておるよ。それにお母さんが働くのは君のためでもあるのじゃよ。いつの時代も親というものは、自分の子のために頑張っておるのじゃ。だから、そんなにお母さんを悪く言っちゃいかんよ」

 少女は立ち上がった。

「君もそれがわかっているはずじゃ。君は優しい子じゃからな。だから、ちゃんと謝れるはずじゃよ」

 少女は僕に手を差し伸べる。僕はその手を握った。小さくて柔らかい手だった。だけど、その手には強さと優しさを感じた。少女は僕の手を引いて、立ち上がらせる。

「力強いんだね」

「女の子にそんなことを言っちゃダメじゃろ」

 少女は唇を尖らせた。それがまた可愛らしかった。

「家に帰ろ!」

 少女は僕の手を引いて歩き始める。

「でも、家の方向がわからないよ」

「まだ、妾を神様だと信じてないのじゃな。さっきから言っている通り神様だから、この山のことはなんでも知ってるのじゃよ」

 少女はどんどん山道を進んでいく。一人だと怖かった夜の山道だったが、少女と一緒だと全然怖くなかった。

 物の数分で、山の出口についた。

「ほら言ったじゃろ」

 小さな胸を張って、威張る少女。

「女の子の胸について考えるのも、女の子の前だとご法度じゃぞ!」

「ご、ごめんなさい」

 少女はまた唇を尖らせて、腕を組んで怒りを表したが、すぐにクスッと笑った。

「早くお母さんに謝ってくるのじゃ」

「うーん」

 文字もじとする僕の背中を少女は叩いて、前に進ませた。

「感謝は特別な日だけにする物じゃないのじゃ。毎日伝えることも大事じゃぞ」

 少女はニコッと明るく笑った。そして、大きく手を振って「また来るのじゃぞ」と言った。

 僕は急いで家に帰ってお母さんにありがとうを伝えた。お母さんは僕を抱きしめて泣いた。胸の奥がキューッとして、僕もつられて泣いた。


 次の日のお昼、学校から帰ってすぐに森に向かった。

 僕は社の前にお手紙を置いた。それは少女に宛てた手紙だ。

「ありがとう」

 僕は社に向かって一礼して、森を後にした。

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