第2話 何気ない人間観察の末路

 始まりは本当にふとしたきっかけであった。


 僕の住んでいる部屋は喫煙が禁止されており、煙草を吸うためにはベランダに出る必要がある。またこの部屋はマンションの3階に位置し、隣接する神社の境内を一望することができるため、深夜に煙草を吸いながらぼんやりと神社を眺めるのが日課であった。隣の部屋から時折り聞こえる男女の言い争いや子供の泣き声に気持ちが滅入っていたので、煙草の時間が貴重なリラックスタイムになっていた。深夜の神社が持つ静謐な雰囲気が僕の心を落ち着かせてくれた。


 その夜もいつもと同じようにベランダで煙草を吸いながら神社を眺めていた。すると、いつもは誰もいない境内に人がいるのに気付いた。40代くらいの男であった。


既に深夜0時を回っているにもかかわらず神社に参拝するのは普通じゃない。僕は真っ先に丑の刻参りを想像したが、男は特にそういった素振りを見せず、ただ境内をグルグルと歩き回った後に神社を後にした。若干の気味悪さを覚えたものの、別に男は何か悪いことをしている訳でもないのでそれほど気に留めることは無かった。


その次の日も、同じ時間にベランダで煙草を吸っていると男が神社に現れた。そしてまた境内を歩き回り、帰っていった。そして気が付けばその男をぼんやりと観察するのが僕の日課となっていた。


 最初はただ深夜に神社を散歩しているだけの男だと思っていたが、3日目あたりから違和感を覚え始め、5日目で確信へと変わった。


街灯に照らされて見える男の左手から、毎日1本ずつ指が無くなっていた。5日目には左手の指が全て欠損している状態になっていたのだ。そのような凄惨な状態にもかかわらず、男の顔には幸せそうな笑みが溢れていた。


僕は流石に気味が悪くなったが、同時にある一つの思いにも囚われてしまった。


「この先この男を観察し続けると、最後にこの男は何をするのだろうか?」


僕は好奇心に負け、次の日からも男の観察を続けることにした。


 次の日、昨晩のことに加え、夜更けには収まったものの隣の部屋の声がいつにも増して大きく、僕の気持ちは欝々としていた。溜息を吐きつつベランダで煙草を吸いながら待機していると、いつもと同じように男は神社に現れた。だが、この日は少し様子が違った。右手にはスコップを持ち、腰からビニール袋をぶら下げていた。また、境内を歩き回るのではなく、神木へ一直線に向かった。男は神木の下の地面を右手のスコップでいそいそと掘り、その穴へ腰のビニール袋の中身を入れた。僕は用意しておいた双眼鏡で穴に入れたものを確認した。ソーセージのようなものが5本。指だ。おそらくはこの男の。


僕はギョッとしたが、そのまま男の動向を観察した。男はビニール袋から別の何かを取り出した。そしてそれを一度地面に置き、すくと立ち上がったかと思えば踊りながら神木の周りをグルグルと回り始めた。その踊りは盆踊りと陰陽師が行う禹歩が合わさったような異様なものであった。また、男は踊りながら何か低い唸り声を上げていた。呪詛のようなものかもしれない。それだけで僕を怖気立たせるには十分なのだが、男が地面に置いたものが何かわかった瞬間に、僕は思わず声を上げてしまった。


それは人間の目玉が4つと女性のものと思われる長い髪の毛の束であった。


僕は驚きのあまり手に持っていた双眼鏡を取り落としてしまった。双眼鏡のレンズ部分が割れ、大きな音が鳴った。男はその音を聞きつけたのか、踊りをぴたりと止め、あたりをキョロキョロと見回した。僕は部屋の中に隠れようとしたが、体が硬直して咄嗟に動くことが出来なかった。そして、とうとう男と目が合った。男は慌てるでもなく無表情のまま、こちらを指差した。何かを数えているようだった。僕はすぐに何をしているのか理解した。


僕の部屋番号を数えているのだ。


男は一度頷き、走り出した。真っすぐに僕のマンションに向かってきている。僕は恐怖でもつれる脚を叩きながら部屋から転がり出た。男と鉢合わせないことを祈りながら、僕は階段を駆け降りた。男の姿は玄関には無かった。背後のエレベーターの駆動音が聞こえた。エレベーターはたった今3階に着いたようだ。僕は少し安堵しつつ、マンションから全力で逃げ出した。その際、一度マンションの方を振り返ると、僕の部屋のベランダから男がこちらをじっと見つめていた。


その夜は友人の家に転がり込み、無理を言って泊めてもらった。事情を話す気にはなれなかったので、怪訝な顔をされはしたが。


 次の朝、眠っていた僕を友人が揺すった。


「なあおい起きろって、あれってお前のマンションじゃないか?」


友人はテレビの音量を上げた。眠い目を擦りながら僕はテレビに目を遣ると、即座に眠気は消え去った。


テレビのニュース番組で大写しになっていたのは僕のマンションであった。テロップには、「マンションの一室で母子の遺体発見、父親は捜索中」との文字があった。警察による立ち入り禁止のテープが巻き付けられていた部屋は僕の隣の部屋だ。そして画面の右上に映された父親の顔は間違いなくあの男であった。


「そういう、ことだったか…」


僕は独り言ちた。友人は僕の様子からある程度察したようで、この事件について詮索してくることは無かった。僕はその後、あの部屋には戻らず友人の家で寝泊まりをした。


 後日、僕は警察の聴取を受け、見たことの全てを話した。守秘義務があるからと詳細は話してくれなかったが、母子の遺体は目玉がくり抜かれていたそうだ。刑事は僕に引っ越しを勧めた。無論、そうするつもりであった。


 その後、僕は引っ越し先の物件を見つけたが、家財道具等は全てあの部屋に置きっぱなしであった。気は進まなかったが、回収しない訳にはいかないため、重い足をマンションへと運んだ。依然として、3階は物々しい雰囲気に包まれていた。


そしてかつての自分の居城へと足を踏み入れた瞬間、強い違和感に包まれた。部屋から逃げ出した時点での部屋の様子から、大きく変わっているのだ。食べた覚えのないレトルト食品のゴミ、空のペットボトルなどだ。僕は恐る恐る部屋の奥へと進んだ。間違いない、誰かが僕のいない間にここで生活をしている。思い当たる人物はただ一人…


「おかえり」


背後で野太い声がした。


何も終わってなどいなかったのだ。


<おわり>

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