怪談掌編 逢魔話
都利三
第1話 赤い紐の女
街を歩いていると、電柱や建物のフェンスなどに紐が括りつけられているのに出会ったことはあるだろうか。誰が何のために括りつけたのかわからない紐であるが、あまり誰が何のために括っているのか詮索しない方がいい、そんな話である。
僕には当時気になっていることがあった。それは電柱やフェンスといった、近所の至る所に括りつけられた赤い紐のことだ。初めて見かけた際は特に気にも留めていなかったのだが、その後街を歩いていると視界に赤い紐が入ってくる回数がみるみる増えていき、最終的には市内全域で紐が確認できるまでになった。
「どうせ呆けた老人が街を徘徊して括りつけてるんだろう」
というのが周囲の人間の予想だったが、それにしては紐が括りつけられているエリアが広すぎる。また、徘徊老人の仕業であれば誰か一人くらい周囲の人間が目撃していてもおかしくはないが、誰も紐が括りつけられる現場を見ていないというのだ。
「誰が紐を括りつけているのか、暴いてやろう」
謎が深まるほど、僕の中の好奇心は膨らんでいった。当時大学の単位も概ね取り終わり、モラトリアムを享受していた僕は暇潰しも兼ねて同じように物好きな友人も誘って犯人捜しに乗り出すことにした。
持て余していた行動力を発揮し、とにかく虱潰しに街を歩き回った。しかし、ただ手当たり次第に歩き回ってもタイミングよく現場に鉢合わせる訳もなく、何日か続ける内に僕と友人の気力は萎えていった。
その日もただひたすらに夕方まで歩き回った挙句に何の成果も得られず、溜息とともに帰宅しようとした時、友人が何かに気付き、ギョッと目を見開いて硬直した。
「なあ、あれ、ヤバくないか…?」
今いる通りから一本奥まった細長い辻の方を友人は顎で指した。その辻の最奥には、先日起こった火事で焼け落ちた家が生々しく残っており、今まさに燃えているように夕日に真っ赤に照らされていた。そして僕も気付いてしまった。
その家の前に___女がいた。
全身赤い服で身を包んだ異様に長身の女が髪の毛を振り乱し、ただただ一心不乱に焼け落ちた家の玄関先の門に赤い紐を括りつけていた。鉄製の門の鉄の部分が見えなくなるほどに何本も何本も…
人間、あまりに異常なものに出くわすとその場から動けなくなるもので、僕も友人も茫然としてその場から動けなかった。すると、女が突然こちらを振り返った。口は歯を剥き出しにして笑いを作っているものの、その目はこちらをじっと見据えていた。
僕たちは恐怖に囚われ、その場から逃げ出した。その後僕は一目散に自分のアパートの部屋に帰り、鍵を厳重に締め、布団の中で震えて過ごした。あの女の仕草や表情を思い出すだけで、全身の鳥肌が立った。
翌朝、恐る恐る部屋のドアを開けると、特に何の異常も無かった。僕は安堵の溜息を吐いた。その時、背後で携帯電話の着信音が鳴った。僕は思わずビクッと飛び上がった。おずおずと携帯電話を手に取ると、着信は友人からだった。
「おはよう、そっち大丈夫だったか…?」
「おはよう、うん、こっちは大丈夫だったよ」
友人のえらく暗い声の感じに僕は嫌な予感を覚えた。
「そっちは?どうだった?」
「ああ、こっちか…?なんというか、俺たちあんなことすべきじゃなかったんだよ。なんで俺なんだよ…うう…」
友人は今にも泣き出しそうであった。
「どうした、何かあった?」
「いるんだよ…」
友人の声の向こう側でドン!と何かが部屋のドアにぶつかる音がした。友人が小さく悲鳴を上げる。
「ちょっと待ってろ、今行くから!」
僕は震える脚を叩き、友人のアパートへ走った。アパートまでの5分間、恐怖と心配で頭がどうにかなりそうだった。そして到着した時、僕の目に飛び込んできたのは友人の部屋のドアノブに何重にも巻き付けられ、更にはポストにまで無理やり突っ込まれた赤い紐であった。
インターフォンを押しても反応が無い。震える手で僕はドアノブに手をかけた。キィと音を立ててドアが開く。
いなかった。誰もいなかった。
さっきまで友人がいたはずの部屋は、あたかも最初から誰も住んでいなかったかのような伽藍洞になっていた。
慌てて友人の携帯電話にコールを入れたが、
「この番号は現在使われておりません」
というアナウンスが流れるだけだった。
その後、友人は行方が分からなくなったままである。どうやら家族から捜索願も出ていないようで、友人が住んでいた部屋も何事も無かったかのように次の入居者が決まった。最近では、友人に関する僕自身の記憶も急速に朧げになってきている。
さっきからずっと僕は友人を「友人」と呼称しているが、もう名前も思い出せないのだ。
結局、なぜ友人だけが選ばれてしまったのか、今でも僕にはわからない。たまたま何かの波長が合ってしまったのだろうか。あの赤い紐の意味するところも不明である。ただ、何か極めてよくないモノということだけは確かだ。
あれから5年が経った今も僕はこの町に住んでいるが、時々あの赤い紐を見かけることがある。あの女は、今日もどこかで赤い紐を括りつけているのだろう。
<おわり>
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