いつか閉じ込めるよ

@altyhalc

いつか閉じ込めるよ

その時、柏原直生には何が起こったのか理解ができなかった。

自分の血で染まった地面、ぶつかった衝撃で折れ曲がったガードレール、少し離れた場所には横倒しになった大型トラック、悲鳴を上げる通行人。まるで映画のワンシーンのようにゆっくりと流れる風景をぼんやりと眺め救急車のサイレンを聞く中、意識を失った。

病院のベッドで目を覚まし、医師から聞かされた言葉はこれからの人生を悲観させるような一言だった。

「下半身の麻痺により、これから車椅子を使用した生活となります」


高校卒業後に就職した中小企業がつぶれ、次の会社が決まるまでと始めたコンビニバイトの深夜シフトが終わり帰宅しようとした直生にドライバーの居眠り運転という災難が降りかかったのは4年前のことだ。

動かなくなった下半身を自覚するにつれ事故を起こした相手に恨む気持ちが出てきたが、激務に疲れ果て気絶するように眠ってしまったそうだと保険会社の人間から聞かされて、その気持ちも消え失せてしまった。

介護用のベッドの上でまどろんでいたら久しぶりに事故当時の夢を見てしまい、冬だというのにじっとりとした冷や汗をかいたことによって少し癖のある前髪が額に張り付いていた。

「どうかしたのか、ナオ?」

ベッドサイドから張り付く前髪を優しくなでつけてくれる長い指先が伸びた。横たわった体を気持ち程度に声がしたほうに傾けるとこちらの様子を気遣わしげに覗く幼馴染である後藤悟の顔がある。軽い深呼吸をしてガス圧式昇降のベッドテーブルに置いてあるリモコンを手に取り、会話がしやすいようにベッドヘッドを操作して悟と目線を合わせた。

「いや、久しぶりに事故の日のことが夢に出てきちゃっただけ」

「……大丈夫か?」

再び指先が額に触れあやすように頬まで撫でる動作を繰り返す悟に力ない笑みを返す。

「悪い、ちょっとウトウトしていただけなんだ。俺は平気だから仕事に戻ってよ」

「仕事なんていいんだよ。ナオのほうが大事なんだから」

そう言って折り畳み式の車椅子を取り出し直生の体を大事な宝物のように抱き上げ、その上にそっと降ろす悟に感謝の気持ちがこみ上げるとともに自分の身の回りの世話なんかをさせる負い目を感じずにはいられなかった。


事故当時、勤めていた会社に通勤しようとしていた悟は横断歩道の向こうで直生を見つけ事故の一部始終を見ていた。救急車に搬送される直生に寄り添いずっと涙を流し手を握っていたという。医師から車椅子生活を言い渡されて絶望していた直生を慰め、それまで積み上げていたキャリアを放り出し直生の介護に集中するため一緒に暮らせるように取り計らい、在宅で仕事をするようになった。

ただの幼馴染でしかない自分になぜそこまで献身的になってくれるのかと一度だけ聞いたことはあったが、ただ優しく微笑まれてはぐらかされるだけだった。

「汗かいているみたいだから風呂に入ろうぜ」

「……うん」

脱衣所に車椅子ごと移動させられて服を脱ぐように促され仕方なしに服を脱ぐ。上半身の服を脱ぐ間、下半身の方は悟にされるがままである。数年間も世話をされているのだからいい加減に慣れたいものだが、感覚のない下半身を持ち上げられ下着も取り払われた姿をさらしてしまうことに対してどうしても羞恥心がこみ上げてしまい体を固くしてしまう。全裸になった直生を浴室に連れていき、濡れないよう車椅子を脱衣所に持って行った悟は自分も入るべく全裸になって戻ってきた。

シャワーを手に取り温度を確かめてから直生の体にゆっくりとかけていき、頭から全身を丁寧に洗っていく。体についた石鹸を流し終えてから浅く湯を張った浴槽に一緒に入り、溺れないように後ろから抱きかかえられるのもいつものことだがやはり慣れない。

「なあ、世話してもらっておいて言うのもなんだけどさ、この入り方って変じゃないか?」

「確かに普通ならやらないだろうな。でも、風呂って家の中で一番事故になりやすいじゃないか。ナオに何かあったら怖いから俺がすぐ対処できるように見ておきたいんだよ」

目の前で幼馴染が事故に遭ったという出来事は悟に相当なトラウマを与えてしまったらしく、あらゆる危険に過敏に反応するようになってしまった。そう言われてしまうとトラウマを与えてしまった張本人としては強くは出れず、ただ「そうか……」と呟きうなだれるしかできなかった。


入浴で上昇した体温と羞恥によって赤く染まった直生のうなじを見下ろしながら、悟は声を立てずに口角をあげていた。

悟は幼いころから一緒に育った直生にも言っていない秘密があった。それは直生を恋愛対象として見ていたことだ。

確かに直生が目の前で事故に遭ったことは悟の心に深い傷を負わせた。しかし、それによって不自由な生活を送ると聞かされたとき、チャンスが舞い降りたと思ったのだ。

共に暮らし生活のすべてを保障し直生が自分だけを頼るように仕向けられるチャンスだと。

そんな歪んだ思いに気づかずすっかり信頼してその身を預ける直生を悟は背後からそっと抱きしめた。


背後にいる悟がどんな表情をしているかなど、直生には知る由もなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いつか閉じ込めるよ @altyhalc

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ