第2話 アプリ、アプリ、アプリ

「おはよー、久しぶりー、みんな」

 あたしは、元気よく挨拶しながら教室に入った。

 久しぶりの登校が嬉しくて、早めに学校に来たんだけれど、他のみんなも同じ気持ちだったのか、もうクラスメイトの殆どが教室に入っていた。

 あたしの元気な「おはよー」に対して、クラスメイト達の反応は、数人が顔を上げて、あたしを見ただけだった。

 あれっ? みんな、まだマスクしてる。


 まあ、いいか。オンライン授業が2年以上も続いたから、久しぶりで、戸惑いがあるよね。実際のところ、同中おなちゅう以外の人とは、今朝が初対面って人も多いしね。

 入学式も、一応体育館で実施はされたけれど、在校生も保護者もいなくて、校長先生の式辞の後、校歌がスピーカーで流されて終わりで、マスクしてたから顔全体を見たこと無いんだよね。高校生活に関する冊子とプリントを受け取って、すぐに帰宅して、それからほぼオンライン授業だったし、たまの登校日もマスクしてたし、数時間で帰宅だったし。


 でもさあ、部活も体育祭も文化祭も中止になって、ようやくアフターコロナになったんだから、卒業までの残り数か月、今まで青春を謳歌できなかった分を思いっきり取り戻したいよね。みんなも同じ気持ちのはずだよね。

 まあ、あたしは、なんとか看護系専門学校のオンライン入学試験に合格したけど、まだ進路が決定していない人もいるかもだし、その辺は気を使いながらになるとは思うけどね。


 教室を見回すと、幼なじみの詩香シーカは机の上に本を広げて読んでいるようだった。小1からの付き合いだから、後ろ姿でもすぐに分かる。

「おはよー、詩香」

 あたしは、コロナ以前と同じように、詩菜の肩をポンと叩いた。

いった―! 月子ったら、いきなり何するのよ」

 詩香は、ご機嫌斜めそうにあたしを見上げた。詩香もマスクをしていた。眉と目しか見えないから、なんだか凄みを感じる。

 なんだか、マスク顔の周囲のクラスメイト達も、一斉にあたしを見たような……。

「ゴメン、ゴメン。そんなに強く叩いたつもりじゃなかったんだ」

「教室に入る前に、ちゃんと手指の消毒したでしょうね?」

 詩香は、怪しむようにあたしを見た。

「うん、した、した。ちゃんと念入りにモミモミスリスリして爪の先まで消毒した」

「それでも、いきなりのタッチはマナー違反でしょうが」

 詩香は、本気で怒っているようだった。

「ゴメン。悪気はなかったんだけど、久しぶりで嬉しくて、つい、ね。気を付けるから、機嫌直してよ」

「もし感染したらゴメンじゃ済まされないよ。マスク早く付けてくれる?」

「え? まだマスクしなきゃいけないの?」

 だって、WHO(世界保健機関)が新型コロナウイルスの終息宣言したじゃん。

「誰だって本当はマスクなんかしたくないよ。だけど、まだウイルスが死滅したわけじゃないから、万が一でも感染者が出ないように自粛してるの!」

 詩香の目は、昔から凄味があって怖い。

 ポケットを探ると、マスクが入っていた。良かったー。きっとお母さんが入れてくれて……ん、登校日に使ってポケットに入れたまま忘れてたのかな。まあいっか。あたしは急いでマスクを付けた。

「詩香、本当にゴメン。もうタッチしないし、マスクもちゃんとするよ」

 あたしは、確かに迂闊うかつだったかもと、心底反省した。


 反省はしたけど、詩香があたしを月子と呼んだような気がするのは、やっぱり気になった。

「それより、詩香。さっき、あたしの名前、月子って言った?」

 きっとあたしの聞き間違いだよね。お母さんには言われたけれど、詩香にはまだ話してもいないし。

「月子に改名したことくらい知ってるよ」

 詩香は、平然と答えた。

「なんで? お母さんからは確かにそう言われたけど、呼び名を変えるだけだよ。日本て、そう簡単に改名できないよね?」

特措法とくそほうアプリ知らんの? 不都合な氏名については、オンライン手続きで速やかに改名できるし、受理と同時に関係機関に通知されるから、あんたは、もう学校でもどこでも月子だよ」

 詩香の視線が、いつになく冷たい気がするのは、あたしの思い違い? なんだか、周囲のクラスメイト達の目も、何か言いたげにあたしを見たような気がした。

「トクソホウ?」

特別措置法とくべつそちほう、今や必須のアプリじゃないの」

 へー、そうだったんだ、と思ったけれど、それより気になったのは、あたしの名前のことだった。

「特措法アプリは分かったけど、でも、あたし、改名は納得できないんだよね。陽子って、ちょっと古風な響きで気に入ってたし、幼なじみ4人、瑛太エータ毘偉斗ビート詩香シーカ陽子ヨーコで、なんか響き的にも馴染んだ感あったじゃん。今さら月子に改名なんて、あたし、詩香にだけは陽子って呼んで欲しかったのに」

「月子、あんたって、やっぱりKYS。友達やめたい」

 詩香は、あたしを睨みつけた。

「詩香、友達やめたいなんて、冗談きつすぎ。それにKYSって何?」

 あたしは、楽しくはなかったけれど、きっと冗談だと思って、笑いながら言った。

「周囲を見て分かんない?」

 言われた通りに見回すと、周囲のクラスメイト達が、何だかあたしを見ていた。

「KKYと一緒に居ると私まで同じ目で見られる。もう月子とは話したくない」

 詩香は、横目であたしを睨んだ。

「詩香、ゴメン。よく分からないけど、とにかくゴメン。謝るから、友達やめるなんて言わないでよ。あたし、どうしたらいい? お願い、教えて。何でも詩菜の言う通りにするから」

 詩香は、深―い溜め息をついた。

「月子、あんたスマホに、KYアプリ入れてないとか、ないよね?」

「KYアプリ? 何それ、初めて聞く」

 あたしがそう答えると、詩香は、また長―い溜め息をついた。

「ああ、もう、いちいち呆れるのに疲れたわ。あんたのスマホ貸して」

 詩香が手を差し出す。

 あたしがポケットから自分のスマホを出して渡そうとすると、詩香は首を振った。

「まず、スマホ消毒してくれる? スマホ用のウエットクリーニングティッシュ持ってるよね?」

 あたしは、てへへ、と頭を掻いた。

「あ~もー、あんたってば」

 詩香は、ポケットからウエットクリーニングティッシュを出し、1枚取り出すと、それであたしのスマホを受け取って、そのままあたしのスマホをふきふきしてから、アイコンをいろいろいじり始めた。と思ったら、すぐにまた、あたしを睨んだ。

「ちょっと月子、あんた、電話番号まだ以前のまま」

「うん、今朝、お母さんに、なるべく早く変更手続きするように言われた」

 あたしは、てへへ、と笑って頭を掻きながら答えた。

「まずは電話番号変えるところから自分でやって。もう面倒見切れん」

 詩香は、あたしにスマホを突き返した。


 教室の教壇側の引き戸が開いた。入って来たのは担任教師らしい。マスクしてるから、顔は半分しか見えない。

 担任は、教壇の真ん中に立った。

「ホームルームを始める。まだ席についてない約1名、早く着席して」

 約1名とは、あたしのことだった。

「それじゃあ出席確認するぞ、いいな?」

 担任はタブレットを操作しているようだった。名前は、えーっと、飯名いいな先生だったかな。

宇加津うかつ月子は欠席か?」

 飯名先生は、タブレットを眺めたまま訊いた。

「先生、出席してます。ここです」

 飯名先生は顔を上げて、手を上げているあたしを睨んだ。

「お前が宇加津月子か。なんで出席届けを出さん。お前だけだぞ。早くせんか!」

「あの、出席届けって、どうやったらいいんですか?」

 だって、あたしは本当に知らなかったんだもん。

「スマホの本校生徒用アプリからに決まっているだろうが。そんなことも知らんのか、この迂闊うかつ者が」

 飯名先生は、呆れたようにあたしを見た。

「すみません。あたし、まだそのアプリ入れてなくて」

 飯名先生は、目をむいた。

「じゃあ、お前は今日は欠席扱いだ。いくら担任でも、本人に代わって出席届けは出せん。個人情報は厳密に管理されなくてはいかんからな。早くアプリをインストールしろ、いいな?」

「はい、分かりました」

 飯名先生に睨まれて、嫌ですとは言えなかった。出席しているのに欠席扱いだなんて、とほほ。

 なんだか、まわりのクラスメイト達がクスクス笑っている声が聞こえたような気がしたけれど、みんなマスクをしているから、表情は全然見えない。


「よし、今日の連絡事項はアプリに表示されている通りだ。授業もアプリの連絡通り。極力接触を減らし飛沫も減らす為に、ホームルームは以上。いいな?」

 クラスメイト達は、声は出さずに頷いた。

「非常によろしい。みんな飛沫防止を徹底できているようだな」

 クラスメイト達は、再び声を出さずに大きく頷いた。


 飯名先生、いいな?って言われても、あたし、全然良くないです。本校生徒アプリをまだ入れてないあたしは、何にも分からないんですけど。特措法アプリに、KYアプリに、本校生徒アプリ、あたし、どうしたらいいんですか?


「こら、宇加津うかつ月子、ぼけっとするな。アプリは早急にインストールするんだぞ、いいな?」

 あたしは、仕方なく、クラスメイト達を見習って、声を出さずに大きく頷いた。

「よろしい」

 飯名先生は教室を出て行った。クラスメイト達も、何か準備をして整然と教室を出て行く。どうやら1時間目の授業は別の教室に移動らしい。

 あたしは、とほほ。

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