第6話 魔獣と人間2

 森を人間側へ抜ける。道なりを避け、大きく迂回しながら進む。

 人間の縄張りにここまで踏み込んだのは初めてだったので、心臓の鼓動が止まらなかった。数メートルごと、すこしずつ蛇行して近づく。しばらく歩くと、いくつかの建物が目についた。


 適度な距離のところで死角に隠れ、周囲に目を凝らした。

 どの住居も明かりはついていない。全員が寝静まっている証拠だ。

 私は警備の者がいないことを確認すると、一気に村の中に侵入した。


 忍び足で、それでいてすばやく、できるだけ物音立てないよう慎重に行動する。

 もし誰かにばったり遭遇してしまったら、すべては水の泡だ。あたりを警戒しつつ、建物の影から影へ溶け込んでいく。


 村長の家はすぐに見つかった。

 村で一番大きな家というのをフィーネから聞いていたので、見間違うことはなかった。


 どうやって中に入ろうかと悩んでいると、幸運なことに窓がわずかに開いていた。私は迷わずふちを掴むと、身体を内部へ滑り込ませた。


 当たり前だが、室内は静まり返っていた。

 月の光に照らされ、物の配置などある程度は判別できたが、それでも何かにぶつかったら大変だと這いつくばって移動する。


 ふと、2階にはフィーネが寝ているという事実がかすめる。


 フィーネの寝顔はどんなだろう。


 会いたい思いが沸き上がり、一目そのまなざしを見たい気持ちが込み上げたが、すぐに邪念を追い払った。

 いまは花の情報を得るのが第一だ。


 私は意を決すると、とりあえず眼前のドアノブに手をかけ、音が鳴らないようゆっくりと開けた。目を見据え、中の様子を伺う。


 そこは書斎と呼ばれる場所だった。

 壁面にはいくつもの棚があり、そのどれも本が所狭しと並んでいる。

 

 これらすべて人間が記した書物なのだろうか?


 多くても数10冊程度かと楽観視していたため、あまりの膨大な数におもわず尻込みする。この中から目的の物を探し出すのはかなり骨の折れる作業に思えた。


 でも、弱音を吐いてはいられない。

 むしろこれだけの数なら、あの花についての記載がある本が見つかるに違いない。


 私は近くのロウソクに明かりを灯すと、無造作にその中の1冊を手に取った。

 文字ばかりで挿絵すらない。

 これは違うなと、横によける。


 次に掴んだ本にはここら一帯ではない、様々な異国の風景が描かれていた。

 植物の本ではなかったが、なんとなしに読み進めると、物珍しいモニュメントや風変わりな服装が目に入った。場所によって様式がこんなにも違うものなのかと感嘆する。さらにページをめくっていくと、遠い北国の情景を記した場面が飛び込んできた。

 そこは寒い気候の国なのか、一面に雪が積もり、木々も建物もすべてが白く覆われていた。


「こんな風になるんだ……」


 バキオネー村近辺の気候は暖かく、雪が降ることはない。


 熟読していくと、どうやらこういう景色のことを銀世界というらしい。雪は白なのに、銀と表現することに違和感を抱きながらも、間近な雪国の美しさに目を奪われ、おもわず魅入ってしまう。

 しばらく茫然と眺めていたが、はっと我に返り、本をぱたんと閉じた。


 危ない。完全に目的を忘れていた。


 本は無数にあるのだ。気になるからといって関係ないものを読んでいては夜が明けてしまう。

 私は気を取り直し、次々に本を取り出すと、それらしいものがないか片っ端から開いていった。


 どれくらい経っただろう。諦めが滲み、動作がおざなりになり始めたとき、ある本の表紙に目が止まった。

 見たことのある植物の絵が模写されている。もしかしたら目的の図鑑かもしれない。期待を胸に本をめくると、どのページも花のスケッチとそれに対する説明文が記されていた。


 これだ!

 この本なら、フィーネの髪飾りの花についても記述があるはず!


 高揚する気持ちを押さえつつ、今度は最初からじっくりと読み始める。フィーネの花を見逃すことないよう、細心の注意を払いながら1つ1つ丁寧に時間をかけていく。


 半ばまで来たところで、それらしい花が目についた。


 形はそのままだ。色も白と合っている。

 本に描かれた造形と、記憶とを照らし合わせる。


 間違いない。この花だ。フィーネの髪飾りの花だ!


 宝物を発見したような興奮に包まれるなか、より細かに内容を知ろうと文字を目で追った。


 正式名:アネモネ・シルベストリス。

 別名:スノードロップアネモネ。

 花言葉は清純無垢。


 のっけからフィーネにぴったりな言葉が出てきたことに胸が躍る。


 フィーネに髪飾りをあげた旅の人は、きっとこの花を知っていたのだろう。彼女に似合っているからこそ、数ある草花の中でこの花を選んだのだ。


 予想以上の収穫に心が満ち足りる。この時点で目的は十分だったが、せっかくだし、もっと生態を把握しようと視線を本へ戻した。ところどころ専門的な用語があり、意味を完全に理解することはできなかったが、それでも1つの文言が目に留まった。


 どうやら花びらだと思っていた部分は“がくへん”と呼ばれるもので、花弁かべんというよりは葉っぱに近いものらしい。


 意外な事実に感銘を受けるとともに、生命の神秘に驚嘆していると、ある考えが頭に浮かんだ。


 花びらでないのなら、散ることもないのではないか?


 “がくへん”についての注釈が後半部分に載っているとのことだったので、説明も途中にそちらを検索する。

 これまた学術用語のオンパレードで内容はチンプンカンプンだったが、どうやら花のなかには冬になって枯れても“がくへん”が残り続けるものがある、ということだけは理解できた。


 フィーネの花もそうあってほしい。

 元のページに戻り、期待を込めて再度文章を読もうとしたとき、背後から人の声がした。


「魔獣の子がうちに何用かな?」


 息を飲み、身をひるがえす。

 月明かりに照らされ、白髪の杖を突いた老人の姿が露呈ろていする。この村の村長であり、フィーネのお爺ちゃんであるその人物が、部屋の中に立っていた。


 太陽が消えて下げられた空気とは違う、急激に凍らされた緊迫感が室内を充満する。伸びきった灰色の眉毛から覗く眼光は鋭く、暗闇でもはっきりとわかるほど冷たい。

 私は睨まれて石になったように、本を手にしたまま微動だにできなかった。


 あらゆる感情が殺され無心のまま愕然がくぜんとしていると、刺すような目つきが急に和らいだ。

 その瞬間、老体ながらも修羅場をくぐり抜けた歴戦の武術者は、気のいい好意的な老人へと変化した。


「本はお好きかな?」


 驚かせてしまったことを申し訳ないと思っているのか、穏やかな口調でフィーネのお爺ちゃんは話しかけてきた。表情は柔らかく、さっきまでの冷淡な視線は、長い眉毛に完全に隠れてしまっている。


 それでも、無断で侵入したことが露見してしまった恐怖心から、身体はすくみ上がり動かなかった。緊張でこわばっていると、入口の方からドンドンと強い音がした。


「村長! 門を開けてくれ!」


 びくりと体が跳ねる。


 人間だ。

 調子に乗って長居しすぎた。物音に気づいたフィーネのお爺ちゃんが通報したのだろう。もう逃げ場はない。


「魔獣が村に忍び込んだらしい。それも村長の家に入ったというのを見たという人がいる」


 どういうことだ?

 フィーネのお爺ちゃんが密告したわけではないのか?


「あいつめ……わしが一向に騒ぎ立てぬから、村人たちを扇動したな」


 苦虫を噛み潰したよう、眉に力を込める。


「入口は人がいる。裏口から逃げなさい」


 フィーネのお爺ちゃんはすぐにドアの前から退くと、私に部屋からで出るよう指図した。


 何がなんだかわからない。

 なぜ助けようとする?


 混乱している私とは正反対に、フィーネのお爺ちゃんは至極冷静だ。


「村長、無事なのか!? 返事がないなら無理矢理入るぞ!」


 再度大きく扉が叩かれた。


「さあ、早く行きなさい。村人たちはわしが足止めしておく」


 絶えなく湧く疑問をいちいち考えている暇はない。この騒ぎでフィーネが起きてくることだってありえる。

 私は縮んだバネが反動で跳ねるがごとく、持っていた本をその場に投げ捨てると、フィーネのお爺ちゃんが示した裏口へ向かった。ドアに手をかけたとき、もしかしたらウソかもしれないと一瞬疑心が宿ったが、フィーネが優しいと信頼していた村長がそんなことをするはずがないと力を込めた。


 村人はみな入り口に集まっているらしく、裏通りには誰もいなかった。

 チャンスと言わんばかりに、一気に駆け抜ける。


 走るたびに村の喧騒は遠のいていった。

 これなら無事に脱出できる。

 村の出口が見え、そう安堵したとき、複数の男たちに道を塞がれた。


「逃がしませんよ」


 聞き覚えのある声に目を見澄ます。


「……ヤラク」


 大男の脇から姿を現したヤラクは、あいかわらずひしゃげた笑みを浮かべていた。


「お前が村人に私がいることを教えたのか?」


「ご賢明。そのとおりでございます」


「なんで!?」


「なぜ? お金になるからですよ。子供は高く売れるのです。それも魔獣の女の子となれば格別。物珍しさから大金を出す者はたくさんいるでしょうな。まあ、変態どもの手に渡らずとも、いずれは王となろうとしている者の妹君。魔獣に対して優位性を保ちたい人間のいい交換材料となりましょう。もっとも兄上が激昂して人間に戦争を仕掛ければ、それはそれで武器の売買や傭兵の派遣など、さらに儲かりそうではございますが……」


「……お前、最低だな」


「なんとでも。どうせあなたはここから逃げることはできません」


 引き返そうにも、すでに周囲はヤラクに雇われた屈強な男たちによって完全に囲まれていた。ネズミ一匹通さないその包囲網に、諦めの色が浮かぶ。


「くっ……」


 ここまでなのか。

 せっかく花飾りの情報を得ることができたのに。

 フィーネに喜んでもらえると思ったのに。


 悔しくて涙が出た。


 自分が危険にさらされていることよりも、いま捕まってしまったら、自分の想いをフィーネに伝えられない、そのことが悲しかった。

 けして気まずさから別れたのではない。最後までフィーネのことを考えていた事実を知らせたかった。


 ヤラクは涙が恐怖からかと勘違いしたのか、勝ち誇り不気味にほくそ笑んだ。黒く汚い手が私を掴もうと伸びてくる。 


「少女売買とは聞き捨てならぬでござるな」


 すぐ近くから聞こえたそのセリフと共に、隣で私を見張っていた大男がバタンと倒れた。

 突然の出来事に、私だけでなくヤラクも唖然とする。


 大男の広い背の後ろから現れたのは2つの影が顔を出す。

 1人は青年、もう1人は……カエル!?

 直立して歩くカエルに驚いていると、その後ろから今度は髪がピンク色で、鉄の仮面をつけた女性が顔を出した。


「なんだ、お前たちは!?」


 あきらかに怪しい集団の登場にヤラクも動揺している。


「さしずめ正義の味方と言ったところでござるよ」


 カエルゆえに表情はわからなかったが、なんだがしたり顔をしたような気がした。反面、その言葉を受けたヤラクはバカにしたように目を細め、顔を引きつらせている。


「拙者、なにか変なことをいったでござるか?」


「視覚、表情筋カラ判断しますトコロ、いまのサイアスさんの言葉は自称正義の味方の99%が登場時に口にスル非常に凡庸的な発言であり、そのボキャブラリーの貧相さから呆気にとられていると思われマス」


 カエルは黙ってしまった。


「いまのうちだ」


 いつのまにか真横に来ていた青年が耳元でささやく。


「サイアスとリィカのやりとりに気を取られているうちに、早く逃げろ」


「えっ?」


「騒ぎが大きくなったら、村の者たちも集まってくる。いましかない」


 たしかにいまのつまらないかけ合いにヤラクたちは言葉を失っている。私は覚悟を決めた。


「ごめんなさい!」


 そう叫ぶと同時に、一目散に森へ向かって駆け出す。青年が誰だとか、カエルが何でしゃべっているのかとか、そんなのはどうでもいい。いまは一切の感情を捨てて、無事に帰ることが先決だ。


「逃がすな! 追え!」


 慌てたヤラクが大男に指示を出す。だが、すぐさま青年たちが行く手を塞いだ。


「残念ながら、通すわけにはいかないでござるよ」


「なんなんだ、お前たちは!?」


 ヤラクはあきらかに苛立いらだった口調で唾を飛ばす。


「だから、正義……」と言いかけて、カエルは口を結んだ。


「星の未来を本来のあるべき姿に変えるため、アナタ方にはここでやられてもらいマス」


 ピンクの女性はどこからともなく巨大なハンマーを取り出した。


「さすがに殺生はしないでござるが、すこし痛い目にあってもらうでござるよ」


 カエルも刀を抜く。


「貴様ら……」


 怒りにわななくヤラクは、部下たちに一斉攻撃の命令を下した。各々得物を手に、大男たちが襲い掛かってくる。

 激しく金属のぶつかる音が、深夜ののどかな村に響いた。


 * * * 


「無事に逃げ延びたみたいだな……」


 あたり一面を見渡せる丘の上から、静閑せいかんとした森を眺めて青年はそう言った。


「アルド、よかったでござるか?」


「なんだ?」


「いや、あそこでアルカナ殿を討てば、フィーネ殿は——」


「それ以上言わなくていい、サイアス」


 アルドと呼ばれた青年は手で言葉を制した。


「俺はフィーネの悲しむ顔は見たくない。それに……過程はどうであれ、結果フィーネは戻ってきてくれた。それで十分だ」


「そうでござるか……」


 サイアスと呼ばれたカエルは口を閉じると、それ以上言及しなかった。


 さっきまで聞こえていた村人たちの物々しい声も、いまはほとんど聞こえない。いつまでも見つからないアルテナに業を煮やして寝付くことにしたのだろう。


 ヤラクは縛り上げて放置しておいた。どうなるかはわからないが、魔獣王の妹をさらおうとしたことがわかれば、もうこの地にとどまることはできない。


 アルドは出したままだった剣をしまった。


「殺された未来を救うように、殺された敵も救うことができる」


 誰にいう訳でもなく小声でつぶやく。

 妹であるフィーネの言葉だった。


 いままでは自分の身の回りにいる人や、自分たちに力を貸してくれる人を助けることばかり優先してきた。もちろん何の罪もない人たちを無視しているわけではない。ただ順位として、それらの人のほうが高かった。だから、敵を救うなど考えたこともなかった。


 たが、フィーネは違った。


 あの子はすべての者を救済したいと願った。

 自分にひどい目を合わせた魔獣たちにすら手を差し伸べようとした。

 あらゆる種族の垣根を越えて、平和に共存する未来を作りたいと懇願していた。


 空を見上げる。暗い空をうめつくほどの無数の星々が、満遍なく輝いている。


 俺はこの地を本来あるべきものに戻すため、いくつもの時代を行き来することができる。


 なぜそれが自分なのか、理由はまだわからない。

 でも、フィーネの想いに、その答えの1つがあるような、そんな気がした。


 必ず探し当てて見せる。

 すべての殺された未来を救う手立てを。

 魔獣と人間が共存し、お互いが笑える、本当の意味での幸せを。


「帰ろう」


「そうでござるな、拙者、腹が減ったでござるよ」


 踵を返したアルドに、サイアスがのんきにそう嘆いた。


 アルドは彼の能天気さにすこし表情を崩すと、呼び寄せてあった巨大な船に乗りこんだ。船は天に向かい大きく羽ばたくと、流星となって光り輝き、まだ見ぬ世界へと旅立っていった。

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