第5話 魔獣と人間1

 もう人間の森には近づくな。


 フィーネの兄が放った言葉が、のどに引っ掛かった異物となって残留ざんりゅうし続けている。


 彼は正しい。

 挙句、あの発言がフィーネを魔獣から遠ざけたいという一心だけでなく、私のことを案じての言動だということもわかっている。このまま人間に介入していけば、この身の安全は保障できない。フィーネ自身も魔獣と関りがある者として、村人たちから煙たがられることだってある。いくら村長の保護下にいるとはいえ、所詮は素性のわからないよそ者。いつ追い出されてもおかしくはない。


 もう会わずにお互いのことを忘れること。それが2人とって最善なのは間違いない。


 それなのに、頭に浮かぶのはフィーネことばかりだった。


 わがままで身勝手なのは重々承知している。

 でも、私はまだフィーネと離れたくない。


 鏡に自分の姿を映す。

 寝てないためか、それとも泣き疲れたためか、目の下にはひどいくまができていた。


 自分が人間だったら、フィーネと一緒に居られる?

 フィーネが同じ魔獣だったら、ずっとそばにいてくれる?


 理不尽な運命に嫌気が差す。

 そもそも、なぜ魔獣と人間でいがみ合うのか?


 兄貴は人間が魔獣の領土を侵したからだと言っていた。

 自己中心的で傍若無人、私利私欲しか頭にない、横暴な存在だと。


 たしかに私を罵倒した子供たちは、兄が言ったとおりの人間だった。


 でも、私が最初に出会ったフィーナはそのどれも当てはまっていない。むしろ何もかも逆だ。


 肌の色が違えば、憎しみ合わなければいけないのか?

 髪の色が異なれば、争わなければならないのか?

 角が生えているのとそうでないとでは、敵と味方として別れ、殺し合わなければならないのか?

 姿形が別なことは、それほどまでの罪なのか?


 ベッドに倒れこむ。

 俺たちにはどうすることもできない、そう諦めたフィーネの兄と同じく、私ごときがどうあがこうと種族の共存は遂げられない。


 不甲斐ない自分にやきもきする。

 吐き出せない感情にイライラしながら寝返りを打つと、ふと太ももの付け根に異物を感じた。

 何かと思いポケットをまさぐると、あのとき渡された欠けた髪飾りの破片が出てきた。


 怒りをぶつける代わりに、破片を力強く握りしめる。尖った部分が手のひらに食い込み、皮膚を赤く変色させた。だが、どうでもいい。

 血が滲み、肌が裂けようとも、フィーネと離れ離れになる辛さに比べたらなんてことはない。


 フィーネに会いたい。

 ずっとそばであの笑顔を見ていたい。


 でも、それは叶えてはいけない夢だ。


 なら、せめて最後にお別れを言いたい。


 ただ、いま闇雲に会いに行っても困惑させるだけだろう。お互い晴れやかな気持ちで、フィーネにさよならを告げたい。


 いったいどうすれば……。


 雷鳴に打たれたように脳裏にアイデアがひらめく。


 私は掴んでいた欠けた花びらを見つめた。

 答えは手のひらの中にあった。


 花の髪飾りだ!


 新しい髪飾りをプレゼントすれば、フィーネはきっとまた笑ってくれる。それに、2人の思い出を形として残すことができる。感謝の気持ちを何か形にして渡したかったとなれば不審がられることもないし、出会う明確な理由にもなる!


 たとえ、いつか壊れてしまい、バラバラになってしまったとしても、いまはそれだけで十分だ。


 私は勢いよくベッドから身を起こすと、欠けた花びらを注意深く観察した。


 思いついたら行動だ。

 材料である白い花はあの森に生育していると言っていた。人目を忍んで摘んでくればいいのだから、確保は容易だ。

 プリズマによる結晶化は、初の試みだし正直うまくできるかわからない。でも、迷っている場合じゃない。絶対にやり遂げなくてはならない。失敗してもいいように、花はたくさん用意しておこう。


 一番キレイにできたものをフィーネにあげよう。

 真新しい髪飾りを付けたフィーネは、いつも以上に可愛いに違いない。


 ただ、単に新しい物を贈るだけでいいのだろうか?

 もっとあの花について、詳しく調べるべきではないだろうか?


 せっかく手間をかけて作るのだから、できるだけ情報は得ておいたほうがいいような気がした。

 それに私があの花についていろいろ知っていたのなら、フィーネはきっと驚く。

 びっくりさせたいという、いたずら心に胸が弾んだ。


 私はさっそくあの花の特徴を紙に描くと、それを持って庭にいる兄貴の元へ向かった。


「アニキちょっといい?」


「なんだ」


 兄貴はこちらに視線を動かすことなく、あいかわらず剣を振り続けたままぶっきらぼうに答えた。すでに全身汗だくで、息も絶え絶えだ。


「ちょっと、見てほしいものがあるんだけど……」


 そこまで問いかけて、やっと兄貴は剣を持つ手を止めた。いぶかしげな表情をする兄貴に画用紙の花を突き出す。


「この花の名前を知ってるかな? 白い花びらが5枚で真ん中が黄色で——」


「知らん」


 すこしチラ見しただけで、兄貴は投げやりにそう言った。


「花の名前など、わかるわけないだろう」


 期待はしていなかったが、あまりにそっけない返事だった。


「そもそも花の名前など人間が勝手につけたものだ。魔獣はいちいち花に名前など付けはしない」


 そのおりだ。人間と魔獣では文化も環境も違う。花の特徴は伝えど、名前で呼ぶことはない。

 身内で知っている者がいるかもしれないという安直な考えは、はやくも壁にぶち当たった。


 やはり人間に聞くしかないのか?


 でも、フィーネはこの花のことを知らないし、かといって他の人間に訊ねるなど不可能に近い。相手が人間の大人なら下手したら捕まるし、子供であっても先日のようにバカにされるだけだ。


 そうだ、フィーネのお爺ちゃんはどうだろう?


 兄は嫌な奴だが、村長であるフィーネのお爺ちゃんはとても優しい人物らしい。魔獣にも分け隔てなく接してくれるかもしれない。


 いや、無理だ。

 そもそも会ったことすらないし、いくら親切とはいえ、魔獣に対しても同じ態度とは限らない。


 迷いあぐねいている私を見かねたのか、兄貴は深くため息をついた。


「人間の商人が、いまちょうど来ているぞ」


「えっ?」


「花の名前が知りたいんだろう? なら、人間に聞くのが一番だ。さっきヤラクという男と取引を終えた。まだそう遠くにはいってないだろう」


 暗闇から抜け出したように、表情が一気に開ける。


「ありがと、アニキ!」


 私はそう叫ぶと、脇目も振らずに駆け出した。


 人間と魔獣は対立している。

 だが、すべての人間が魔獣の敵というわけではない。

 人間のなかにも中立的な立場でこちら側にすり寄ってくる者もいる。

 それは金銭であったり物資であったり、とにかく自身の利益が第一で、目的さえ達成できれば種族は気にしない、そういった層が一定数存在する。


 兄貴はバカではなかった。

 そういった輩を無下むげにはせず、むしろ人間の情報を得る格好の材料として最大限に利用し、来るべき決戦に備えていた。


 ヤラクという商人もその内の1人なのだろう。

 私は高鳴る気持ちを胸に、急いで彼を探した。


 商人の姿はすぐ視界に入った。

 いましがた取引したであろう品物を荷台に積み上げ、従者に引かせている。兄貴の指示が行き届いているのか、魔獣の地なのに襲うものはいない。商人もそれをわかっているのか、じつに悠々と歩を進めている。

 私は一気に足を速めた。荷車が街道へと差し掛かろうとするのを防ぐよう立ちふさがる。息を切らしながら突然現れた私に懐疑心を抱きながらも、商人ヤラクは歩みを止めた。


「これは妹君。なにか御用で?」


 黄色く濁った眼に白髪だらけの髪。一癖も二癖もありそうな眼差しに、幾重にも隠された魂胆。愛想笑いと思えるひしゃげた笑みがいかにも不気味で、とても信用できそうにはない。だが、四の五言っている暇はない。


 私はヤラクの顔面に花の絵を押し付けると、

「この花の名前を教えてほしい」と、息を整える間もなく言った。


 ヤラクは勢いに驚き一瞬あごを引いたが、すぐに顔を近づけてそれが何かを思索し始めた。


 そして、しばらく考え込んだのち、

「さっぱりわかりません」と申し訳なさそうに眉をしかめた。


「そうか……」


 画用紙を持っていた肩を力なく落とす。

 人間であるヤラクでもわからないとなると、もうお手上げだ。


「ただ……」


 うなだれていると、ヤラクはその長く伸びた髭をさすりながら口許を緩ませた


「もしかしたら本に記憶してあるかもしれませぬ」


「本だと!?」


「ええ、人間はあらゆることを書き留めるのが習慣でして……。風習や伝達ではなく、物事を定めることにより知識を共有しあっているのです。ですから、植物の名前について記述されている書物もありましょう」


「それは本当か!」


「はい。間違いないと思います」


 さきほどから一喜一憂してばかりだったが、今度こそ確かな進言に瞳が明るくなる。


「それはどこにあるんだ?」


「図書館という場所が確実だと思いますが……」


「トショカンだな、わかった!」


 すぐに向かおうとした私をヤラクが慌てて呼び止めた。


「バキオネー村に図書館はございません。もっと大きな都市でないと……」


「もっと大きな都市と言ったらどこだ?」


「うーん、妹君の足ではちと辛い距離にありますなぁ……。ただ花の図鑑程度なら、村長の家にならあるかもしれませぬ。」


「村長……?」


「ええ、村で一番偉い長のことでございます。」


 フィーネのお爺ちゃんかという意味で自問したのだが、ヤラクは丁寧に教えてくれた。


「わかった! 村長の家に行けばわかるかもしれないんだな?」


「確証は持てませんが、可能性は高いと存じます」


「100じゃなくていい。それが0でないなら、藁にも縋る気持ちだ」


 その言葉を聞いて、ヤラクは満足げに笑みを浮かべた。あいかわらず気色悪く、普段ならまごうことなく怪しむのだが、背に腹は代えられない。


「ただ言って人の村。忍び込むなら寝静まった深夜がよろしいでしょう」


「そうだな、わざわざ教えてくれてすまない」


「いえいえ、妹君のお役に立てたのなら光栄です。今後もお兄様に贔屓にしていただけるよう伝えていただけると、なお嬉しいのですが……」


「抜け目のない奴だな。わかった、アニキにもいっておくよ」


「ありがとうございます。ところで、もう今夜にでも忍びこむおつもりですか?」


「ああ、そうする予定だ」


 時間が経てば、会うのがますます気まずくなる。別れとはいえ、早いほうがいい。


「わかりました。くれぐれもお気を付けください」


 ヤラクは軽く会釈した。


 ふたたび荷車が動き出したのを皮切りに私は踵を返した。住居に戻り大まかな計画を立てると、作戦のために就寝することにした。いまのうちに十分な睡眠をとっておけば、夜中活発に動くことができる。

 私は事がうまくいくことを願いながら、布団をかぶった。

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