第3話 欠けた花びら1

 夢だったのかもしれない。


 すべてを見透かす水晶のような瞳も。

 風に揺られてふわりと広がる銀色の髪も。

 そこに彩る白い花の髪飾りも。


 人間の女の子と一緒に笑いながら森の中を駆け巡ったすべてが、おとぎ話の出来事で空想だった。そんなことをピントの甘い、まだ覚醒しきってない頭でぼんやりと考える。


 目覚めた天井はいつもどおりで、昨日となんの変化もない。

 ただ、そばにあるキノコウメだけが、昨晩のことが幻でないことを物語っていた。


 ベッドから身を起こす。

 まだ寝足りない目をこすりながら外を見ると、もうすっかり日が昇っていた。


 帰りも遅かったが、それ以上に気分が高揚していたのもあってか、意識が遠のいたのは明け方ごろだった。私は大きくあくびをすると、ガウンを羽織った。


 庭では兄貴が大きな剣を持って素振りをしていた。

 すでに全身汗まみれで、腕を上下するたびに汗が飛び散り、それが日の光に当たってキラキラと反射していた。


 ぼうっとそれを眺めていると、こちらの存在に気づいたのか、兄貴が剣を動かす手を止めた。


「ずいぶん遅いお目覚めだな」


 すこしあきれたその口調に対して、何も言わずにうなずく。どうやらまだ現実世界に戻りきれていないらしい。


「だいぶ遅かったが、何をしていたんだ?」


 人間と一緒にキノコウメを採っていた。


 そんなこと、言えるはずがない。


 私は曖昧に返事をにごした。

 兄貴はその態度が気に入らなかったのか、1人であまり出歩くなだの、この頃反抗的だの、ここぞとばかりに口酸っぱく苦言をていしだした。よく思いつくものだと言わんばかりに小言を並べる。やっと話が終わったときには、もう日が暮れ始めていた。


「いいか、わかったか?」


「はーい!」


 いい加減うんざりしながらも、反論したらまた長々と説教されるため空返事を返す。兄貴は満足したのか、最後に人間にはくれぐれも気をつけろと忠告して、鍛錬を再開した。


 兄貴は人間を心底恨んでいる。

 自分たちがこうなったのはすべて人間のせいだと決めつけ、この世界の支配権を取り戻そうと躍起やっきになっている。

 その甲斐もあってか、兄貴はメキメキと頭角を現し、いまや魔獣たちの間でも屈指くっしの存在だ。最近仲間に加わった奴も、兄貴よりひと回り大きいにもかかわらず、下僕として忠誠を誓ったらしい。

 どうやら実力だけでなく、人をきつけるカリスマみたいなものもあるようだ。このままいけば魔獣の王と言われる日も遠くないだろう。


 だが、妹の私からしたら正直どうでもいい。


 兄貴の部下たちは私の顔色を伺い、びを売って下手したてに出ているが、はっきりいってうっとうしいだけだ。放っておいてほしいという気持ちの方が強い。


 それでも、彼らが懸命に私のご機嫌取りに励むのは、やはり兄貴が将来魔獣の君主として降臨する可能性が最も高いからだろう。


 その王の妹である私が、人間の女の子と友達になった。


 頭の固い兄貴に知られたら、どうなるかわかったものではない。

 良くて馬耳東風、おおかたは烈火のごとく憤怒するに決まっている。

 最悪、妹をたぶらかした人間として猛襲するかもしれない。


 だから、フィーネのことは絶対に秘密にしないといけない。


 私は部屋に戻ると、残ったキノコウメにかぶりついた。美味とともにフィーネの笑顔が浮かぶ。


 また、会いたい。


 初めて感情に戸惑とまどいながらも、願うのはその事ばかりだった。


 兄貴を含め、魔獣である私と人間であるフィーネが仲良くすることを快く思わない者がたくさんいることは知っている。

 それでも考えるのはフィーネのことばかりだった。

 時間が経ち、日が昇り沈み、幾日が過ぎても、想いは消えるどころか強くなるばかりだった。


 もちろん、ただ思い描くだけでなく、何度かあの森にも行ってみた。

 だが、そう都合よくフィーネがいるはずもなく、それどころか大人の人間に見つかりそうになり、慌てて引き返したことのほうが多かった。


「もう来ないのかな……」


 悲観的なため息に胸が押しつぶされそうになる。


 そんなことはない。

 あそこはキノコウメの産地だ。またきっと採取しに来るはず。


 そう自分を奮い立たせると、私は一縷いちる の望みに賭け、今日もこっそりと部屋を抜け出した。


 人間の森といっても、頻繁ひんぱんに人が出入りする場所ではない。

 野生のモンスターに遭遇することだってあるし、主な生活圏である住居に比べれば危険な場所であることは変わりない。日が沈んだあとはそれが顕著けんちょで、ほとんど人影を見かけない。

 それでも私は物音を立てないよう、茂みから木陰へ、慎重に内部へと入り込んでいった。


 フィーネと出会った場所へたどり着く。

 森は静けさに包まれていて、とても人がいる雰囲気ではない。


 やっぱりダメなのかな……


 見上げた夜空には雲がなく、あのときと同じで星が輝いていた。

 無数に点在する星々とまん丸のお月様が、周囲を明るい澄明ちょうめいなものへと変えている。孤独な私を見守ってくれている、そんな気がした。


 春の夜空がこんなにもキレイだとは気づかなかった。

 私はしばらくの間、何をするわけでもなく茫然と空を仰いでいた。

 どこからともなく現れた流れ星が、遠い地平線へと吸い込まれていく。落ちた先を追うように視線を動かすと、樹葉の隙間から見覚えのある銀色の髪がちらついた。


「フィーネ!」


 はっきりと姿を確認する前に叫ぶ。

 別人だったらどうしようという危機感はなかった。それほどまでに気持ちが先行していた。


 銀色の少女は突然の呼びかけに身を縮こませたが、声の主が私だとわかるとすぐに笑顔になって近づいてきた。駆け寄るたびに、花の髪飾りがわずかに揺れる。やはりフィーネだった。


「アルカナ!」


まるで数年越しに出会った恋人みたいに両手を絡ませる。


「どうしたの、こんなところに? またキノコウメを採りに来たの?」


「ううん、フィーネに会いたくて……」


 率直な発言に、フィーネの目が見開かれる。目尻が下がり、三日月型になった。


「ありがとう。私もまたアルカナに会いたかった」


 その言葉だけですべてが報われた。

 危険を冒してまで何度も足を運んだ苦労が一瞬で吹き飛んだ。


「フィーネ、誰かいるのか?」


 喜びに打ち震えていると、奥から男の声が聞こえた。どうやら今回はフィーネ1人だけではないらしい。


「なんでもない、お兄ちゃん!」


 こちらに来られてはまずいと判断したのか、フィーネが慌てて呼び止める。


 兄と一緒に来たのか、そう理解すると同時に残念な感情が沸き上がる。誰かいるのなら、フィーネと2人きりになることはできない。


「ごめん、今日はお兄ちゃんと一緒なんだ」


「うん。あたしこそごめん。急に声かけて……」


 わかっていたとはいえ、表情が消沈する。

 そんな私の気持ちを察したのか、フィーネが小声でそっとささやきかけてきた。


「明日会える?」


 自分でもパッと顔が明るくなったのがわかった。


「うん、もちろん!」


「じゃあ、お昼ごろ、またここに来て!」


「わかった」


 名残惜しくも絡ませた指をほどく。

 悲しい離別ではない。明日へ続く再会の約束だ。


 またフィーネと会える!

 希望が活力をみなぎらせた。


 兄のところへ戻る際、フィーネは何度もこちらを向いて手を振ってくれた。私もその白い花の髪飾りが森の中に埋もれるまで、ずっとその姿を見送っていた。


 * * *


 予定の時刻よりもかなり早かったにもかかわらず、フィーネはすでに待ち合わせ場所にいて座っていた。

 緑葉の隙間から漏れる木漏れ日に全身をゆだね、日光浴をするかのごとく全身を晒している。長いまつげに守られた瞳は閉じられていて、風のさえずりに耳を立てている。銀色の髪は風になびかれながらも太陽の光を目一杯吸収し、その1本1本がプリズマとなって燦然さんぜんとしている。


 あまりの神々しさに言葉を失う。

 フィーネのいる空間だけが切り取られた別世界で、私は迷い込んだアリスのようだった。気軽に触れてはいけない感じがして、なんとなしに気後れしてしまう。あたふたと迷っていると、踏んだ木片がパキッと音を立てた。


 目覚めた瞳孔に私の姿が映し出される。

 途端にその表情が和らぎ、「早いね」と笑った。


「フィーネこそ!」


 笑顔が2人を結ぶ糸となり、引き寄せられた私は彼女の横に腰を降ろした。

 そこはちょうど大木の下で、影がいい塩梅あんばいで日差しの熱さを和らげてくれていた。


 そのまま数分か数十分か、私たちは無言のまま風に身を任せていた。

 いくつもの白い雲が遊覧船となって青い空を泳いでいる。そよ風が吹くたびに木の葉が揺れ、反照した光が万華鏡のようにくるくると姿を変えた。


 私たちはいつのまにか手をつないでいた。


 あいかわらずフィーネの白くて小さな手は、褐色でごつごつした私のと比べると華奢きゃしゃな人形みたいで、強く握れば壊れてしまいそうな危うさだった。

 私は慎重に指先を絡め、フィーネの手の甲をさすった。柔らかい生命の行動が手のひらを通して伝わり、それが自身の血流と交わるのを感じた。


「気持ち、いいね」


 目を閉じ、すり抜けていく春風を全身で受け止めながら、フィーネはそうつぶやいた。


「うん、とっても……」


 私も真似をする。


 たんぽぽの綿毛が舞い、彼方へと吸い込まれていく。名前も知らない緑草がさわさわとなびいて、風の音を運んだ。


 私はあらためてフィーネを見た。

 すらりと伸びた鼻筋がとても素敵で、天に向かって伸びたまつげがどうしようもなく可愛い。銀色の髪に宿る白い花はあいかわらず美しくて、咲き極まっている。


「髪飾り可愛いね」


 褒めた言葉とは真逆にフィーネは寂しそうに目を細めた。


「でも花びらが、1枚欠けちゃったの……」


 フィーネは髪飾りに触れ、私にもわかるように頭を傾けた。


「ほら、4枚しかないでしょ。本当は5枚あったんだけど……」


 たしかに注視すると下部がない。そういう花の形かと思っていたが、言われてみると不自然だ。


「これがその欠けた1枚」


 ポケットの中から、壊れた花びらを取り出す。手渡されたとき、尖った部分がちくりと肌に刺さった。


「花は、枯れてしまう……」


 フィーネはすぐ脇にたまたまあった花をそっと撫でた。


「この花びらもいつか散ってしまう。いまはこんなにもキレイな花を咲かせているのに、冬になれば茎だけになってしまう……」


 急な突風でフィーネの表情が髪で覆われた。まるで泣き顔を隠すようで、私はいてもたってもいられなくなった。


「でも、また春になればまた新しい花が咲くよ!」


「そうだけど……、散ってしまった花びらはもう戻らない」


 悲しげにフィーナは目を伏せた。


「ここね、自分が拾われた場所なの」


「えっ」


 突然の告白に狼狽ろうばい する。


「わたしね、孤児なの。お兄ちゃんもそうなんだけど……。ここで捨てられてたのをたまたまお爺ちゃんが見つけてくれて……。だから、フィーネも本当の名前じゃない」


 言葉が出てこない。


 どう励ませばいいのか、なんと慰めればいいのか、何も浮かんでこない。ちゃんと両親がわかっている私がどんなことを言っても、それは気休めにしかならない気がした。


「言うなればここは私が生まれた場所。そして、すぐそばに咲いていたのがこの髪飾りの白い花。たまたま村を訪ねてくれた人がプリズマを使って結晶化してくれたの。だからかな、ここに来るとすごく落ち着く」


 フィーネは鼻孔を膨らませ、緑陽をおもいっきり吸い込んだ。


「なんていう花なの……?」


「わからない」


 フィーネは淋しげに空を仰いだ。


「私と一緒。どこで生まれたのか、なんて言う名前なのか、何ひとつわからない。ただ道端に咲いている、一輪の花」


 霧散むさんしてしまいそうな儚さがあった。


 ——花は枯れてしまう。


 いましがたの会話が頭のなかで反響する。

 すぐ真横にいるはずのフィーネが遠いどこかへ旅立ってしまう、そんな不安にさいなまれた。


 もっと一緒にいたい。

 ずっとそばで寄り添ってあげたい。


 感情はとめどなく高鳴り、心臓を突き破りそうだ。


「ねえ、遊ばない?」


 渦巻く感情を振り払わんばかりに私は立ち上がった。


「遊ぶって、何を……?」


「おにごっことか、かくれんぼとか。フィーネが楽しいことなら、なんでも!」


 笑顔にさせたかった。

 悲しい顔は見たくなかった。


 そんな私の気持ちを察してくれたのか、フィーネも勢いよく身を起こした。


「わたし、負けないよ!」


 すでに勝ち誇ったように自信満々につぶやくフィーネの真上では、春の太陽がまぶしいばかりの光彩を放っていた。




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