3-12
「米原行」の快速電車に乗り、満席で座れない東海道線のグリーン車のデッキに立って、石山で近江鉄道に乗り換え、一九時半ごろには伯父さんの家に帰ってこれた。
僕は夕飯を食べた後、買って来たスマホの初期設定をしながら、高千穂先輩に言われた事をふと思い出す。
「大した事じゃない」けど、「足は踏む」程度には怒っていることって何だろうか。
先輩の逆鱗に触れるようなこと―― なんて、西大路からずっと考えていたけども、思いつかない。それこそ、御自慢の模型でも破壊しちゃったんだろうか。
僕は懸命に思いだそうとしながら、LINEの引き継ぎをする。
前の携帯は壊れて起動すらしないので、前の機種がないと過去のトークを引き継げない、という画面で渋々OKボタンを押す。まあ、大した会話をした記憶はないし、別に消えてもよいだろう。
ログインすると早速、高千穂先輩に「今日はお付き合い頂きありがとうございました」とメッセージを送る。『シスター』たるもの、お世話になったら挨拶を欠かしてはならない。
すると、ピロン、と携帯が鳴る。異様に早い返信だな、と思って見ると白井先輩からだった。
『今日はすみませんでした。電車の中でフォローしてくれて助かりました』
そんな、謝るようなことじゃないのに、と思いながら、「いえいえ、むしろ先輩の方こそ具合が悪かったりしたんじゃないですか?」なんて返すと、
『いえ、体調は万全そのものなのですが、あのときは少し気分が優れなくなってしまって』
「来年受験だからって、勉強のしすぎなんじゃないですか? 最近、早く帰る日が多いね、なんて高千穂先輩もおっしゃっていましたよ」
『来年受験?』
なんだなんだ、白井先輩も浪人する気満々なのだろうか。
「いや、4月から三年じゃないですか、あと高校生活も一年ですよね?」
『ちょっと、中学と勘違いしていませんか?』
えっ?
ここで、僕は今朝の光景を思い出した。あの、二年の前にも三年が居て、さらに後ろにもう一年分空いている、どう考えても『四年生』も座れる講堂――そういうことか。
「すみません、勘違いしていました」
『まったく、とんでもない勘違いですね。まだ私も二年は洛桜にいますよ』
流石に「高校が四年制」というワードはこの世界に来て鈍りきっている僕の驚愕センサーも久しぶりに反応した。なるほど、だからドイツ語やら統計数学やら、知らない科目の授業があるんだろう。
「本当、事故から呆けてばかりで……」
『第二日赤のお医者さんを疑う訳じゃないですけど、本当に脳外科的な記憶障害なんかが起きているんじゃないですか?』
「それは大丈夫です、通院でも問題なし、って言われていますし。ほら、僕ってもともとボーっとしていたじゃないですか」
実際は、『びっくりするほど健康』ということで、通院すらしていないのだが、まあ、そういうことにしておく。
『ボーっとしているの範疇を超えている気がするんですけど、まあ、困っていないなら外野がとやかく言うものでもないですよね、ごめんなさい』
こちらこそ、さっきから白井先輩に何度も謝らせてしまって申し訳ない。高千穂先輩と違って、白井先輩のことだから割と真剣にすまなく思っている可能性が高い。「とんでもないです、また変な事を言っていたら教えて下さい」と教えを乞う。
すると、白井先輩は私で良ければ、とお返事をすると、話題を変えた。
『そういえば、瑞穂とはどうだったんですか?』
どう、とはなんだろうか。普通にスマホを買って、快速電車のグリーン車に乗って帰って来ただけだ。それをそっくりそのまま打つ。
「普通に、日本橋でスマホを買って、阪和線の快速が混んでいたのでグリーン車で帰ったくらいの話ですよ」
『あら、あっさりしたランデブーですね』
出た、ランデブー。この人、男女が二人で出掛けたらなんでもランデブー、なんだろうか。ちょっと聞いてみよう。
「先輩、僕と先輩と二人で出掛けても、ランデブー、ですかね?」
しばらく、返事が止まった。なんでだろう。
これ、なにか気に障ることを書いたかな、と思ったくらいで返事が戻ってきた。
『それはあえて聞きますけど、私とも親密になりたいんですか?』
なるほど。そういうことだ。高千穂先輩と僕はシスターの関係にあるから、正直白井先輩よりかは、高千穂先輩の方と仲が良い、と思っている。
そして、前々からちょっと思っていたけども、やっぱり白井先輩は「瑞穂と仲のいい僕」に対してちょっとした寂しさのようなものを感じていたのかもしれない。
僕はゆっくり文章を考えて、お返事をする。
「そうかもしれないですね。2年では、もうちょっと、白井先輩とも仲良くさせて頂きたいです」
『……今、君にそう言われるのは予想外でしたね』
予想外、とはこちらとしても予想外な返答だ。白井先輩にそこまで嫌われているはずはないのだけども、ひょっとするとこちらの世界では白井先輩にもなんらかの非礼を働いたのだろうか。恐る恐る、返信を打つ。
「僕が事故のショックで忘れているようで大変恐縮なのですが、先日なにか失礼な事をお二人に対してしでかしたとか、あったんでしょうか?」
また返信の間が空く。なんだ、言葉にしにくいようなことをしでかしたんだろうか。
エアコンのゴー、という音だけが響く部屋が、なんだか普段以上に寂しく感じる。
やっぱり、僕が居た元の世界と、この世界というのはちょっと違って、僕ももっと生意気だったり、先輩に迷惑をかけるような性格だったのかもしれない。元の世界と「コピーのようで、実は完全に同じじゃない」なんていうのがいっぱいあるんだろうか。
僕がそんなことを考えていると、先輩から返ってきた言葉は実にシンプルだった。
『いや、私には特になにも、ですね』
『特になにも』とは訳が分からない。
先輩にとって何が『想定外』だったんだろうか。
ここで、白井先輩と僕の間には何ら問題がない、と仮定してみよう。今までのやり取りではすこし疑わしい気もするけど、そこを疑うと話がさらに迷子になってしまう。
すると、自動的に高千穂先輩と僕の間に何かあったんだろうーー うん、今日の帰りの電車での高千穂先輩のやり取りのぎこちなさも、多分、それで説明が効くんじゃないだろうか。
「先輩、高千穂先輩に、僕なにかしでかしましたか?」
僕が戦々恐々と聞くと、次の返事は意外にもすぐにやってきた。
『やっぱり、覚えていないんですね』
高千穂先輩と同じ答えだ。
「それ、高千穂先輩にも言われたんですけど…… 僕、本当に何をやったんですか?」
しばしの間を置いて、先輩から『ごめんなさい』と前置きがあって、返事が来た。
『正直なところ、私と別れた後のことだと思うので、私も瑞穂と具体的に何があったのかは、はっきり知らないんです』
なるほど、やっぱり白井先輩と別れた後、バス停までの間なのか。おそらく一〇分、二〇分の間で、何かあったに違いない。
『たぶん、三月に入ってからと思うんですけど、なんか瑞穂と君の雰囲気がガラって変わったな、とは薄々感じていたんです』
「ガラって、具体的にいうとどうでした?」
『うーん、あくまで主観的なものですから言葉に迷いますけど、強いて言うならなんかお互いに他人行儀で、私ともちょっと距離をおいている、って感じですかね』
ふむふむ。病院で出会ってからの高千穂先輩は親切そのものだったけど、それまではちょっと距離を感じていたのか。
『事故があったから有耶無耶になっているのかもしれないですけど、それこそ私の知らないこところでケンカでもしたんじゃないですか?』
もし、本当にケンカをしていたならわざわざ千代田に入院先を探してもらってまで見舞いには来ないだろう。
千代田にも『ケンカ別れでもしたのか?』と聞かれたけど、僕の経験上、生死を彷徨っているならまだしも、あの程度の怪我では高千穂先輩は変に意地を張るに決まっている。
僕は「そんなことはないはずなんですが」と返して、一方で京阪電車の中で感じた先輩達の「ちょっと違う雰囲気」も気になって、質問を返す。
「逆に、先輩たちこそケンカとかされていないんですか? 京阪電車の中で黙っていたのなんて、あんなの初めて見ましたよ」
『私が瑞穂とケンカ? あの人とは五年来の付き合いですけど、一回もないですよ』
なるほど。そこは僕の知っている先輩達と変わらないのか。「そうですか」くらいで返そうかな、と思っていると先輩から続きの文章が届いた。
『ただ、去年の秋くらいから、瑞穂に対する収まりの悪さ、みたいなのを感じちゃっている気はしますね』
「収まりの悪さ? 例えばどんな感じですか?」
『別に嫌いになったとかそういうのではないのですが、瑞穂に会うとしんどい日がたまにあるんですよね。それこそ今日みたいに、カッとなって意地悪な事を言ってみたりとか』
「なるほど…… ってあれって意地悪のつもりだったんですか」
『ほんの、からかいでやったんですけどね。あそこまで効くとは思っていませんでした』
やっぱり、そこはちょっと違うんだ。前に白井先輩は「瑞穂はもはや私にとって水みたいなものですから、正直何をされても気にならない」なんて豪語されていらっしゃったけれども、どうも「こちら」の白井先輩はそうでもないらしい。
一体、何が違って何が一緒なのか、さっぱりわからなくなってきてしまった。なんなら、僕たち三人の関係なんて、三月一四日までのそれと、ほとんど違ったものなのではないだろうか。
『特に、三月の中頃からは発作的に瑞穂に強くあたっているときが多い気がします。』
『君が退院する日なんかも、『旭君が退院するらしいね、なにかプレゼントとか必要かな』という話を朝昼夕の三度振ってきたのにイライラしてしまって、最後に聞かれたときなんか、『ケガの入院で短期間ですからお祝いは不要でしょうし、その前にその話三回もする必要あります?』なんて強く返しちゃったんですよね、君の退院はおめでたい事ですのに』
まあ、なんとも落ち着きのない高千穂先輩らしいエピソードだが、逆に『総合高千穂先輩取扱管理者』の白井先輩がその程度のことに怒るというのも珍しい。
僕から見ても、よく耐えているな、なんて思うくらい、高千穂先輩の蛮行奇行に対する白井先輩の耐性は強かったはずなのに。
『その後、君も病み上がりということですし、変な雰囲気にならないようなるべく抑えないと、なんて思っていたのですがあのときは発作的に言ってしまって……』
「高千穂先輩もあういうお方ですし、先輩も五年間で溜まるものが溜まりきっているのでは……」
高千穂先輩に見られたらまずそうな文面だが、白井先輩のこの五年間のご苦労は心中察せられるものがある。熟年離婚よろしく、「こっちの白井先輩」はなにかのきっかけで傷口が開いてしまったのかもしれないな、なんて思う。
『ですかね。どうにせよ、明後日からの合宿で、もしこういうことがあれば、済まないのですが旭君、今日みたいに話題を変えるとか、うまく仲裁してくれないでしょうか』
「もちろんです。お力になれる範囲でがんばります」
そう返すと、先輩から「そろそろ風呂を家人から急かされているで、失礼します」と投げて、会話は解散となった。
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