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「電話局って、どこにあるんですか?」


 僕は先輩と、学校から東山通に出る坂を下る。


「この辺だと京大の南に、吉田の電話局があるけど――、その前にスマホを買いに行かなくちゃね。そうそう、電話局っていうけど、電話そのものは売ってないからね」


 なるほど、電話局というのは携帯電話ショップの別称ではなく、本当に電話の業務しかやっていないところらしい。


「ああ、ヨドバシカメラとかそういうお店でスマホを買えばいいんですね」

「ヨドヤバシカメラ? 街のカメラ屋さんでも売っているのは見ないことはないけども、電気屋さんのほうがいっぱい種類があるんじゃないのかな」


 先輩の顔を見る限り、バカにしているのではなく、どうも、本当にこちらにはそういう家電量販店はないらしい――とこのときは思ったのだが、後で調べてみると東京新宿には存在するらしく、『首都圏』には進出していないらしい。


「えーっと…‥ じゃあ、先輩は前どこで買い替えました? そこに行けば確実ですよね」

「うちは親が国際電電に勤めているからねえ。親が会社の購買で買ってきたのを使っていて、お店で買ったことがないのよね」


 弱った。先輩は僕の顔を見ると、すかさずフォローする。


「ただ、別にその辺の家電屋さんでも売っているし、そんな、『10系客車の廃盤ギリギリの模型がほしい』なんていう話じゃないから、難しい問題でもないよ。そうだそうだ、前はなんの機種使ってたの?」

「アイフォーンを使ってました、えっと、8だったかな」

「なら大きなお店のほうが在庫もあるし、色も選べるかもね」


 先輩はそう言って、山科のビックカメラか、小山のジョーシンの京都総本店なら大きくて見つかるかもー、アイフォンなら四条烏丸のアップルショップでもいいのかな、なんて話す。おそらく、前者たちは池袋や新宿にあるクラスの、すごく大きなビルに入った家電量販店なのだろう。


「ここからだと、山科なら帰り道ですし、近そうですね」

 先輩はスマホを取り出して、何やら調べはじめた。

「そうだね―― って調べてみると今日定休日みたいだね」


 その手の家電量販店に定休日があることに驚いたが、そういえば今朝見た石山駅に

立っている「近江百貨店」も『定休日は毎週水曜日でございます』という幟がかかっていたのを思い出す。


「定休日って、全部休みなんですか?」

「旭君、逆に全部休みじゃない定休日って、土曜日の学校じゃないんだから」


 先輩は少し笑いながら、「うーん、じゃあ小山かなあ」なんていっていると、ポン、と手を叩いた。


「ねえ、大阪って行った事あるっけ」

「もちろん、『むこう』ではありましたけど…… 『こっち』ではまだないですね」

「ならいい機会だね。日本橋に行けば溢れるほどスマホを売っているだろうから、そこで買えばいいよ」


 なるほど。僕もこの世界での大阪は『日本一の人口を誇る』『証券取引所がある、日本の経済の中心』程度の理解しかなくて、一回行ってみたかったのだ。


 僕は二つ返事で承諾すると、「じゃあ、三条から京阪電車でもに乗っていこうか」と東山通りを三条まで下って、大きな商業ビルの立ち並ぶ三条通りを歩いて、鴨川沿いにある三条駅へと向かうことになった。

 


「ここが東山三条の交差点で、あの角にある中華料理屋さんは全国的に有名なんだよ」


「あれが三越の三条本店。あの地下に叡山電車の三条駅があって――」


 道中、初めて京都に来た人のように先輩は丁寧に街の様子を紹介してくれる。

 もちろん、すべてが始めてみるような建物ばかりで、去年交文研のメンバーで東京へ行ったときのことを思い出す。通りもすっかり広くなっていて、まるで有楽町あたりを歩いているみたいだ。


 そして、僕を一番驚かしたのが


 「あれが京阪電車の三条駅、隣りにあるのが三条松坂屋だね」


 と指した建物が、どう見ても高架駅の構造をしていたことだ。 


 僕の知っている京阪の三条駅は地下駅で、階段を降りて電車に乗るようになっているのけど、こちらは階段を登ったところにホームがありそうな構造で、電車が出ていくような「ガガン、ガガン」といった音が駅前にも響いている。

 あと、川端通にあたる通りはないようで、「三条京阪」の交差点はなく、そのまま三条大橋へとまっすぐ続いているようだ。


 もちろん道行く人の数も段違いで、平日の昼前なのに、帽子をかぶった背広姿の人や、買い物に行くのであろう御婦人方が駅の階段に吸い込まれたり、三条通を渡ろうと信号を待っていたりする。街行く人の姿はあまり変らないようだけど、心無しか着物姿の人が男女問わず多いような気がする。


「ここは三越に行く人も通るし、電車に乗る人も通るし、何より三条大橋は地下道がなくてみんな地上に上がってくるから、いつもすごい人だよ」


 先輩はそういうと、「あ、君なら興味ありそうだからあれも紹介してあげよう」と交差点を三越側――『あっち』だと、ブックオフが入っている建物のある方――へと渡り、橋の袂の記念碑のようなものを紹介してくれた。


「私、道のことはよくわからないんだけども、日本の道路の距離ってここを基準に測っているんだってね」


 先輩が指差した先には「日本国道路元標」と書かれている石碑があって、「札幌迄……」と各都市の距離が刻まれていた。


 そうか、京都が首都ならこれも京都にあるのか。


 この日本国道路元標は「京都まで○○キロ」の看板はここを基準に図る、という標識。なるほど、お江戸日本橋を発って、東海道の終点は京の都の三条大橋。ここにあるのは何ら不思議でもないな、と思う。三越があるのもちょっとびっくりしたけど、たしかに日本橋の道路元標の横も三越だったはずだから、おかしな話ではない。


 ここで、ふと疑問に思った。


「そういえば、東海道本線はどこからどこまでを指すんですか?」


 僕が知っている東海道本線は東京から神戸までだけども、京都が首都なら京都駅が終点――いや、京都側が『上り』になるから起点か――になっていてもおかしくない。高千穂先輩はさも当然に答える。


「えっ、神戸駅から東京駅までだけど…… あ、そうなんだよ。五街道の東海道とは合ってなくて、関が原を経由してて――」

「それは僕が知っている東海道線と一緒です。京都が首都なら、東海道線は京都から東京までで、京都からが『山陽本線』なのかなって」

「あー、それは歴史的経緯というものがありましてね……」


 話を聞くと、日本初の鉄道は梅田の大阪駅から二条駅を結ぶものだったらしく、程なくしてそれが開港地である神戸まで延伸したらしい。その後、東京からえっちらおっちら東海道線が伸びてきたのだが、一〇年ほど滋賀県内の長浜と大津の間を汽船連絡に頼っていて、「東京から滋賀の長浜」までの区間と、「大津から京都までの区間」の2つに別れていたらしい。

 ただ、大津を出発する列車はほとんど神戸へ直通していたので、『わざわざ大津・京都間と京都・神戸間で路線名を分ける必要はない』と明治時代に判断され、神戸までが『東海道本線』ということになったらしい。


「だから、東海道線の列車って全部京都駅で上りと下りが入れ替わるから、旅客案内上も『東ゆき列車』『西ゆき列車』だね」

「それで困らないんですか?」

「乗っている人は自分の列車が上り列車か下り列車かなんて気にしていないし、私達にとって当然のことだから『困る』っていう発想がなかったかな。」


 普通に列車番号を付けたり、『上りホーム』みたいな全国共通の言い回しができないのは不便だと思うんだけどもどうなんだろう。ただ、僕もこの世界に生を受けていれば、正しい路線名としては実在しない路線である「京浜東北線」みたいに、おそらくなんの疑問も持たずに使っていたんだろうな、とは思う。


 納得する僕を横目に、先輩が「お腹が空いたなあ」という。ちょうど昼過ぎ、たしかにそろそろおなかの虫が鳴る具合だ。僕は先輩に賛同して、まずマクドナルドでご飯を食べてから大阪へ向かうことにした。

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