3 ランデヴーと電話局。

3-1

 居候をしているおじさんの家では、毎朝六時二〇分くらいに起きて、そこから朝ごはんを叔父さんと一緒に食べるしきたりになっている。「こちら」の世界でもその風習は崩れていないようで、これまでと同じく、叔父さんとテレビニュースを見ながら、トーストや目玉焼きといったものを口にする。


 見ているニュース番組も見慣れたものが流れていて、時折「東京府知事」や「京都市八幡区」など耳慣れない言葉が流れては来るものの、総理大臣が変わっていたり、都道府県名のレベルで地名が変わっていたり、といった大きな違いはないようだ。


「大阪証券取引所、昨日の終値は……」


午前六時半、食卓についてたテレビは、さも当然のように大証の終値を告げると、「次に本日の公定価格をお伝えします」と「本日の公定価格」と題された画面に切り替わった。


「今日、三月二〇日の、近畿地方の公定価格です。燃料調整庁発表のレギュラーガソリン小売売渡価格は、二三六円、ハイオクガソリンは二七八円。食料管理庁発表、本日の基準米穀売渡価格は白米五キロ一四八〇円です」


 また画面が切り替わって、今度はゾウをモチーフにしたのであろうゆるキャラが

「ヤミ購入はやめましょう!」

 と吹き出しで喋らされている画面が写り、


「消費者の皆さん、ガソリンやお米、塩、タバコは免許を持った指定店でのみ購入できるものです。免許がない店舗での購入や、売渡価格を下回る価格での売り買いは、法律により罰せられることがあります。ヤミ売り、ヤミ買いは絶対にやめましょう」


 とアナウンサーのナレーションが入る。


 僕はその画面をSF映画のワンシーンのように見ていると、叔父さんが「またガソリンが上がっているな」なんてこぼして、これが現実なんだな、と引き戻された。


 なんだなんだ、この日本はガソリンも自由に売り買いできないほど困窮しているのだろうか。それにしてはこの家ではさっきからストーブをがんがんに焚いているし、伯母さんも普通にガスコンロを使っている。単純に、石油や天然ガスの輸入が不足しているとか、そういう話ではなさそうだ。


 叔父さんは六時半からの『首都圏の』ニュースが始まると、出支度を初める。僕もどうも六時五〇分のバスに乗らないと学校に間に合わないようだから、そそくさと着替るために私室へ戻った。


 今日は終業式なので、学校は昼で終わる。おそらく、部活によってから帰ることに……みたいなことを伯母さんに話していると、

「そうだ拓磨君、電話局から再発行された加入証明が届いていたから、スマホを買い直しに行ってきたらどうかしら?」


 か、加入証明? スマホとそんなに堅苦しいものになにの関係があるのかわからないけど、とりあえず、その『加入証明』と伯母さんが実家から取り寄せてくれた親の委任状、身分証代わりの健康保険証、そして結構な現金が入った封筒を渡してくれた。


「伯母さん、契約金でもこんなお金いらないと思いますよ」

 僕がこう言うと、伯母さんが笑う。

「なら私がもらっておこうかな…… って、お金がないのにスマホをどうやって買うの?」

「いや、月額料金と一緒に払……」


 ここまで言いかけて、先輩の『自家用車は貴重品』の話を思い出す。そうだ、あんな感じで、スマホはあってもスマホの買い方はちょっと違うんだろう。


「月賦で携帯なんて買うつもり? 金利がもったいないだけじゃない」

「そ、そうですよねー。 たかだか数万のものをローンを組んで買うなんて」


 僕はそう作り笑いをすると、「じゃあ、行ってきます」とリビングを出た。



 昨日とあいかわらずの大混雑を見せる近江鉄道大津本線に乗り、這々の体で五条坂駅に到着、そこからまた地下鉄東山線に揉まれ、洛桜についたのは八時一五分頃だった。おおよそ、一時間半かからないか、ってくらいだろうか。


 教室にたどり着くと、眉間にシワを寄せた千代田が「おう、おはよう」と不機嫌そうに言うと、僕の机に詰め寄る。なんだなんだ。


「お前、昨日LINEしたのに既読すらつけていないのはなんでだよ。また事故にあったんじゃないかと心配したぞ」


 どうも、ご立腹の様子だ。ただ、僕としては理不尽に怒られている言う事実より、LINEが存在することに安堵してしまう。


「昨日言わなかったか、スマホは事故で壊れたんだよ」

「聞いてないぞ―― ってそりゃ仕方ないな。ケンカ腰で済まなかったな」

「いやいや、まあいいよ。で、用事は何だっただい?」

「ああ、副担任が今日で離任だろ? だから、花束を送ることになったから、二〇〇円のカンパを持ってきてくれ、って言う話だったんだが……」


 そういやあ、公立高校の教員採用に受かって、来年から舞鶴の府立高校に赴任されるとかなんとか、だっけ。


「えっと…… 1万円札しかないけど、お釣りとかある?」

 残念ながら、僕の手持ちには伯母さんからもらった1万円札数枚しか持ち合わせがない。

「……俺が建て替えておくから、明日―― って今日は終業式だな。まっ、春休みいつか会うだろ。その日に払ってくれればいいよ」

「ごめん、助かる」

「まあ、ぜひとも『まさひで』のたこ焼きを添えてのご返済を望みたいところだな」

「はいはい。言われてみると、僕も久しぶりに食べたいな」


 LINEのみならず、学校の下にある、雑誌にも紹介されるくらい有名なたこ焼き屋『まさひで』もどうもあるみたいだ。あの特製ブレンドソースがまた賞味できるのは嬉しい限りだ。


 千代田は回ってきたクラスの委員長の子に「はい、旭と俺の分」と財布から四〇〇円を支払った。

 委員長はそのお金を封筒にしまうと、「そういえば、旭君、お怪我の方は治ったの?」なんて聞いてきたので「ま、まあ、ほとんど傷もなくって」なんて返す。


 どうも、僕の怪我は全校の噂になっているようで、時折顔見知り程度の人にも「災難でしたねえ」なんて声をかけられているくらいだ。


「しかし委員長、六〇〇〇円の花束って相当のやつを手配したんだな」


 旭が、立ち去ろうとした委員長にそれとなく話しかける。確かに、二〇〇円をクラス全員の三〇人で集めると六〇〇〇円、普段の贈り物としてはなかなかの値段だ。


「ほら、先生、華道部の顧問もやられてたでしょう。だからお安いお花はすぐに分かっちゃうかなと思いまして。うちの母も『こんなに安い花ならお菓子でももらったほうがいいのに』なんてよく申しているあたり、気になるかなと」


「あー、わかるわかる。うちの母親も『これくらいなら二〇〇〇円だね』とかよく言うな。委員長のとこは違うだろうけど、うちみたいなしょぼくれた家の人間が何言ってるんだ、だよ。うちへのちょっとしたお祝いなんて、鴨川で摘んだシロツメクサでも十分なのにさ」

「いや、まあシロツメクサはないとしても、うちも大した家じゃないんで一緒ですよ。何よりいくら相手が聞いていないとはいえ、贈り物にケチをつけるのは品がないな、なんていつも思っちゃいますよね」


 全国紙の支局長の家が『しょぼくれた家』のはずは絶対ないと思うのだけども、実際、僕なんて「田舎の吹けば飛ぶようなバス会社」の子息としか思えないくらい、この洛桜には家柄が良かったり、資産をたくさん持っている家の娘が多い。


 確か、この委員長さんのお家は有名な製薬メーカーの創業家だとかなんとか聞いたことがあるし、例えば交文研だと高千穂先輩のお父さんは京大を出て電話会社の部長さん、白井先輩のお父さんは国立大学の法学部教授で、なおかつお母さんも理学部物理学科の教授をやっているらしい。

 みなさん、絵に描いたような名家か、エリート揃いの家庭に育った人が大半だ。


 「電話だ…… あ、お花屋さんが配達に来たらしいので、取りに行ってきますね」

 委員長は鳴ったスマホを取って二、三言話すと、教室から出ていった。

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