2-6(終)

「えーっと、それは……」

「いや、先輩のおっしゃるとおり、『夜行急行』とか、『寝台超特急』なんて言う言葉を聞くと、胸が踊るのは間違いないんです。でも、それに趣味性――って言葉を使うと小難しくなっちゃいますけど、『鉄道』としての楽しみみたいなのを僕が見つけられるのかな、と思っちゃうところがありまして」

「あー、あー、乗り物の話ね、びっくりした」

「逆に、何の話だと思ってらしたんですか」

「いやいや、主語は明確に示していただかないと困るよ。で、そっか。『鉄道としての楽しみ』っか。私には到底思いつかない言葉だね」


 先輩はかばんから出した水筒のお茶を一口飲むと、「うーん」と考えてこまれてしまった。この、運動部の掛け声がかすかに響くこの静かな空間には、ちょっと耐えられそうにない。


「すみません、ややこしいことばかり言って」

「いいのいいの。君は私のシスターでもあるし、交文研のかわいい後輩でもあるんだから、君の悩み事の相談に乗るのは当然の義務だよ。――まあ、私ってあまり賢くはないから、良い答えが出るとは限らないんだけどね」


 確かに、高千穂さんは時折「間に合わないなら宿題は出さないほうがいい」「臨時列車を撮りに行くためには仮病を使うほかない」など、僕からすると常軌を逸したアンサーを出してくることがある。

 それでも、僕が高千穂さんを頼ってしまうのは、この人は僕の心配や相談事を我が事のように扱ってくれて、一緒に考えてくれる、そういう心遣いを強く感じられる人だからなんだろうな、と思う。


「で、ですよ。逆に聞いてみたいんだけども、君って小さい頃から鉄道、別に乗り物全般でもいいんだけども、そういうのって好きだった?」

「えっと…… そういえば、幼稚園の頃はどちらかというと特撮ヒーローとかの方が好きだったかもしれないですね」


「なるほどね。私なんか、親のせい、って言ったらダメなんだろうけども、物心ついたときから乗り物大好き娘だったから、『鉄道が好きじゃない』私っていうのが一ミリも想像できないんだよね」


 なるほど、先輩らしい話だ。


「なら、先輩にはこの話を降ってもよく分かっていただけないかもしれないですね」

「うーん、そうなんだろうけど…… ただ、私の意見だけど、君は『好き』っていうことを少し厳し目に定義し過ぎなんじゃないのかな、とは思うかな」

「厳し目、ですか?」


「うん、好きってことに対して、ゼロかイチかで考えるんじゃなくて、もう少し自由になってもいいと思うよ」


 確かに、白井先輩にも『旭君は物事を『よい』『わるい』の2択で考えすぎですよ』なんて言われたな、と思い返す。


「すごく極端な話、君が鉄道に興味がなくなっても死ぬわけではないしね。まあ、アルデンティ――だっけ、そういうのがなくなる怖さがあるのかもだけど、私は逆に君がそれを聞いている以上、ちゃんと鉄道が好きなんだと思うよ」

「えっと、それは……」


「だって、どうでもいいことならこんな質問、しないでしょ。また「好き」だからこそ出てきた質問だと思うし、今答えそのものをここで出すことはできないと思うけど、私は少なくとも君に『好き』でいてほしいし、そのお手伝いには尽力させてもらおうかな――って、君が鉄道が嫌いになりたいなら別なんだけど」


「もちろん、嫌いになりたいわけではないんで、どうかお願いします」

「うん、わからないことがあったら花音でも私でも聞いてくれてもいいし、そうだね、インターネットもあるから、色々調べてみるといいよ…… あー、疲れた!」


 そう言うと先輩はどさっと上半身をソファーに横たえ、手を伸ばして、「難しい話はいけないね」とスマホをいじる。


「本当にありがとうございました。僕自身、ちょっと硬かったのかもしれませんね」

「そうだよ本当に。『好きな物に理由なんてあるか』って思っちゃったよ」

「絶対先輩ならそう思ってるよなあ、とは思ってましたよ。 ――って、逆に、先輩自身は鉄道に対してはどういうスタンスなんですか?」

「旭くん、私が花音みたいに『交通には社会のダイナミズムが反映されているから面白い』なんて言うと思う?」

「絶対言いませんね」

「絶対あの子も君も『思考放棄だ!』なんて言いそうだけど、私は『好きだから好き』くらいの気持ちかな。そこに理由とか訳がほしいと思ったことはないなあ――あ、じゃあ旭くんは?」


 そう聞くと、先輩はソファーから身を起こし、手でしわになった制服を伸ばす。


「僕、子供の頃からどこかに出かけるのが好きだったんですよ。で、自分ひとりでも出かけられる鉄道っていいな―と行った感じでのめり込みまして」

「あー、そのタイプ、運転免許を取ったら自家用車に行っちゃうタイプの人だよ」

「運転免許ですか、そうだ、先輩、もし将来免許が取れたら、中村線でも撮りに行くときにはうちの車に乗せて差し上げますよ」

「ほう、お家に自家用車があるなんてさすが社長の息子さんだねえ。 ――って地方では割合珍しくないのか」

「先輩の家にも自家用車くらいあるでしょう」


 洛桜はそれなりの進学校で学費もなかなか、通っている生徒の父兄で『車を持っていない』という人はほとんどいないはずだ。先輩の家の車の話は聞いたことがないけども、いくら鉄道好きのお父さんでも車を持っていない、ということはないだろう。


 しかし、先輩はびっくりした顔をしている。


「とんでもない、親も若い頃はナンバー割当の抽選に申し込んでいたみたいだけど、最近は『ガソリンも高いし、電タクに毎日乗ったほうが安いし楽』なんて言ってるよ」


 またもや不可思議トークに突入してしまったらしい。先輩に「抽選ってなんですか」と聞くと、説明してくれた。


「四大都市――えっと、京都・東京・名古屋・福岡とその近郊って、自動車の配給割当があるのよ。一ヶ月に登録できる台数が決まっているから、それを超える台数が陸運局に申請されたら抽選になるんだけど、京都とかだと倍率が十を超えるんだよね。ナンバーがないと車屋さんも車を売ってくれないんだよ」


 なんだか、ソ連があった頃の共産圏みたいな話だなあ、なんて思ってしまう。


「まあ、おかげで諸外国みたいな大渋滞は回避できているし、道路行政に相当のお金を割かなくても済むというメリットはあるから、割と支持されてはいるんだよね―― まあ、自動車大国の国民が車を持てないというのはなんとも皮肉だけどね」


 先輩が説明を終えると、ちょうど、部活の活動時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。


「さっ、もう下校時間だし、帰ろっか」


 時計はちょうど六時前だった。


    ○


「じゃね!」


 そう言って校門からまっすぐ降りた坂の下で先輩と別れる。そっか。『前』は一緒に東西線の東山まで歩いていたけど、多分もっと便利な路線があるんだろう。もっとも、その東西線も『京阪新京津線』とかいう路線らしく、僕の知っているのとはちょっと違うらしい。


 僕も、反対の坂をしばらく降りて、片側二車線の信じられないくらい広い東山通りに出る。僕が知っている東山通りも片側二車線だったけど、こっちの東山通りは街路樹が立つくらいの余裕があって、両端には背の低い民家や商店ではなくて、雑居ビルが立ち並んでいる。まるで都内や、大阪の市内みたいだな、なんて思う。そのとおりを洛桜の制服を着た生徒や、サラリーマンの人波に流されて、「東山三条」の駅に着いた。

 

「まもなく、二番ホームに、京阪本線直通、急行、淀屋橋行きが到着します――」

「祇園、祇園、地下鉄北野線はお乗り換え願います」

「五条坂、五条坂、ご乗車お疲れ様でした。五条線はホーム中央の階段を――」


 東山線でクラクラするような放送を聞きながら、五条坂の駅までたどり着く。結構なターミナルとして機能しているようで、階段も並んで登るくらいに混雑している。僕の知っている五条坂はお墓参りの人で混雑している、位のイメージだったんだけども。


 当然、五条線のホームも割と混んでいて、「三列乗車励行」と掛かった看板の下に、長い列ができている。押し屋さん――ドアがちゃんと閉まるように見張りをする人――も配置されていて、ホームの中程には売店まであった。相当乗り降りがある駅なんだろう。


「まもなく、一番ホームに、急行、彦根行きが到着します。地下鉄線内は、東野と、藤尾に停車いたします」


 水色のステンレスカーが滑り込んでくる。朝の地下鉄は滋賀県境を越えたあたりから各駅停車だったんだけども、これはどうも通過駅があるらしい。車内はつり革が捕まれないくらいの混雑で、またもやコートの裾や鞄を気にしながら電車に乗り込むことになった。


「車内混み合いまして恐れ入ります、しばらくの間ご辛抱下さい―― 『今日も、帝団地下鉄五条線を――』」


 果たして手原までが『しばらく』なのかはよく分からないけども、トンネルの中を走る地下鉄はカクカク、スピードを落としたり、上げたりしながら走っている。


 さしずめ、先方の普通列車が詰まっているんだろう。昔、東京に行ったときに副都心線の急行電車がこんな感じだった。


 流れていくトンネルの照明を眺めながら、今日先輩と話したことを思い出す。


 僕は今一〇両編成の近江鉄道大津本線に乗っていて、まあ正直すれ違う電車を見ながら「全体的に西武っぽいな」「地下鉄の車両はメトロっぽいな」なんて思っている。

 どうも、列車の名前が通じたり、路線の名前もある程度は分かったりしているあたり、全く異世界、と言うわけではないようだ。何かがちょっと違うだけなのだ。


 本当に入院中は『僕はこの世界の鉄道が好きになれるんだろうか』なんて思っていたけども、列車ウォッチも楽しんでいるあたり、まあ、さがには逆らえないし、そこはこの世界になっても変わらないところ、として受け入れていいのかな。


 乗った電車は地下鉄区間を出て、藤尾から近江鉄道線内に入る。


「県庁前、県庁前、国鉄大津駅前です」


 県庁前の駅で奥の方に押しやれると、電車は地上に上がって、高架線に入った。石山の駅前はずいぶん立派で、ここまでで一番乗り降りがあったくらいだ。多分、蒲田とか、大井町みたいな立ち位置の駅なんだろう。駅前にはひときわ大きな平和堂があって、とても目立っていた。


 石山を出ると、電車は大きな川を渡った。川の土手を見ると、大きな文字で「せたがわ」と書かれた看板がかかってるから、間違いなく瀬田川だろう。


 瀬田川は琵琶湖から唯一流れ出る川だ。


 豆知識みたいな話になるけども、河川法の上では実は琵琶湖自身も「一級河川」。だから、琵琶湖と瀬田川がちょうどつながるこの石山を、さしあたりここを『琵琶湖の河口』なんて言ってもいいだろう。


 瀬田川の湖岸には恐らくどこかの学校のボートが浮かんでいて、その手前の東海道線の橋梁には湘南色の電車が渡っている。もっと奥には近江大橋があるみたいで、車の尾灯がキラキラ、と光っているのが見える。


「あっ、琵琶湖だ」


 つい、声が出て、隣のサラリーマンに妙な顔をされてしまった。


 乗ってる電車は聞いたこともない路線だし、ここまでの登校光景もトンネルばかり、見たこともない光景ばっかりだった。


 けども、そこから見る琵琶湖は、「あっち」でみたそれとほとんど違わないのだ。まさに、今の僕の状態を説明するのに、これ以上便利な風景もないだろう。


 ――そういえば、さっきから鉄道の路線や、学校の授業の事ばかりに気を取られていたけども、「自分自身は同じ」なんていう保証もないのかな、なんて気づく。


 夕方に白井先輩とお話をしたときも、『記憶喪失というのはパズルのピースが欠けたようになりますから――』なんていう話題があったけども、僕はちゃんと「そろったパズル」になっているのかな、なんて考えてしまう。


 ひょっとすると、高千穂先輩も欠けたところに気づいているけども、うまく合わせてくれているのかもしれない。それこそ、今日の千代田や白井先輩との会話で、僕がそうしたみたいに。


 僕もさっきの琵琶湖みたいに変わらないままなのかもしれないし、手前を走っていた東海道線の電車みたいに微妙に変わっているかもしれない――まあ、明日くらいに高千穂先輩にやんわり聞いて見るかな。またあの人なら教えてくれそうな気がする。


 瀬田川を渡りきった電車は、名神高速のほとりを走って、市内から三〇分、地元の手原駅についた。郊外の、どこにでもありそうな駅。ここからバスに乗って、叔父さんの家にたどり着くと、やっぱり疲れていたようで、夕飯も前に寝てしまった。

 

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