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 早速、高千穂先輩は『Raisen』のネタ探しをしているようで、部室に転がっていた時刻表を眺めながら、『津軽鉄道なんかいいかな?』『あー、尼崎港線なんかも受けそう』などなど、ブツブツ言っている。


「そうだ、君の郷里の幡多交通とかいいかもね。日本の果てに行くローカル線とか、割と受けそう」

「ローカル線はローカル線でも、うちの会社はバス会社ですよ。床に木の板を張ったボロバスとかが『インスタ映え』するとかいうなら知らないですけどね……」


 前にも言ったとおり、僕の実家は高知の西の果てでバスとタクシーの会社をやっている。三〇年落ちのボロバスとコラムシフトの古いクルーが走る、小さな会社だ。


 しかし、これを聞いた白井先輩が不思議そうな顔をする。

「……? 君の実家がバス会社って、キハ58を持っているんじゃないですか?」


 キハ58? はて、国鉄の急行型ディーゼルカーの傑作、鉄道模型でもで持っていたっけ、なんて思い返してみるけど記憶にない。すると高千穂さんがあっ、といった顔をして、


「幡多交通足摺線って、キハ58は2両だけで、今はほとんどキハ32互換の軽快気動車ばかりでしょ?」


 なんていいながら、僕に向けて時刻表の索引地図で四国の左端を差し出す。

 ちらっと見ると、信じられないことに中村駅から一本線――これはバスじゃなくて『私鉄路線』の線だ――が延びていて『幡多交通足摺線』と線の横に書いてある。終点は『土佐清水』駅らしい。


 それとなく白井先輩には「そ、そうですね」なんて言いながら索引地図にページをめくってみると、一時間に一本ずつの普通列車と、一日二本、土佐清水を朝と夕方に出る、「国鉄土讃本線高知まで乗り入れ」と書いてある『急行あしずり』号が走っている時刻表が載っていた。なんだこれ。


 こういう、異世界転生というのは、普通の高校生やサラリーマンが勇者になったり、魔法使いになったりというのを見る。


 僕もその例に漏れず、どうも、この世界に来ることで、僕はバス会社の跡取り候補から鉄道会社の跡取り候補にジョブチェンジを果たしていたらしい。――もっとも、走っているところからして経営は補助金頼りの火の車、到底跡なんて継ぐ気もないけど。


 白井先輩は腕を組み、あきれたようにものを言う。


「まったく、いつも『うちにはキハ58がありますからね!』と自慢していたのはどこの誰ですか。ひょっとして、事故で記憶喪失が起きているんじゃないですか?』


 それ聞いた僕の背筋に、冷や汗がすっと流れる。流石洛桜が誇る天才。勘が鋭い。

 早々に「旭君が何かおかしい」と白井先輩に勘づかれるのは目に見えていたのだ。


 病院で『告白』したときも、高千穂先輩と


「あの花音をごまかすのは至難の業だけども、一方であの子がこんな話に納得するとは思えないんだよねえ」

「SF小説を『コメディとして読むと面白いですよ』なんていう人ですからね」

「うんうん、その手の話を理解しないんだよね」


 という結論に至り、とりあえず『僕が首都が東京の世界から来た』ということはごまかしておくことにしておいたのだ。


「花音ちゃん、この話は他の人に話して欲しくないんだけども――」


 高千穂先輩は急に真剣な顔つきをして、白井先輩に話しかける。


「実は旭君、特にCTとかには異常がないんだけど、どうも事故前の記憶があや確かになっている部分があるみたいでね…… ほとんどの日常生活には支障がないんだけども、時折こうなっちゃうときがあるみたい」


 ――そう、会話がかみ合わなくなることは容易に予想できたので、二人で

「白井先輩にだけ、『事故で記憶障害が起きている』という設定にしておこう」

 と決めておいたのだ。


 白井先輩は高千穂先輩と違って無遠慮な人じゃないから、そこまで個人の病状について突っ込んでこないだろうし、ごまかせるだろうと言う目論見だ。


「高次脳機能障害みたいなものですか? 失行症などに悪化しないといいですが……」

 白井先輩がすかさず返す。


「お医者さん曰く、頭を強く打った訳ではないのでどちらかという事故に遭遇した精神的なものらしいです」


 僕は台本通りに返す。「脳に障害の疑いがある」となると、頻繁に通院していないとおかしな事になるからだ。


「なるほど、素人理解で恐縮ですが、PTSDみたいなものにかかっている、っていう認識でいいですか?」

 流石白井先輩、理解が早くて助かる。実際はそうじゃないんだけども。


「そうそう。旭君のお医者さん曰く、『日常生活に戻って、友人や家族との会話によって不安が軽減されれば記憶も元に戻るだろう』って言われているの」

「先輩にもしばらくはご心配やご不便をおかけするかもしれないですけど、よろしくお願いします」


 僕が頭を下げると、白井先輩は両手を振った。

「心の事ですから気にすることでもないですよ。ただ、お医者さんの見立てが間違っている可能性も否定できないから、あまり続くようだったらもう一度脳障害を疑うためのセカンドオピニオン――よければ、うちの叔父が大津市立大の付属病院に居るから、紹介してあげますよ」

 

 ふう。『白井先輩をごまかす』というファーストミッションにはどうも成功したらしい。もっとも、本当にごまかせているのか、と聞かれると疑問符がつくけども。

 

「まあ、逆にあまり話題にする方がよくないですよね。私もさっきはからかってすみませんでした」

「いえいえ、こちらも言い出しにくくって。そうしていただけると助かります。僕もあれこれ言われると逆に気になるんですよね」

「分かります。私も昔、中学くらいの時に神経性の耳鳴りがひどかったときがあって――」


 どうも、白井先輩も似たような経験があるらしく、逆に共感されてしまった。僕も「そうなんです、理由が分からなくてー」「事故の時に叫び声とかが響いていたのがトラウマになっちゃっているのかなあ」などなど、なんとかお茶を濁す。


 そんな話で盛り上がっていると、白井先輩が五時を指した時計を見て、「あらこんな時間、今日は家で宿題をやりたいのでもう帰りますね」と言って、帰られた。


 この交文研は活動時間が割とフリーで、毎週木曜日の例会にすら出れば何時に部室に来ても、何時に帰ってもいいのだ。実際、僕も宿題がたまったりすると、顔を出さない日もあるくらいだ。

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