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 我々、交通文化研究会の部屋は旧校舎の二階の端、日のあまり当たらない、201号BOXにある。


 放課後、『あっち』と変わらない佇まいの旧校舎に感動しながらBOXへと急ぐ。ギシギシきしむ廊下も健在で、少しほこりっぽい匂いもよく知ったそれだった。


 戸を開けると、おなじみの光景、白井先輩が窓際のソファに、足を投げ出して座っている。


 先輩は手元の分厚い本から目をチラ、と離し、僕を認めた。

「あら、退院おめでとう、旭君」

「ありがとうございます、先輩こそお変わりなくて何より」

「たかだか一週間で人間の何が変わるというのかしら。不思議なことを言うのね」

「『男子一日会わざればなんとやら』ですよ」

「『男子三日会わざれば刮目して見よ』、ね。三国志故事の一つで――っていうのは要らない情報か」

「本当に先輩は何でもご存じですね」

「これくらい社会常識ですよ」

 白井先輩はそういうとまた読書へと戻った。『英国における階級社会の形成』――タイトルを見ただけでも、あまり興味の湧かない本だ。


 まったく、部室の雰囲気、そして白井先輩も「前」から一切変わっていないのに、重ねて安堵した。この部室まで変わっていたら、ちょっとおかしくなっていたかもしれない。

 


 この、窓際で黙々と本を読んでいる人は白井花音先輩。


 高千穂先輩から『動く丸善』と呼ばれるほどの博覧強記の先輩で、全国模試も毎回一〇〇番以内に入る化け物。高千穂さんが「何を食べたらこんなに賢くなるのか気になって、中学の時一週間花音と同じものを食べたことがあるんだけど、逆に胃がもたれて勉強どころじゃなくなったんだよね」なんていう奇行に走ったくらい、賢い。


 なんでそんな才女が交通文化研究会という洛桜の吹きだまりのような部活にいるのだろうか、とは思うけど、『読書にもってこいで、文芸部のようなうるさい連中もいないし、『交通文化』という言葉が気に入りました』とか言う理由で、ずっとうちの研究会に所属してくださっている。実際、鉄道をはじめとする乗り物「も」好きで、豊富な知識と高い見識には高千穂先輩ですら舌を巻くくらいだ。


 『化け物というのは本当にいるんだ』と田舎から出てきた僕は圧倒され、尊敬を通り越して何か尊い感じすら得ている。そんな人だ。



 僕は静かな先輩の横で、部室に転がっている雑誌「新鉄道」を読む。今月号の特集は「寝台超特急」。ページをめくると、700系新幹線の帯の所に星のような意匠が凝らされた新幹線が乗っている。鉄道趣味は長らくやっているつもりだけども、『寝台超特急』、何のことか分からないのでページの最初の説明を見よう。


『1980年代、経済成長による旅行需要の増加とゆたか丸事件を端とする電力不足によって、国鉄は長距離列車の「輸送負け」状態が続いていた。一方で、当時新幹線は0時~6時の運行は一切なく、深夜も絶え間なく列車が走る在来線と比較すると「遊んでいる」と言っても過言ではない状態であった。

 そこで昭和58年夏、国鉄では、余剰電力の生まれる深夜帯に、全く列車の走っていない新幹線線路を用いて夜行列車の運転を検討し始めた――』


 こういう計画が昔「向こう」でもあった、という話を聞いたことはある。結局騒音問題とかでポシャったんだっけ。ただ、どうも「こっち」では実現しているらしい。


 そのページには登場当初の0系を改造したのであろう寝台超特急「さくら」の写真や、『北国に伸びる眠れる超特急』と題されたページには雪をかき分けて走る寝台超特急「はやぶさ」の写真が載っている。これはE2系だろうか。


 次のページには車内の様子も載っていた。寝台車はひらがなの「に」の時のように寝台が並んでいて、個室寝台や座席車もあるらしい。食堂車の写真と、ビーフシチューの写真も並んでいる。どうも新幹線は北海道まで延伸しているみたいだから、夜行列車いえども車内で食事の需要もあるのだろう。

 

「おっ、今月号届いていたんだ」

 僕が雑誌を読んでいると、高千穂先輩が部室にやってきた。


「表紙は600系新幹線だね」

「へ、へえ、そうですね」

 白井先輩がいる手前、『そんな列車はないですよ』なんて答えるわけにはいかない。

「やっぱり私たちの世代にとって新幹線と言えば300系と600系よね、花音」

「私は新幹線と言えば0系ですね。山口の親の実家に帰るときにいつも乗っていましたからね」

「あー、そういう思い出補正もあるよね。旭君はどう?」

「あっえーっと、僕はN700系が……」


 しまった。多分「こっち」にそんなものはない可能性が高い。国鉄が頭にアルファベットが付くような形式を採用するとは到底思えないし。


「えーっと、700系にN編成ってあったっけ」 高千穂さん、ファインプレイ。

「ないです、C編成とB編成だけですね」 白井さんが即答する。

「な、何かの思い違いですかね。N編成って新幹線だと……」

「夜行編成の300系がN編成。編成記号って混同しやすいからあるあるですね」


 僕は何度助かったと言えばいいんだろうか。今回もなんとなくごまかせた。


「でもさ、編成記号って単純なのあるよね」 高千穂さんも変な深堀りをさせないためか、話題を変えた。

「山陽新幹線の500系の一六両が『W編成』でその半分の八両編成が『V編成』とかですか? あれは覚えやすいですね」

「だよね。あれくらい単純だと旭君みたいな間違いも犯さないのに……」


 ピリリリ、ピリリリ。


 話の最中、携帯電話が鳴り始めた。高千穂さんは携帯電話を取りだして、部屋の隅の方で電話を始めた。


「あー、はい、お世話になっております…… えっ、そうなんですか、ありがとうございます……」


 普段聞いたことのないようなお上品な声で電話をする高千穂先輩を背に、白井先輩が質問をする。


「そういえば、入院はどちらに?」

「とうふ…… じゃない、桂の第二日赤病院です。あれ、お見舞いに来てた高千穂先輩から聞いていなかったんですか?」

「そもそも瑞穂が見舞いに行ったとか、聞いてないですね」

「あ、そっか、今日は試験明けで久しぶりの部活だから……」

「いや、昨日も部活はありましたよ」


 白井先輩は少し不機嫌そうに答える。


 一方の高千穂さんは「それじゃあ、よろしくお願いします!」と朗らかに電話を切った。


「瑞穂、旭君の見舞いに行ったの? 入院先も分からないんだから行かないでおこうねって――」 白井先輩がそこまで言うと、高千穂先輩が手のひらで話を止める。


「花音、その話は後でいいかな? それよりビックニュースがあるんだよ」


 白井先輩は極めて腑に落ちない様子だったが、「ここで瑞穂を押さえ込む方が面倒」という合理的判断をされようで、「はい、じゃあそっちから」と大人の余裕を見せた。


 白井先輩、いつもフリーダムな高千穂先輩に振り回されていて、交文研に居るせいでストレスがたまっていないか心配になってしまう。対する高千穂先輩はそんなことお構いなし、といった感じに目を輝かせて、ガッツポーズをする。


「『女子鉄乗り物百科』の企画が通ったの!」


 白井先輩は「そうですか」と小さく、しかしながら無表情に隠しきれないうれしさをにじませる。僕もこの話は「あっち」で聞いていた話だから「よかったじゃないですか」と拍手で迎える。


 この『女子旅乗り物百科』というのは、季刊の中堅旅行雑誌である「Reisen」の珍しい乗り物や人気の乗り物を特集する、といったコーナで、今は鉄道アイドルとして知られている人が連載をしている。


 この雑誌の編集部にこの交文研のOGがいるらしく、『三月で今担当している女性アイドルとの契約が切れるから、正直な話、お金がもうちょっと安く済む人に入れ替えたい』なんていう話があがったらしい。


 そこで白羽の矢が立ったのが洛桜高校交通文化研究会。(元)女子高の乗り物系の研究会はめずらしく話題性にも富んでいるし、プロのタレントさんよりかはお給料も安くても大丈夫だ。高千穂先輩としても「タダで乗り物に乗れるならそれだけでいい」とかなり乗り気で、学校側との交渉、編集会議に出す資料作りへの協力など、ここ最近は試験勉強もそっちのけで忙しそうに動いていたのを覚えている。


 まあ、鉄道マニアというのは、鉄道が関わることになると、活動係数がどうしても上がりがちな人種なのだ。


「これで高千穂先輩が欲しかった、『全国周遊券』が手に入りましたね」

「旭君、そんなに単純じゃないのよ。どこかに行くためには編集会議を通さなきゃいけなくて、例えば『東海道本線各駅の駅の柱に見る古レール』みたいなマニアックな企画は通らないことが簡単に予想できるんだよね」

「要するに、『マニアックそうでマニアックでない少しマニアックな企画』を要求されているんですね」

「例えば『鉄道博物館のマニアックな見所』みたいな感じとかいいですね。それなら私でもお手伝いできそうですね」

「花音がガチで解説すると鉄道マニアですら裸足で逃げていくんじゃないかな……」

「それなら僕なんか『女子鉄』ですらないですから、そもそも企画自体も参加できそうにないですね」


 一瞬、空気が凍る。


 そりゃそうだ。雑誌も誌面には可愛い女の子を求めているのであって、オタクの男子高校生などが載ったらそもそも「女子鉄」というタイトルが崩れてしまう。僕はお留守番をするのが関の山だろう。


 しかし、ここで、「いや、そんなことはないよ」と高千穂先輩が言う。


「うちには会員が三人しか居なくて、うち一人は男の子だ、っていう話はしてるの」

 高千穂先輩曰く、向こうも「逆に男子がいない鉄道マニアの研究会というのも現実

味がなくて変」と思っているらしく、僕も『お手伝いをしてくれる後輩君』的な立ち位置で参加できることになっているらしい。


「実際に紙面に出るかどうかは分からないんだけどね。さて、初回の企画はどこに行こうかな……」

「えっ、いけるところ自由に選べるんですか?」

「『Raisen』は旅行雑誌であって鉄道雑誌ではないからね。編集部の人も割と『疎い』人ばかりらしくって、岩崎さん曰く『言えば予算さえなんとか出来れば通る』なんて言ってんだよ」


 『言えば通る』なんて、出版社というのはよっぽど金を持っているらしい。僕も大学を出たら出版社に勤めようかな。


「――まあ、岩崎先輩が高校生の思いつきの企画を編集会議で通すのは大変だとは思いますけどね。あまり鵜呑みにするものでもないかと」

 ここで白井先輩がチクリと刺す。

 そうか、大人の世界だから、会議に通らないことにはいかんともしがたいか。


 一方、高千穂先輩は「それはそうだけど」と前置きをして、とんでもないことを言い出した。


「まあ、そこは岩崎さんが苦労するところだから、私たちは考えたところで仕方がなくない?」


「それってすごく無責任じゃないですか?」 つい、僕も口が出てしまう。


「うーん、確かに無責任といえば無責任なのかな? でも私たちは『行きたいところ挙げてくれ』としか言われていないし、それ以上の心配を勝手にするのはそれはそれでありがた迷惑になっちゃうと思うんだよね」


 先輩はあまりにもあっけらかんと言う。昔から、こういう所は肝が据わっているし、怖いもの知らずだよなあ、なんて思う。一周回って説得力があるくらいだ。


 白井先輩も謎の説得力に負けたようで、「まあ、瑞穂の言うことにも一理はあるか……」なんて言っている。


 交文研のあらかたの取り決めは、このように、高千穂先輩の謎の押し切りで決まることが多い。


 理路整然を好む白井先輩なんか内心快く思っていないんじゃないかと思うけど、大きなトラブルになったことはないあたり、『中学一年からの付き合いだし』と諦めているのかもしれない。逆に僕なんかはふわふわした人間だから、むしろ先輩のD51顔負けの牽引力に圧倒されてばかりだ。


「ただ瑞穂、普段のわがままが大人相手に通じるとは――」

「分かってる、分かってる。私ももう高校三年生だし、もう十分分別のあるレディといっても過言ではないんだよ」

「分別のあるレディが遠慮しよう、っていった後輩のお見舞いに押しかけるとは思わないんだけど……」


 そういえば、先輩は高三なんだけど、受験はどうする気なんだろうか。洛桜は一応名門校。皆さん名門国公立や私大でも最難関クラスの学校を目指す人が多い。白井先輩なら寝ていても東大入試に受かりそうだけども、高千穂先輩はそんなに賢くなかったはずだ。


 まあ、「乗り物に乗れるなら浪人の一年や二年」なんて言いそうだし、そのつもりなのかもしれない。

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