2-2
さて、今は三月の中旬。ほとんどの授業は終わっていて、試験返却をして残りはビデオを見たり、やる気のある科目は二年の授業を先取りしたりと消化試合のような雰囲気の授業が続く。はずだったのだが……
さて、一時間目。
「今からドイツ語の試験を返します」
訳のわからないことに、挨拶の仕方すら知らない言語の授業が始まった。
冷静になって壁に貼ってある時間割を見ると、ドイツ語の授業が週二回あるらしく、それの試験を返すらしい。母校の姿形は一緒でも、教育制度までは同じではないようだ。
「はい、旭君、もう少し頑張りましょう」
返された答案は七五点。普段の英語の試験の点数に比べるとそんなに悪くもない点数だが、鞄の中から出てきた「問題用紙」と付き合わせると、訳文を見る限りはどうも中一英語レベルのドイツ語のようで、そんなに難しいわけでもなさそうだ。
「はい、それでは解説をしますー」
ドイツ語の挨拶が『グーテンダーク』ということを今知ったレベルの語学力でなんとか理解できないか、と解説を必死に聞く。恐らく、人生で一番必死に聞いた授業といっても過言ではなかったかもしれない――まあ、正直、半分も分からなかったんだけど。
後の授業は九〇点の「日本史」、七五点の「現代文」、六〇点の「数学基礎」……まあ、この辺はなんとなく知っているような内容。
教科書が旧仮名遣いだったりしたらどうしようかと思ったが、そこまで変わっているわけではないようだ。ハラハラしながら試験返却を受けていると、あっという間にお昼休みの時間になった。
○
この学校には学食もあるけど、僕は普段叔母さんの作ったお弁当を食べている。
「しかし、新聞で読んだが大変な事故だったそうじゃないか。よく無傷だったな」
「正直運はよかったなと思う」
「しかも高千穂さんが見舞いにくるとか逆にラッキーイベントなくらいじゃないか? うちの『シスター』の半沢先輩なんか『交通事故くらい唾をつければ直る直る』なんで言いそうだぞ 」
「流石にそれはないんじゃないのかな」
前に座っているのは『唯一の男子のクラスメイト』である友人の千代田稔。一組から五組までは男子が三人居るのだが、この六組だけは二人しか居ないのだ。
それにしても千代田の弁当箱が前と変わっているのが気になる。前は普通の緑色の弁当箱だったが、漆塗りの少し古風な弁当箱になっている。前の弁当箱がだめになったんだろうか。
「なんだ、俺の弁当箱が珍しいのか?」
「いや、今時漆のお弁当箱なんて珍しいな、って。最近買ったの?」
「いや、前からこれだぞ? そもそも大抵弁当箱なんて漆かアルマイトだろ」
「えっ、そうかな?」
「逆にプラスチックの弁当箱なんて贅沢品の一例だろ。軽くて丈夫なんだけどな」
周りをキョロキョロする。確かに、クラスの四分の三くらいは漆塗りだったり、アルミ製のお弁当箱を持っている。中には竹篭を使っている人すら居て、確かにプラスチックは少数派だ。
「そ、そうだね」僕は適当に相づちを打つと、千代田も「まったく、おまえはたまに変わったことを言うよな」なんて流してくれた。ふう、助かった。
あとは多愛のない話か続く。いつも聞いて千代田が聞いている声優さんのラジオの話とか、最近の漫画の話などなど。久しぶりに普段の生活に戻ったような会話が出来て、正直落ち着いている。
「――よっぽど入院生活つらかったか?」
「えっ?」
「いや、今日のお前すごくうれしそうにしゃべるからさ。俺なんて『数日学校サボれて羨ましいな』位に思っていたけど、そうだよな、入院ってひとりぼっちで周りはジジババだらけだからだからさみしいよな」
「えっ……、う、うん、そうだったよ……」
千代田となんとなく仲良く出来そうなところは、下手な女の子より――といったら怒られそうだけど、こういう、心配りのうまいところだと思う。実際、こいつのお陰で男二人で寂しいクラスもなんとか乗り切れた気がする。
「だよなあ。まっ、しかしお前の入院生活に華を添えたことには感謝……おっと、口が滑ったな」
「なんだよ、『華』って」
僕がそれを問いただすと、千代田は「わかったわかった」と両手を挙げ、口を開いた。
「実はな、入院したことを高千穂さんに伝えたのは俺なんだ」
叔父さんが『学校には事故に遭ったとしか電話していない』と言っていたのに、なんで先輩が見舞いに来られたのか不思議だったけど、そういうことだったのか。
「高千穂さんも朝のニュースで『このバスもしかして』と思っていたらしくてな。朝のホームルームで『旭くんは交通事故に遭って入院することになりました』なんて担任が言っていたから、絶対心配すると思って、わざわざ二年の教室まで行ってきたんだぞ」
流石千代田、気遣いの人だ。
「すると高千穂さんが『どうしても見舞いに行きたい』っていうけど学校では入院先が分からなくてな。仕方なく親父に電話したらちょうど社会部の知り合いに取り次いでくれて入院先が分かったんだ」
こいつの親父さんは報道記者で、確か大きな新聞社の支局長か何かをしていたはずだ。そのコネがあれば事故被害者の入院先くらい容易に特定できるだろう。
「それにしても、あんなに冷静を欠いた高千穂さんなんて初めて見たぞ。本当に真っ青で、普段のクールな印象なんて一ミリもなかったな。お前、高千穂さんの家でケンカ別れでもしたんか?」
「う、うーん。別に心当たりはないかなあ」
「本当か? どうにせよ、高千穂さんにはお礼を言っておいた方がいいと思うぞ」
「うん、教えてくれてありがとう」
会話が終わると、昼の始業のベルが鳴って、ガヤガヤとしたクラスが静まり、今度は聞いたこともない統計数学の試験が帰ってきた。
まず、僕は勉強について行けるんだろうか。心配ばかりの新生活だ。
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