1-3(終)

 一般に、中二病というのは、自分に特殊な能力があると思い込んだり、謎の紋章や呪文を作るなど、そういう行為に耽ることが指すらしいが、こと、鉄道マニアの中学生にはちょっと違う中二病のスタイルがある。


 架空の鉄道路線を妄想する――いわゆる、「架空鉄道」だ。


 「架空鉄道」というのは「撮り鉄」や「乗り鉄」なんかに並ぶ、立派な鉄道趣味のジャンルの一つで、架空の鉄道路線を作り、そのダイヤや車両などを考えたりするものだ。中には中二病なんて範疇を超えて、かなりよく練られたものも時折ウェブ上でみることがあって、感服させられることもある。


 まあ、一例として、関西在住の鉄道マニアの中学生なら、次の妄想は必ずしたことがあるだろう。


 実現しなかった、淡路島を通る本四連絡鉄道。

 関西発の寝台特急の「あかつき」「日本海」「銀河」が残っている世界。

 

 そして、ちょっと変わり種だけども……

 『もし首都が京都や大阪になったら』――なんていうものある


 僕も時折そういう妄想をして、グリーン車付きの京阪神快速線や、堂々一二両編成の阪急京都線特急、そして枚方市まで複々線の延びた京阪本線なんかを頭の中に走らせていたことがある。


 京都には通りという通りに地下鉄が走り、千年の都の名にふさわしい文化の都。

 そして、大阪は『東洋のマンハッタン』の名を欲しいがまま、商都として栄える。


 実に荒唐無稽な妄想だけど、割と『東京タワーはその世界にあったんだろうか』『一九六四年のオリンピックはどこでやったんだろうか』なんて、鉄道に関係ないところでもいろいろな妄想が膨らむものだ。


 ……で、どうも僕は何かの拍子でその世界に来てしまったらしい。


 僕はカチャカチャと音とのなる金属製の食器で夕食をとりながら、FXで三千万円溶かした人のような顔を浮かべて考え事をする。よくよく考えてみると、この病院の食器もプラスチックなどではなく、今時『戦後間もない頃の学校給食』なんかの写真で出てくる金属の食器なのも不思議だ。


 例のテレビは『京都からの全国ニュース』の最後に「大阪証券取引所、今日の終値は」と市況を読み上げたあと、同じアナウンサーがそのまま「それでは、首都圏のニュースをお送りします」と大阪で起きた交通事故や、舞鶴の火事のニュースなんかを伝えている。


 さっきから、『まだ意識を取り戻してなくて、夢の中なんじゃないだろうか』なんて思っているが、それにしてはあまりにもはっきりとしすぎた夢だ。


 枕元に先輩が置いていった時刻表がある。表紙にはえーっと……『国鉄監修 交通公社の時刻表』『北陸新幹線ダイヤ改正』と書いてある。過去の号じゃないだろうなと思ったら、ちゃんと今年の三月号と書いてある。

 にわかに信じがたいが、どうも国鉄が残っているらしい。

 ページをめくって時刻表地図を見ると、赤い線の新幹線が、南は鹿児島、そして北は日本海をたどるようにして――なんと札幌まで到達している。

 『整備新幹線』とはちょっとルートが違うが、見た感じ、四国にこそ新幹線は来ていないけど、長崎・長野・仙台……といった都市には新幹線が到達している。ひょっとすると時刻表の凡例が僕の知っているのと違っていて、新幹線ではなくただの幹線を赤色で書いているんじゃないかともったが、凡例には赤い線は「新幹線」だと書いてある。


 まさに、田中角栄の『日本列島改造計画』が実現したような地図だ。これなら、三国峠もとうの昔にダイナマイトで吹き飛ばされているかもしれない―― もっとも、上越国境のループ線が書いてあったあたり、それはないみたいだけど。


 さて、この時刻表地図を読んでふと思う。本当に「今日は事故に遭った日の次の日」なんだろうか、と。


 実は何十年先の未来に飛ばされて、そのときには東京から京都に遷都していて、そして実は夕方に会ったのは高千穂先輩ではなく、そっくりのお子さんや、お孫さんである可能性を考えた―― が、起きたときに今日が『三月一四日』であることを確認したし、入院の同意書にサインしたときも、『三月一五日』でオッケーだったのだ。

 暦の使い方が大きく変わったと言うことはあるかもしれないけど、西暦でも和暦でも同じ日になることはまずないだろう。この線はない。


 他は――何が考えられるだろう。僕の貧弱な想像力では『何らかの人体実験に付き合わされている』『何らかのドッキリ企画に付き合わされている』なんかくらいしか思いつかない。


 ただ、それにしては、この時刻表はあまりにも出来すぎている。


 『ニュース』のページには「北陸新幹線のスピードアップ工事により、金沢~新潟間の時速三〇〇キロ運転が実現しました」と書いてあるし、東海道新幹線のページには『のぞみ』がなぜかないけども、『ひかり』『こだま』の時刻が正しく載っているし、試しに東北線のページを開くと在来線特急のページに「特急ひばり」「特急はつかり」なんかの時刻が乗っている。

 数字を検めても、東京駅から仙台駅まで四時間弱、営業キロを九〇で割れば大体そんなものだから、でたらめな数字が載っているわけではなさそうだ。民鉄線のページでも、『東京急行電鉄』『京阪神急行電鉄』と、時折あれれと思う表記がされていることはあるが、あらかた見知った路線が、すこし変わった形で載せられている。誰かが創作で作ったにしては、あまりにも出来すぎている。


 僕はその時刻表をまさにを目と鼻の先に近づけて熟読していると、一日の疲れがどっと来てしまったのか、食事もそのままに寝てしまった。


    ○


 翌日、朝食を食べるとまた悠久の長さを誇る検査があり、その後に眼科で念願の眼鏡を受け取った。それから帰ってくると、もう昼食の配膳の時間。ベッドに戻ると、看護師さんが


「高千穂さん、という方が朝八時頃に持ってきてくださいましたよ」


と『山川』を渡してくれた。先輩、家は太秦なのにわざわざ学校の行きすがらに桂に寄ってくださったのか。


 少々驚きつつも、食後のひとときを『山川』と過ごすことにする。


 一八六八年。大政奉還。


 ここまではパラパラと読んだ感じ、僕の知っている日本史と出てくる人物も出来事も相違ない。


ところがである。次の行に目を疑う一文があった。


「関東鎮圧とともに、7月に江戸を東京と改め、九月に年号を明治と定め、一世一元の制を定め、翌明治2年、と定め、天皇中心の国家体制の礎を築いた。」


 やっぱり、か。


 この山川まで小道具だとは思えないし、昨日の時刻表といいほぼほぼ『違う世界』に飛ばされたと思って構わないだろう。


 一番不安なのが、社会の仕組みが『現実』と一致するか。ひょっとすると男子の徴兵制とかが現存しているかもしれないし、文化一つとっても、『現実』と同じとは限らない。恐らく、慣れるのには相当の時間がかかるだろう。


 あと、学校の事だと日本史と地理。僕はこれだけが科目の中で得意なのだけども、ほぼほぼ近代史は覚え直しだろう。これは落第間違いなし。


 そして……

 事故に遭う前に、とても大事な、気になることがあった気がするんだけど――


 それを思い出そうとしていると、またもや軽やかなセーラー襟の女子高生が見舞いに来た。高千穂先輩だ。


「朝はごめんね、大慌てで顔も出せずに」

「いえ、むしろ太秦のご自宅からここまで寄ってもらって恐縮極まりないです」

「う、太秦――? まあ、別に普段は嵯峨野線の快速に乗っているのを、亀岡から

洛西高速線で来ればいい話だからねえ。たいしたことないよ」


 洛西高速線、とはなんだろうかと思う僕をよそに、先輩は話を続ける。


「あ、眼鏡がやっと届いたんだね。よく似合っているよ。前は黒縁だったけど銀縁も似合うね」

「ありがとうございます。これで先輩からもらった時刻表でも暇が潰せますよ」

「ぜひそうしてくれるといいね。しかし、定期試験も終わったのに早速勉強だなんて君も熱心だねえ」

「いやー、記憶ものは繰り返しやらないと忘れますからねえ」

 適当にごまかすと、「ふーん」と言って、先輩は僕の『山川』を取り上げた。

「あれかい? 事故の衝撃で何か忘れているかもー、とか気になっているのかな。―― そうだ、私が『山川』からクイズを出してあげよう」


 そう言うと先輩はざっとページをさばいて、後ろの方のページで止める。


「はい、第一問。日本で衆議院が任期満了で解散されたのは何回ありましたか?」


「二回です」僕は即答する。「第一〇回と第一一回です。いわゆる桂園時代の最中ですね。ちなみに戦後はなかったはずです」

「おっ、流石日本史は『五』なだけあるねえ! 気持ちいい即答だよ」


 どうも、先輩の反応を見る限り、近代史が全部書き換わっているということはないようだ。桂太郎も西園寺公望も首相をやったみたいだし、『戦後』が通じたあたり、第二次世界大戦もあったのだろう。


「じゃ、第二問。これは簡単すぎるかな? 日本で一番長く総理大臣をやった人は誰でしょう?」

「先日お亡くなりになった中曽根康弘ですね。在任期間も答えられますよ。一八〇六日です」

「えーっと、石橋湛山じゃないのかな……」

「石橋湛山は二番目に短かったんですよ。何を言っているんですか?」


 石橋湛山は知っている。戦後だと羽田孜の次に在任日数が短い首相で、確か脳梗塞か何かで退陣しているはずだ。先輩は目を丸くしている。


「えーっと…… まあいいや、次の問題。これは中学でわかるでしょ、1973年、中東戦争が勃発し、ある事件が起きました。なんでしょう」

「オイルショックですか?」

「ま、まあ確かにオイルが足りなくってショック! って人は多かったかもね……『ゆたか丸事件』、覚えていない?」


 ここで知っている振りをするのも一つの手だと思ったが、ますます話が合わなくなってしまうことが容易に予想できる。素直に「覚えていませんねえ」と答えることにした。


「あれ、私の聞き方が悪かったのかな…… それにしても君に言われるとなんか不安になってくるね、なんならこの山川の内容、合っているのかな?」


 先輩は笑ってごまかす。ただ、首相の在任期間を間違える歴史教科書などないだろう。先輩も口には出していないが、やっぱりどこか後遺症が残っているんじゃないかな、と顔を曇らせている。

 重苦しい空気がちょっと流れた後、それを振り払うように先輩が小さく手を叩いた。


「そうだ、難しい日本史なんかの話じゃなくて、乗り物の話なら大丈夫でしょ」


 逆に、もらった時刻表からして不安しか覚えないが、もう仕方がない。脳外科でも精神科でもどこでも行ってやる。


「じゃ…… 大阪の地下鉄御堂筋線はどこからどこまで走っているでしょう?」

「千里中央……と見せかけて、江坂からなかもずです」

「千里中央までって何年前の話かな…… っていうのは置いておいて、正解だね」


 どうも、路線が『現実』より伸びたりしているところもあるらしい。昨日の『城東線』も効いたことのない路線だったし、そういうものがいっぱいあるんだろう。


「次の問題。駅の自動券売機で売っている、小型きっぷのサイズの名前は?」

「エドモンソン券です。確か発明した人がエドモンソンさん、って名前だったからそんな名前ですよね」

「そうそう、正解。なんだ、ちゃんと覚えているじゃない」


 この後も、「東海道新幹線の開業年」「113系のモータの種類」などには正答できたが「山陰快速線の園部までの駅」「東海道線快速のグリーン車は姫路寄り何号車」という問題には一切と答えられなかった。そんなもの、知るよしもない。正答をするたび先輩は安堵の顔をし、誤答をする度に苦い顔をする。


「うーん、旭くん、誠に申し訳ないんだけども、ひょっとすると――」


 質問を一〇問ほどやった後、先輩はがん患者に告知をするような調子で僕に何かを伝えようとする。


「はい、先輩、僕もどうも――」


 まさか、『東京が首都の世界から来ました』なんて言って、信じてもらえるだろうか。それを考えると、「一部で、記憶喪失になっているみたいですね」と言った方が、理解もされるし、暮らしやすいだろう。


 しかし、ここで僕は入学当初、先輩に言われたことを思い出した。 入学式から一ヶ月くらい経った、体育がある日に体操服を忘れ、ほとほと困って先輩に相談しに行ったときのことだ。


 ♪


 僕は「よそのクラスの男子も体操服を持ってなくて……」と、保健室なんかで借りらえないか相談してもらうつもりだった。

 しかし、なんと先輩は「はい、窮屈かもしれないけど、貸してあげる」と自分の体操服を貸してくれたのだ。しかも使用済みの。


 流石にこれには固辞した。しかし、「洛桜では体育の見学は体調不良以外欠席扱いだから、恥ずかしくても出た方がいいと思うよ?」と逆に押し切られてしまい、周りにからかわれながら体育の授業にでることになったのだ。――あ、そういえば普段の体操服より少しいい匂いがした記憶もあるっけ。


 放課後、交文研の部屋で先輩に体操服を返すときのことだ。

「先輩から体操服をお借りするなんてなんとお礼をしたらいいのか……」

「全然気にしなくて大丈夫。ここ洛桜では『シスター』は姉妹同然、君は私の『シスター』なんだからお姉ちゃんには何でも相談してくれていいんだよ?」

「なんでも、ですか?」

 これにはちょっと躊躇した。先輩はあくまで「先輩」だし、なんなら性別も違う。そんな人に気安くあれこれ相談していいのかずっと悩んでいたのだ。

「うんうん、勉強に学校生活、親とのケンカや恋愛―― あ、私なんて『どうやって親に望遠レンズを買ってもらうか』なんて真面目に相談したことがあるよ。そういうものだよ」

「じゃあ、『白井先輩のパンツが三日に一度くらい見えていて目のやり場に困る』とかも相談していいんですか?」


 一瞬空気がかたまった。あ、やらかしたな、と強く後悔の念が湧いた。


「あー…… それは花音にちゃんと言っておくね」

「えっと、なんかすみません」


 僕は流石に飛ばしすぎた質問だったかな、と反省した。しかし、先輩は手を横に振って否定した。


「そんなことないよ、この学校は女の子ばかりだったからそういうの気にしない子、結構いるしね。私も危うく日常化していたし、逆に『シスター』の率直な感想が聞けてよかったよ」

「そう言っていただけるとうれしいです」

「うん、私もうれしいよ。お金はあんまり貸せないかもしれないけど、困ったことなら何でも相談に乗ってあげるよ」


 先輩はうんうん、と首を頷かせながら、こう言ったのだ。


「なぜなら私は君のかわいい『シスター』だからね!」



「や、言い澱んじゃって。どうしたの?」

 先輩が僕の顔を覗く。あのとき顔と一緒の、凜とした顔立ちが目の前に現れる。


 そうだ。僕はこの人のシスターなんだ。


 この人になら、言ってもいいだろう。

 

「先輩、実は――」


 僕はここまで感じていた違和感を、すべて先輩に吐き出した。

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