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「やあやあ。うちまで来てもらって、帰りに事故に遭うなんて災難だね」


 退屈が原因でそろそろ死ぬのではないだろうかと思っていたら、何やら聞き覚えのある声の人が出てきた。高千穂先輩だ。


 高千穂瑞穂――先輩は高校の一つ上の先輩だ。ハーフアップの大変よく似合う人なんだけど、その一方で宝塚の男役のような色っぽさも感じさせる人。お父さんの影響で子供の頃から電車、バスといった乗り物が大好きで、僕が高校で所属している『交通文化研究会』の会長を務めている。


「先輩、わざわざご足労いただいてすみません」

「なーに、可愛い『シスター』が事故で入院しているなんてほっておけないじゃない? 入院先が西鹿児島でも行ってあげるさ」

「先輩、西鹿児島は遠の昔に『鹿児島中央』になってますよ」

「あら、君にしては面白い冗談じゃないかい」


 先輩はセーラー・ワンピース――うちの高校の制服はワンピースの上がセーラー襟になっている、全国的にも珍しい制服なのだ――の制服をひらりと返すと、ベットの脇にある、昨晩叔父さんが座っていた椅子にかける。


「いやー、聞いたよ。避難誘導に協力して、君のお陰で無事に全員脱出できたって。かっこいいねー、流石私の後輩だよ」


 親父と同じことを言っているのだが、不思議とこの人に褒められるとうれしい。


「いやいや、交文研の人間として当然のことをしたまでですよ。あっ、バスの非常ドアって開けると非常ベルが鳴るんですよね、僕初めて知りました」

「へー! それは貴重な体験をしたね。私も非常ドア、開けてみたいなあ」

「洒落にならないことを言わないでくださいよ。死ぬかと思ったんですからね」

「うーん、私も事故に遭うのはいやだなあ…… そうだ、将来中古のバスでも買ってやってみようかな。ついでに大型二種も取っちゃって。拓真くん、是非それで二人でドライブでもしようよ」

「先輩ならやりかねない……」


 この半日の退屈が吹き飛ぶくらい、やっぱりこの先輩は明るくて楽しい人。僕は一人っ子なんだけども、姉がいたらこんな感じだったのかな、なんて思う。


「あ、そうそう、前時刻表の記念乗車券の欄を見ていたら君が欲しそうなやつが売っててさ、今朝届いたからあげるよ」

 先輩が贈り物なんて珍しい。たいてい、「私は旅行費用であっぷあっぷなので君にご飯を食べさせることすら出来ないよ……」なんて言う人なのに。

「えーと、鞄の前のポケットに……」


 先輩は指定券を入れる紙の入れ物を鞄から出すと、「はい、これ」と両手で渡してきた。


「えーっと……これは?」

 当然のことながら、眼鏡がないのでよく見えない。

「――?……あ、眼鏡がないのか!」

「そうなんです、割れちゃって。明日には眼鏡が届くらしいんですけど」

「難儀だねえ。もう少し近づけたら読めないかな?」


 僕はその紙切れ――多分、記念入場券とかの類い――をもう少し近づける。なんか、山間の路線で、乗っている電車の雰囲気からして国鉄型の特急列車っぽい。中央西線とかだろうか。


「えーっと……『土……讃線…… 電化三〇周年?』」


 土讃線というのは、香川から徳島県をかすめて高知県へ向かう路線なのだが、香川県内のごく一部を除いて電化されていない。はて、香川県内の電化から二五周年だっけと横の白くなっている部分を見ると、『入場券 高知駅』と書いてある。香川県内の電化を祝うのであれば、『高知駅』発行はなかろう。券面に刷られている風景もぼんやりとしか見えないが、どう見ても四国山地のど真ん中あたりを走る、国鉄型の『電車』の写真に見える。


「土讃線に381系なんて走っていましたっけ?」

「電化当初はそうだったじゃない、水色の四国総局色の」

「――先輩、エイプリルフールはまだ半月先ですよ……」


 毎年、交文研には『エイプリルフールにはウソ乗車券を作る』という謎の文化がある。去年は『京都営団地下鉄開業八〇周年』と題し、もし京都が首都だったら、という妄想で地下鉄を縦横無尽に走らせた路線図を載せた乗車券を作ったと聞く。


 ――あれ?


 朝から、なんとなく感じていた違和感を思い出す。

 第一日赤なのに桂にある。

 なぜか汽車で上洛する両親。そして帰りは飛行機。

 関西ローカルの番組の『首都圏の天気予報』

 そして、この『土讃線電化三〇周年』記念入場券。


 ひょっとして、なんて思ってしまう。

 

「ひょっとして、頭を打って『電化』の意味を忘れちゃったかい?」


 僕をのぞき込むようにして、顔色を伺う。どうも、この入場券は本物らしい。


「まさか。電車が走らせるように架線がせんを貼って、気動車列車を電車に置き換えることが電化です」

「よしよし。『がせん』といえるのは流石交文研の会員だね、じゃあ、日本の国鉄の直流電化は何ボルト?」

「一五〇〇ボルトです。先輩こそ、国鉄なんて古くさい言葉を使いますね」

「う、うーん。べつに国鉄は古臭いものでもないんだけどな。人間の記憶の構造って意外と複雑なのかな…… 私、生物科学の成績はあんまりよくないんだよね」


 高千穂先輩は頭を抱えてしまう。


 こちらも頭を抱えたいのだが、それをすると「脳に謎の障害が!」なんて話になって、余計にややこしいことになりそうなのでぐっとこらえる。検査結果に一切の異常はないのだ。


 しかし、381系、という車両形式は通じているし、日本の直流電化が一五〇〇ボルトという事実も通じているあたり、僕の方がおかしい可能性も存分にある。

 僕の顔もいつのまにかに曇っていたようで、心配した先輩が明るく話しかける。


「ならちゃんと覚えているか、クイズでもやろうか。そうだね…… 381系電車には台車に特徴があります。なんでしょう」

「振り子装置がついています。381なら自然振り子式ですね」

「正解。カーブでスピードを落とさすに走るために、電車自体が傾くんだよね。じゃあ次の問題。城東線で走っているのは何系ですか?」

「城東線……? 城東貨物線ならおおさか東線になりましたけども、201系が走っていますね」

「に、201系? それは一昔前の山手線じゃないかな。城東線でも、205系なら走っていたことがあるんだけどな……」


 認知症の症状の中には、「昨日忘れてたのに今日は覚えている」みたいなものがある、というのをテレビのワイドショーで見たことがある。そんな感じで、僕もまだらに覚えていることや、記憶を失っていることがあるのだろうか。


「うーん、ちょっと事故に遭った後で混乱しちゃっているのかもしれないね。そうだ、時刻表を枕元のお友達に買ってきたから、読んでおくといいよ――って眼鏡がないのか」

「まあ、目の前に近づければ読めますよ。お気遣いいただいてありがとうございます。ちょっと僕も鉄活のリハビリをしますね」


 こういう様子がしばらく続くようであれば、ちゃんとお医者さんに説明して、しかるべき治療を受けるべきだろう。


 ただ、『僕がおかしい』訳でない気がするのも気のせいだろうか。

 それを何か確認する、よい術は――


「あ、そうだ、先輩にお願いがあるんですが」


 僕はひらめいた。普段使っている、いい本があったじゃないか。


「山川の日本史と地理をお持ちじゃないですか?ちょっと一日ぼーっとしていて、気になっていることがありまして……」

「えっ、君なら山川の日本史と地理は全文暗記していると思っていたんだけど」

「そんな白井先輩にみたいな芸当出来るわけじゃないじゃないですか」

「うーん、私世界史だから、日本史は持ってないんだよねえ…… お金がかかっちゃうけど、お店で買ってきて病院に差し入れたらいいかな?」

「はい、それで構いません」

「りょーかい。明日には持ってくるね」

 そう言って先輩は鞄をまとめ、「じゃ、明日も来るね、ごきげんよう」とにこやかに――まあ、顔はぼんやりとしか分からないんだけど――去ろうとした。


 そのときだ。

 僕は、心のどこかにあるひょっとして、という気持ちを抑えられなかった。

 別に教科書山川でも確認できるけども――先輩の口から聞いておく方が早い。たぶん、それは僕の杞憂だと思うし。

 

「先輩、つかぬ事を伺いますが」


 病室を出て行こうとした先輩を呼び止めると、

「なんだい?」

 と振り返った。僕はひと呼吸おいて、尋ねる。


「日本の首都って、どこですか?」


 先輩はハハハ、と笑う。確かに高校地理オール5の僕がする質問じゃない。

 先輩は肩をすくめて、両手を挙げてこう言った。


「笑わせるねえ。日本の首都は京都に決まっているじゃないかい」

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