第1部

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 目が覚めると、ずいぶん薄暗い所にいた。天国はもっと明るいところだと思っていたけども、持続可能な社会やなんやらで最近は省エネ志向なのかもしれない。とりあえず起き上がろうとすると、「待って、人を呼ぶから」と見知った声が制止した。


 あれ――?


「えっ、叔父さん、死んでましたっけ?」

「何を寝ぼけたことを。ここは病院だ」


 どうも僕は、爆発に巻き込まれずに助かったらしい。


 すぐに駆けつけた看護師さんに「痛いところはありませんか?」「今日は何年何月何日ですか?」と聞かれ、「背中が少し痛みます」「えーっと、二〇……年の三月……一四日ですか?」と答えると「地面に強く打ったようですから、しばらくは痛むかと思います」「意識ははっきりしているようですね」と返される。


 この数分間のやりとりを見る限り、強く頭を打った記憶があるのだが、どうもその辺頭の調子は無事らしい。叔父さんはようやく一息つけたようで、買ってきたのであろうコンビニ弁当――いや、ぱっと見た感じ、経木の弁当箱に入っているから駅弁かもしれない――を食べながら、「いやあしかし、『旭家の人間は運だけはよい』と言うが、本当だな」などと言っている。


 叔父さん曰く、バスの乗客が避難した場所はちょうど風上だったらしく、爆発に遭ったものの運良く火傷もなくこの病院に担ぎ込まれてきたらしい。逆に、風下にいた野次馬や通せんぼされた乗用車の運転手の中には、大やけどを負った人もいた、とのこと。本当に運がよかったらしい。


 その後には医者も来て、一通りの簡単な検査をした後、「検査技師は救急の時間帯にはいませんので、詳しい検査は明日やりますから、今日はゆっくりお休みになってください」と言われ、叔父さんは着替えるためにいったん帰宅し、その日はゆっくり寝ることとなった。


    ○


 翌朝、起きて朝食を取ろうとして、気づいたことがある。


「叔父さん、僕の眼鏡は?」


「ああ、救急隊の人曰く、着いたときには割れていたらしい。おまえの眼鏡、ややこしいやつだから作るのにも時間がかかるそうだぞ」


 困った。僕は乱視が入っているので、割とすぐには作れない眼鏡を普段かけている。それがないと本当に一寸先は幻、前に立っているのが叔父さんなのか親父なのかなんて区別はつかないくらいに目が悪い。

 

 おかげさまで今日一日、大変苦労した。


 まずその一。入院の説明書きにサインしろといわれたのだが、読めない。叔父さんに読んでもらおうかと思ったが、仕事があるので早々に病院を出てしまった。仕方がないのでなんとか顔を近づけて読むと、隣のベッドの初老のおじさんから

 「うちの親父でもそんなに近づけて読まないよ」

 と笑われた。こっちは必死なのだが、変に反論するのもおかしいと思い「ハハハ」と軽く返して、一〇分近くかけてなんとか読み切ってサインをする。


 お次はカルテを持って病院内の楽しいスタンプラリー。

 さっきの入院案内を見る限り、入院しているのは東福寺の第一日赤病院らしい。もっと小さな病院をイメージしていたけれども、院内は外から見るより思いのほか広いらしく、レントゲン室・MRI室・CT室を三軒はしごした後にはヘトヘトになってしまった。


 正午過ぎになると、お昼が出された。

「お退屈でしょう」

 看護師――とおぼしき人が、配膳をしながら話しかけてくる。

「ええ、スマホもテレビも本も見れなくて本当に退屈です」

「ご家族さんもお金くらい置いてくださればテレビカードくらい買えましたのに」


 叔父さんは相当大慌てで出て行ったようで、僕にお金を一切置いていかずに仕事に行ってしまったので、僕はジュース一本すら買うお金を持っていない。ナースステーションでもに申し出れば立て替えてくれるのかもしれないが、それも気が引ける。


 看護師さんは大きな銀色の箱から何か茶色くて丸いものと、お茶碗、お味噌汁のようなものと、カラフルな皿――多分サラダ――が配膳されたトレーを出し、机の上に置いた。これも、一昨日の晩ご飯の内容並みにぼんやりとしか見えない。とりあえず、「おいしそうですね」とは言っておくことにした。


「それにしても、東福寺から市内を見ると、意外に都会に見えるモノなんですね」

「東福寺……?」

「あれ、第一日赤って東福寺じゃありませんでしたっけ?」


 僕の記憶が正しければ、第一日赤は京阪電車で東福寺に滑り込む前によく見える、あの大きな病院のはずだ。なんで太秦で事故に遭って東福寺まで運ばれたのだろう、とは午前中のスタンプラリーの最中に思ったけれども、叔父さんの話を総合すると、恐らく僕より大けがを負った人が多く、トリアージされた結果遠くの病院になったのかな、と勝手に独り合点していた。


「旭さん、ここは桂ですよ。東福寺にあるのは――京都医科大じゃないかしら」

「あれ、そうでしたっけ…… 何の病院と勘違いしたのかな」

「まあ、お若くて健康ならあまり病院にも用事がありませんから、何か勘違いされているのかもしれないですね」

「ま、まあそうですね」


 そう返すと、「また済みました頃にトレーは下げますね」看護師さんは隣のベッドへの配膳へ移った。府立医科大もこれは丸太町だったはずだけど、ひょっとすると僕が知らない分院のようなものが東福寺にあるのかもしれない。


 ちょっとその辺の記憶がぼんやりしているのかもしれないな、と思いながら好物のハンバーグだとおぼしき茶色い塊を口に運ぶ。朝ご飯の鮭もおいしかったし、割と病院食というのは悪くないな、と思ったのだが――


 残念。これはハンバーグではなかった。僕の嫌いな椎茸を使った肉詰めだ。


    ○


「拓磨! 心配したのよ!」

「だからってわざわざ親父と京都まで来なくても」

 昼食が終わり、無限の暇を持て余していると両親がやってきた。


 僕は中学まで高知にある実家で、家族と一緒に暮らしていた。しかし、高校進学を機に京都に出てきて、いまは叔父さんの家で居候をしている。故に、親とは別居しているのだ。


「なんでも避難誘導を手伝って迅速な脱出に貢献したらしいな。流石幡多交通の将来を担う男にふさわしい勇気だ」

「はいはい」


 うちの実家は高知県西部で「幡多交通」というバスやタクシーの会社を代々やっている。親父は継がせる気満々だけれども、正直、あんな三〇年落ちのバスと未だコラムシフトのタクシーだらけの会社なんて継ぐ気はさらさらない。


「しかし、京都に来る途中で難儀したな。徳島で信号故障があって、汽車が2時間止まってな、本当にこのまま日が暮れたらどうしようかと思ったよ」

「本当本当――、ってお父さん、拓磨の前で『汽車』なんて言ったらいけないでしょ」

「ああ、いけない『電車』だな」


 土讃線は電化されていないから、電車でもおかしい、と突っ込もうかと思ったが、面倒なのでやめた。しかし、普段なら車で来るのに珍しいことだ。


「あ、ご両親の方ですか?」

 ちょうど通りかかった看護師さんが二人を認めると、「主治医から説明がありますので、診察室に来てください」と両親を他の部屋に案内した。たぶん、お昼を食べた後に僕も聞いた『びっくりするくらい無傷なのでしあさってには退院できます』という話を聞かされるのだろう。


 久しぶりに会った両親の気に押されつつ、そういえばお金をせびることを忘れたな、と後悔した。


    ○


「わあ、この桜餅。東京風でしっとりとしていておいしいですね」


 あまりにも暇すぎるので、耳を澄ませながら二つ隣のテレビの音を盗み聞きする。どうもお昼の関西ローカルのワイドショーで、春らしいお菓子の特集をやっているらしい。

「うちの店では普通の道明寺ではなく、長命寺と呼ばれる武蔵野地方でよく食べられているタイプのものを提供しているんです」


 武蔵野地方、とは斬新な言い方だ。関東地方のことを言いたかったのだろうか。


「あとは埼玉名物の干し芋。これも当店のお薦めです」

「こちらもいただきますね…… うん、甘さが自然で懐かしい味わいですー」

 確かに埼玉の川越では芋を推しているとか聞いたことはあるが、埼玉名物に干し芋を出す人も珍しい。ずいぶん不思議なご主人だなあと思っていたら、またもや両親が戻ってきた。


「お医者さんの説明を聞いたわ、本当に奇跡的に無事なんだってね」

「普通だったらあの高さで頭から落ちたら骨の一つくらい折れているもの、なんなら頸椎骨折していてもおかしくない、なんて言われたぞ」

「らしいね。でも、それにしても、二人とも高知から飛んでくるなんて、心配しすぎだと思うよ」


 高知の家から京都まで、特急と新幹線を乗り継いでも軽く七時間はかかるはずだ。よく来たものだと思う。


「あら偉そうなことを言うのね。大事な一人息子が怪我して入院して飛んでこない親なんていないわよ。本当に無事だったからいえることよ?」

「本当本当。ただ、交通事故はこの後が怖いからな。何か異変を感じたらすぐに病院にかかるんだぞ」

「ああ、お医者さんにもそう言われたよ。頭も打ってるから、ちょっとした異変でも来いってさ」

「あと、レントゲンなんかに出ない記憶喪失みたいな症状は―― 私たちの事がわかっているし、大丈夫かしら」

「大丈夫、事故で起こるような高次脳機能障害が起きていれば叔父さんとの会話もかみ合っていないはずだ、って言ってたよ。」

「『コージノーキノーショーガイ』なんてすらすら理解しているあたり、本当に元気溌剌ね。私たちの方が入院するような悪いところがあるかもしれないわ」

「そうだな、父さんなんて汽車のグリーン車で来たがやっぱり腰が…… いたたた……」

「あらいけない、お父さんに湿布を―― じゃあ、思ったより大したこともないようだから、切符もとれたし、夕方の飛行艇で高知へ帰るわ」

「義昭おじさんにもよろしくたのむぞ」


 飛行艇?  恐らく飛行機の聞き間違えだろうけども、高知空港から車もないのに、どうやって空港から130キロ先にある、四国の果てにある我が家まで帰るんだろう。よっぽど慌てて来ていて、帰る手段もあまり考えていなかったんだろうか。


 別れの挨拶を簡単にすると、「まずい、八日市行きのバスまで30分しかないぞ!」「電タクは捕まるかしらね」などと言いながら嵐のように帰って行った。

 『ちょこちょこ不思議なことを言うなあ、それこそ若年性の認知症とかになっていないだろうか』、なんて思いながら去って行く親を送り出すと、三軒先のテレビが不思議なことを言い出した。


「それでは、首都圏の天気予報です。田中さん、お願いします」


 なぜ、東京の天気予報を関西ローカルの番組でやるんだろう。たまに関西ローカルの番組が北海道でもやっていて、北海道の天気予報をちょっとだけやるような番組は見たことがある。けれど、関西ローカルの番組を関東ではやらないだろう。


「はい、明日の京都は晴れますが、夕方からは雲が多くなり、にわか雨になるところもあります。念のため、傘はお持ちになった方がよいかと思います」


 続きを聞くと、ちゃんとこっち関西の天気予報をやっている。まさかさっきのキャスター、「関西」と「首都圏」を言い間違えたんじゃないだろうな。さっきの「武蔵野地方」といい、この番組は地理に弱いのかもしない。

 さて、天気予報の次は何のコーナーだろう、と思っていたら、その患者さんは検査の時間になってしまったようで、テレビを消してしまった。


 ああ無情。僕はまた長い退屈に襲われることとなった。

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