LEMON

澄岡京樹

れもん

LEMON



『えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終おさえつけていた』 ——梶井基次郎『檸檬』より。


 と、部室の黒板に引用文が書かれていた。新聞部ここの部員は私とキリシマ先輩だけなので……書いたのは十中八九、黒板前の教卓に突っ伏して寝ている男子——キリシマ先輩だろう。


「キリシマ先輩、なんですかこれ」

 トントンと先輩の肩を叩きながら訊ねた。先輩は狸寝入りだったようで、わりと即座に身を起こした。


「……何って、『檸檬』だよ。引用元も記載してあるだろう」

「えーっと、レモンが爆弾のやつでしたっけ」

「ホントに爆弾なわけじゃない。授業をちゃんと聞け」

 狸寝入りだったわりには眠たげな半目で私を見ていた。軽く睨んでいたとも言えそうだ。キリシマ先輩は元々テンション低めではあるが、今日は普段にも増してローテンションである。あと機嫌も悪そうだ。


「先輩どうかしたんですか。悩みがあるなら、私でよければ聞きますよ」

 親切心でそう答えると、キリシマ先輩は無言で背後の黒板をコツコツと指で叩いた。……引用文をもう一度読めということだろうか。


「その、やっぱり悩みごとなんじゃないんですか?」

 私がそう言うと先輩はため息を吐きながら、

「よく見ろよもう。不安感の正体がわからないから困っているんじゃないか。ったくもう……」

 やはり不機嫌そうに先輩は答えた。


 ◇


 ——思えば、それは思春期特有の不安感だったのではないだろうか。この時、私がもっと根気強く先輩の相手をしていたら、先輩は自問自答を無限に繰り返すこともなかったのではなかろうか。


「各員、戦闘態勢を維持。目標は依然として胎動を繰り返している。状況を注視しつつ避難誘導を行うこと。以上」


 部下の隊員たちに通信を送ると、私は眼前の領域超越構造体オーヴァー・ギガストラクチャ〈Large Extra Monument〉——通称LEMONをミサイルランチャーの射程範囲に収めながら叫んだ。


「キリシマ先輩! 貴方が! 貴方が教えてくれたんじゃないですか——レモンは、レモンは爆弾なんかじゃないって……ッ!」


 在りし日の思い出——つまりは高校時代に送ったキリシマ先輩との日々を思い出しながら、私はトリガーを引いた。


 LEMONは破壊神と化す前に塵と消えた。


「さようなら、キリシマ先輩——」

 何故だか柑橘系の匂いが漂っていた。




LEMON、了。


 ◇


「というわけでした。お後がよろしいようで」

「いや全然よろしくないよ! なんで俺が巨大なボスモンスターみたいになってお前が悲劇のヒロインみたいになってんのそのストーリー!?」

「これは『悩み事は自問自答を繰り返すとどんどん肥大化していくので、不安感の正体がわからずとも誰かにとりあえず相談してみてくださいね』という私なりのメッセージだったんですよ」

「そういうメッセージに対して例え話がわかりづらいんだよ! いい加減にしろ、」


「「どうも、ありがとうございましたー!」」


 歓声が聞こえる。俺たちの漫才はまだまだいける。もうウケないんじゃないかと漠然とした不安感に襲われかけたりもしたが、相方に相談したところ「一回ボケとツッコミ入れ替えてみようぜ」というアドバイスが発生、そして見事俺たちは不死鳥の如き復活を遂げた。


 生きていると思春期に限らずさまざまな悩みが現れては消え現れては消えを繰り返す。そんな時に、俺は必死にもがいていた。……でも相方は俺を追い越しているんじゃなくて横を一緒に歩いていたわけだ。とんでもなく得難い相手なのだ。——それでなのか、俺はいつしか相方のことを友達やコンビ相手だけではない、また別の存在だとも認識するようになっていた。……その認識に至る感情は、まるでレモンのように甘酸っぱかった。


LEMON、マジに了。

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LEMON 澄岡京樹 @TapiokanotC

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