第6話

 意識的に小目を避けて三日が経った。

 無意識に彼女を目で追う自分がいた。

 小目に話しかけられないと、一日がやたらと長く感じた。

 彼女と出会うまでは、こんなことなかったのに。

 初めて知ったが、彼女はそれなりに交友関係も広いらしい。

 自分と関わらなくても全然平気なようだ。

 知っている。

 江古は、言い聞かせる。

 自分は誰の一番にもなれないし、なってはいけないのだ。

 だから、これで良い。自分を納得させ、購買で買ったお昼を手に、ジュースを買うために自販機へ向かった。

 小目の姿を見た。

 空き缶を三つほど手に持ち、自販機のほうへ向かっていた。三つも飲んだのか、と少し驚いたが、すぐに違うことに気づいた。

 空き缶にところどころ土がついている。多分、ポイ捨てされたものを拾ってきたのだろう。

 誰も見ていないのに。感謝されることもないのに。彼女は、ただ自身の善性にのみ従って行動していた。

 やっぱり好きになれないな、と思った。

 見つからないように、さっさと立ち去ってしまおう。そう決めて、彼女から視線を外す。

 適当に歩きながら食べるかと、ビニール袋の中に手を突っ込む。

 パンに紛れて、気まぐれに買ったお菓子に目が留まった。

「っあー……」

 ガシガシと頭を掻いて、振り向く。重い足を踏み出す。

 自販機横のごみ箱に缶を捨て終えた小目が、こちらの姿を認め、目を丸くした。

 江古はそんな彼女の反応に構わず、ずんずんと歩を進める。

 そうして戸惑う小目の前にたどり着いた江古は「ん」拳を彼女の口元に突き出した。

「え? な、なに?」

 困惑する彼女の口に、ハッカ飴を突っ込んだ。

 そこでハッと我に返り、彼女から視線を逸らす。感情に任せて何をしているんだ自分はと、胸中で自嘲する。

 用件ば終わった。今度こそ立ち去ろうと決めて、足を踏み出した。

「……っ」

 引っ張られる感覚。そちらを見ると、袖をつままれていた。

 小目が上目づかいで、不安げに尋ねてくる。

「リンちゃん。私また何かしちゃった?」

「何も」

 平静を装って、短く答える。

「嘘。何もしてないなら、リンちゃんがこんないきなり私を避けるわけない」

 訴えかけるように言う。

「アタシの何を知ってんだよ」

 苛立ち、力任せに彼女の手を振りほどいた。

 行く当てもないままずんずんと歩く。

「知らないよ。知らないけど、知ってる」

 彼女が追いかけてくる。

「リンちゃん、私のこと嫌い?」

「あぁ、嫌いだよ」

「っ」

 江古の拒絶に、小目の喉からくぐもった声が漏れる。

 彼女を引きはがすように歩を早める。

「私は好き」

 小目も必死に追いすがる。

「知るか」

「私はリンちゃんのこと好きだよ」

「うっさい」

 手を振って、彼女の言葉から逃れるように制止する。

 しかし小目は止まらない。芯のある声を投げ続ける。

「私はリンちゃんが好き。もっと仲良くなりたい」

「黙れ」

「私はリンちゃんの一番になりたいんだよ」

「やめろ!」

 歩を止めて、江古は彼女に向って声を張り上げる。

「アタシが好かれる事なんて知ってる!」

 頭を掻きむしる。黄金の美しい髪の毛――生まれながらに課せられた呪いを引きちぎる。

「アタシはお前みたいにいい奴じゃない! 気分屋で、嘘つきで、誰も好きになれない、他人から好かれるような人間じゃないんだ!」

 面食らう小目に、江古は構わず叫んだ。

 ずっと、吐き出すことのできなかった想いを。

 吐露する相手のいなかった孤独を。

「でも、誰もアタシの中身なんて見ない。知ろうとしない。外側だけで、軽率に好きになる」

 江古は口走りながら、理解した。

 小目が羨ましかったのだ。

 単純で、明るくて、優しくて、自分も他人も幸せにできるタイプの人間。

 そういう人に、憧れていた。そうなりたかった。

「アタシの中身がこんなだって知ったら、みんな失望するのに」

 声が、尻すぼみになってゆく。震える。

 瞳の奥から、何か熱いものがこみ上げてくる。

 こんなに感情的になったのはいつぶりか。

「だから嫌なんだ。こんな顔も、髪も。お前もそうなんだろ」

 言い切って、目を伏せる。

 沈黙が重くのしかかる。顔を上げられない。

 小目の表情を見るのが、怖い。

「そうだけど、そうじゃないよ」

 包み込むような柔らかい声が、静寂を溶かす。

 ハッと顔を上げると、穏やかな、愛しむような顔が江古を見つめていた。

「一番最初の自己紹介の時。こんな美人さんなのにこういう目をするんだって、びっくりした。どうしたらこういう表情をするようになるんだろうって気になった」

 傷跡をそっと撫でるように。包帯を巻くように。優しく語りかける。

「それで、リンちゃんと話してみたくなったんだよ」

 ニッコリと、いつもの笑顔を浮かべた。

「私は、リンちゃんが優しくなくて、ひねくれ者で、面倒な人で、嘘つきだって知ってるよ。でも、好きだよ」

 恥ずかしい言葉を、少しだけ照れたように、しかしハッキリと口にする。

「リンちゃんが本当に私を嫌いだっていうなら、」

 手を握られる。

「私を拒絶してみせてよ」

 江古の瞳を、小目の力強いまなざしが見つめる。


 少し力を加えるだけ。握りしめるだけ。それだけで、彼女の手の中に潜り込み、すり抜けられる。

 元通りになる。

 それが、他人を愛する資格を持たない自分に取れる、最善手。きっと、自分にとっても小目にとっても、一番の幸せ。

 わかっている。

 理性ではわかっている。なのに、どうしても力が入らない。

 そうして、江古は理解した。

 普段、スマホの硬質な感触にしか触れない掌。そこに感じる、彼女の柔らかく温かい肌。

 これが、自分の欲してやまない、諦めていたものだったのだ。

 暇つぶしと称して、スマホをいつもいじっているのは、誰かと繋がっていたかったからだ。

 一人で生きていくんだと割り切ったつもりでいて、その実、全く諦めきれていなかったのだ。

 プライドばかり高く、傷つかないように必死に自分を守っていた。

 小目を傷つけてまで。

 彼女はそんな情けない江古を理解してなお、こうして向き合ってくれている。

 それに、応えたい。 


「悪い。たしかに、嘘ついたわ。……標」

 勇気を振り絞って、初めて、彼女の名を呼んだ。

 小目は一瞬きょとんとして、おどけるように笑った。

「シルちゃんって呼んでいいよ」

「うっせえ」

 彼女の言葉に思わず笑みがこぼれ、少しだけ泣いた。

 掌から伝わる熱が、きっと、幸せのしるべなのだろうと思った。

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嘘つきエゴイスト。幸せのしるべ。 しーえー @CA2424

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