第3話
「やー、十月ともなるとさすがに肌寒いねえ」
「……なんでお前いんだよ」
土曜日。買い物のために家を出たところで、小目に出くわした。
「フッフッフ。私は気付いたんだよ。モテる秘訣を教えてくれないなら自分で見つけだせば良いんだって」
名探偵っぽく顎に手をあて、ドヤ顔を向けてきた。
「というわけで尾行しに来たよ」
「警察呼ぶか」
「待って待って!」
スマホを取り出した江古の手首を慌てて掴んでくる。
「っ痛ぇ」
「あ、ごめんっ」
パっと解放される。
江古は手首をさすりながら、深く息を吐いた。
経験上、こういうときの彼女は止めようがない。これ以上の抵抗は大体無駄なあがきに終わる。
「もう好きにしろよ」
「なんだかんだ甘いねえ」
「黙れ」
彼女を置いていくように、スタスタと速い歩調で駅へ向かった。
「ていうかリンちゃん、なんでマスクしてるの?」
電車に乗り、一息ついたところで小目が不思議そうに尋ねてきた。
「それに帽子にフードまでかぶって、銀行強盗にでも行くの?」
「こうでもしないと、目立っちまうんだよ」
輝く金髪も、どんな女優より美しい顔立ちも、江古にとっては注目を集めてしまうだけの呪いだった。
「ふーん。私ならバシバシ目立つことするけどなあ。ミスコンとか出てみたい」
「あんなクソイベント参加したってなんも面白かねーよ」
そうかなぁ、と口元に手をやって、小目は懐疑的な態度を見せる。
「そういえば、さっき私がリンちゃんの手首掴んだ時、リンちゃんのへんびょーの力で何とかならなかったの?」
「超能力みたいに言うな。片病っつっても、服を掴まれたら普通の奴と変わんねぇんだよ」
「んー、なんかその、よくわかんないんだけど、へんびょーって結局なんなの」
「一番最初に担任が話してたろ……」
本当はこの場で彼女と握手してみせるのが、一番わかりやすい。が、衆目のある電車内で、いたずらに目立つ行動はしたくないので、教科書的な説明を施すことにした。
「目ぇつむってみろ」
「やだえっち」「死ね」
一瞬ふざけてから素直に目をつむる。
「アタシが見えるか?」
「見えるわけないじゃん」
「だけどアタシからはお前が見える。『自分は見ることができないけど、他人からは自分を見ることができる』。これが視覚の片病だ」
「え、これってただの目が見えない人じゃない?」
「あぁ。視覚障碍も聴覚障碍も、片病なんだよ。数が多いから目立たないけどな。で、アタシは『自分は他人に触れることができないけど、他人からは自分に触れることができる』触覚障碍、片病ってわけ」
「ん~~~~~~~~~~~、う~~~~むむむ、なるほど」
虚空を見上げ、数秒間うなってから、小目がうむうむと頷く。
憐みの言葉か、同情の視線か。何が来ても面倒だな、と思っていたら、
「それよりリンちゃん、手首細すぎじゃない? ヤンキーなんだからもっと鍛えたほうが良いよ」
一瞬、喉が詰まった。
少しだけ頬が緩む。それを悟られないよう、憮然とした表情を作ってそっぽを向いた。
「ヤンキーじゃねぇし」
「またまた~、金髪に染めてるくせに」
「地毛だ」
何が楽しいのか、それからも目的の駅へ着くまで、延々と話しかけられ続けた。
人ごみをかき分けて地上へ出る。
「あのおばあちゃんちょっとヤバくない?」
信号の点滅する、大きな横断歩道の中ごろ。大きな荷物を抱えてよろよろと歩く老婦人を発見した。
「ん、あぁ。ありゃどうしようもな「ちょっと行ってくる!」
江古の合いの手を待たずに小目が駆け出す。
「おばあちゃん大丈夫? 荷物持とっか?」
「あら、お姉ちゃん。ありがとねぇ」
小目が荷物を抱え、老婦人の手を引く。
それを横断歩道の端っこから、江古は冷めた目で眺める。
良い奴なんだな、と思った。同時に、合わないな、とも思った。
優しい人が、江古は苦手だった。
「おばあちゃん、これからどうするの? 家まで持とっか?」
無事渡り終え、小目が尋ねる。
お人好しはすぐに余計な手間を増やす。
周りで見て見ぬふりをする大人たちを見れば、多少自己中になったほうが生きやすいとわかりそうなものだが、小目はそういうタイプではないのだろう。
「寄るところがあるから大丈夫だよ」
老婦人の辞退に、江古は胸をなでおろす。そんなところまで付き合わされては、たまったものではない。
「お姉ちゃんありがとねえ。お礼に飴ちゃんあげる」
「わー、ありがと! おばあちゃん気を付けてね」
笑顔でブンブン手を振って別れた。
「待っててくれたんだ」
「あぁ、そうか。しくった」
小目が老婦人を助けているうちに姿をくらましてしまえばよかったのだと、今更気づいた。ペースを乱され、頭が働かなくなっているなと自嘲する。
「リンちゃんはまだまだ甘いねえ」
「うっせぇ」
「他人には親切にしといたほうが得だよ? 飴ちゃんもらえるし」
ひょいと口に放り込み、「うわ、これハッカだ」苦笑した。
「いんだよ。アタシは。どうせ一人で生きてくんだから」
「ふーん。ところでリンちゃんハッカ飴好き?」
「口に入れたもん押し付けんな」
よしんば未開封だったとして、その飴は、彼女の優しさの対価だ。自分がもらうべきではない。
「それで今日は何しに来たの?」
「あー、ほしい本があってな」
「ヤンキーなのに本読むんだ」
そんなことを話しながら本屋へ向かう。
「あ、トイレ行ってくるね」
適当に本を漁っていると、小目は暇になったのかそう言って去っていった。
「よし。撒くか」
もともと、服を買う予定だった。急遽本屋に来たのは、これが目的だった。きっと彼女ならすぐに飽きて、ヒマになって、トイレかどっかに行くだろうと。
彼女といる事に……いや、誰でも同じ。他人と一緒にいることは、やはり慣れない。
学校での小目は、友人も多く、いつも江古に絡んでくるというわけではない。
こうして朝からずっと隣にいるというのは、思った以上に疲れる。
そんなことを考えながら店を出た。本来の目的地へ向かう。
スマホでクーポンを探しながら歩く。
「っと、」
前から来た人とぶつかってしまった。
顔を上げると、相手はよりによってヤンキーだった。
「あぁ?」
「スンマセン」
何がそんなに気に食わないのか。やたらと威圧的な声。小さく謝罪してそそくさと去ろうとすると、手首を掴まれた。
「おい待てよ。そんだけか」
「……謝ったっすよ」
「聞こえなかったなぁ。目も見ねぇし。って、ほー……」
江古の顔を見て、マスク越しでもその美しさを理解したのだろう。下卑た笑みを浮かべる。
「ならお詫びにカラオケでも付き合ってもらおうかなぁ」
「……ウゼェ」
慰謝料の請求から、ナンパへと移行したらしい。
吐き気がする。
自分の顔を見た瞬間に、あらゆる人間が態度を変える。それが鬱陶しくて仕方がない。
慣れたものではあるけれど。
望んで得たわけではないものに、好意も妬みも抱かないでほしい。
「ほら、一時間だけでいいからさ」
「っ痛ぇ。離せ」
男の握力に、顔をしかめる。
と、
「っでええええぇえええええええい!!!」
どぉん、と、男の身体が突き飛ばされる。
衝撃で手首が解放された。
「リンちゃん! こっち!」
その手首を掴んで、小目が走り出す。
「え、」なんでここに、という疑問を繰り出す間もなく、とにかく走りだした。
痛い。彼女にがっちりと掴まれた手首は、下手するとさっきより痛いかもしれない。
でも、悪くない感覚だった。
二つほど角を曲がり、デパートの中に入って一息ついた。
「なんで小目が? 本屋にいたんじゃ」
「いやー、もしかして私の前だからぶっきらぼうに振るまってるのかなって思って。トイレに行ったふりをして尾行してたんだよ」
たくらみがバレていたどころか、それを逆手に取られてしまったというわけだ。
「お前、案外良い性格してんのな」
「結局私の前とか関係なく、リンちゃんはリンちゃんだったねえ」
「うっせぇ」
彼女の手のひらで踊らされていた事実に、否応なく腹が立った。
が、元はと言えば彼女を撒こうとした自分に非がある。それに、こうして助けられた。
「……悪い。アリガト」
そっぽを向いて、小さな声で言う。頬が熱を帯びる。
小目はきょとんとして、数瞬後、ニヤニヤと笑みを浮かべた。
「へえ~。リンちゃんそんな顔できるんだ」
「やっぱお前嫌いだわ」
「うんうん、ツンデレだねえ」
ご満悦といった顔で楽しそうに言う。
「リンちゃんもっと言葉遣い柔らかくすれば内面も見てもらえるんじゃない?」
「ねぇよ。お前こそ、思ったことすぐ口にするとこ何とかすればモテんだろ。顔も悪くねぇんだし」
「えーなにそれリンちゃんが褒めるなんてなんか気持ち悪いね。槍でも降るんじゃない?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます