第5話 宝石光のランタン

 あやかしが出ると噂される森の前。

 氷室ひむろ教授は理緒りおに告げた。


 11世紀の人間たちは森を切り拓き、『森のなかには人ならざるモノが住む』という幻想を打ち砕いていった。

 歴史はそう伝えているし、教授も講義ではそう教える。


 しかし事実は少しだけ異なっている。

 森のなかには実際に人ならざるモノたち――幻妖げんようが存在していた。


 幻妖。

 それは教授が使っている、海外のあやかしを指し示す言葉だ。


 英国や欧州で『人ならざるモノ』を総称すると、モンスターやゴーストといった名称になってくる。

 しかし『それでは私を表す言葉として品性が足りない』とかで、教授は自分の研究においては海外の『人ならざるモノ』のことを『幻妖』という言葉で表していた。


 一応、日本語での『幻妖』の本来の意味は『正体のわからない化物』や『妖怪』という意味だったりするのだけど、教授は勝手に海外のあやかしという意味で用いている。


「11世紀の人間たちにとって、幻妖は脅威以外の何物でもなかった。よって『これから切り拓く森にどんなモノがいるのか』を常に探る必要があった。この『宝石光のランタン』はその時に使われていたものだ。さあ、理緒。見るがいい」


 マッチを使って、ランタンに火が入れられた。

 文字通り、宝石のような淡く揺らめく光が生まれた。


 輝く色は一定ではなく、エメラルドのような緑からルビーのような赤に変わり、かと思えばアクアマリンの青のようになって、アメジストのような紫へと変化する。

 思わず吐息がこぼれてしまいそうな美しさだった。


「すごくきれいですね……」

「そうだろう? これは私も気に入っている道具の一つだ。しかしこの『宝石光のランタン』の真価は目を見張るような美しさではなく、その調査能力にある」


 ランタンがかざされ、暗がりだった路地に光が差し込んだ。

 光は何かを探すように揺らめいている。


「『宝石光のランタン』は人ならざるモノの残滓に反応する。さらには七色の輝きによって、存在の方向性も示してくれる」

「? 存在の方向性、ですか……?」


 理緒が首を傾げるとほぼ同時に、ランタンの光が収束を始めた。

 炎の揺らめきはそのままに七色の輝きが一つ、また一つと色を失っていき、残ったのはアクアマリンの青だけ。青色の細い光が森の入口でいくつも輝いていた。


「どうやらこの森にあやかしがいることは間違いないようだ」


 教授はランタンを持ったまましゃがみ込み、細い光をなぞるように指で摘まむ。


「あ……」


 理緒は思わず声を上げた。ランタンの光に照らされ、青色に輝いているもの、それは細長い毛のようなものだった。


「もしかして噂にあった老女の髪……!?」


 『髪絡みの森』では路地を歩いていると、老女の声が聞こえ、白髪が伸びてきて引きずり込まれるという。まさに噂通りだ。

 しかし教授は思案顔で否定する。


「いや」


 薄く笑みを浮かべて。


「どうやら森のあやかしの正体は、老女ではないようだぞ?」


 その瞳は摘まんだ髪を見つめている。


「アクアマリンの青光は自然界の動物を表す」

「動物……?」


「つまりこの毛を落としたのは人間の姿に近いあやかしではなく、動物に近い系統のあやかしということだ」

「え、じゃあその髪は……」

「髪ではなく、動物の毛と考えるのが無難だろうな」


 教授はランタンの蓋を開け、ふっと吹いて火を消す。光がなくなると、摘ままれた髪は青の輝きを失って、ただの白い毛になった。

 白い毛。見れば見るほどやっぱり老女の白髪に思えてくる。しかし教授はそれを否定する。


「おそらくはこのあやかしに遭遇した誰かが白い毛を白髪と誤認したのだろう。そこから老女という噂になった、というわけだ」


 ランタンが地面に置かれ、教授は鞄からさらに何かを取り出した。


「さて、あやかしの系統がわかれば、ちょうどいい道具がある」


 教授の手が掴んだのは、小さなキャンドルだった。ガラスの容器に入っていて、表面に幾何学的な文字が描かれている。

 先ほどのマッチを擦り、キャンドルに火がつけられた。『宝石光のランタン』のような不思議は光り方はせず、普通の火が揺らめている。だけど、代わりに甘い蜜のような香りが漂い始めた。


「理緒、風上はどっちになる?」

「えっと……あっちです」


 指を舐め、風の方向を確認してやや右側を示す。教授は自分の指を舐めたりはしないので、助手はこういう役割もやらされる。

 教授が風上に移動していく。どうやら香りを森へ向かわせるらしい。


「これは私が独自に精製したキャンドルだ。『宝石光のランタン』のような名は付けていないが、効果は大いに期待できる。少し待つぞ。香りが森のなかへ届けば動きがあるはずだ」


 こんな小さなキャンドルの香りが森のなかにまで届くのかな、と一瞬思ったけど、教授の道具ならばただのキャンドルのはずがない。

 教授の隣に移動すると、徐々に香りが強くなっていることに気づいた。

 森の方を見つめながら、何気なく口を開く。 


「どうして……このあやかしは人間を森に引きずり込もうとするんでしょうか?」

「いい問いだ。学問というものは常に疑問を持つところから始まる」


 講義の時のように教授は頷く。


「理緒、前提からもう一度考えてみるがいい。この森のあやかしは噂のような老女ではなかった。となれば『人間を引きずり込もうとする』という件も真実かどうかは少々疑わしくなってくる」

「あ、確かに……」


「この国は人間とあやかしの距離がすこぶる近い。英国や欧州の幻妖たちは人里から隔絶された異界に根を下ろすことが多いから対称的だな。たとえばシェイクスピアの『夏の夜の夢』に描かれているような妖精郷がいい例だ。しかしこの国はまったくの逆、人間とあやかしの住まう場所が隣り合わせになっている。ちょうどのこの森のように」


 薄暗い路地のなか、キャンドルの火だけがゆらゆらと瞬いていた。


「そのせいか、あやかしたちは人間たちの間で交わされる噂話にとても敏感だ。自らを誇示したいと考えるあやかしは、自身の噂話に正確性を求める。怖がらせたいのならより正確に恐怖を、崇められたいのならばより正確に神秘性を、噂に乗せて広めようとする。しかしだ、『髪絡みの森』にいるのが老女とされていたところから察するに、どうやらこの森のあやかしは自身の噂をコントロールできていない。理緒、これがどういうことかわかるか?」

「えっと……」


 講義で当てられた時のことを思い出し、やや背筋が伸びる。


「たとえば……忙しかったりとかでしょうか? 自分の噂を訂正する暇がないくらいに」

「五十点といったところだな」


 辛口の採点だった。


「より間口を広げて言うのなら、このあやかしは噂をコントールできないような事情を抱えている、といったところだろう」

「事情ですか? たとえばどういう?」

「それを今から本人に問いただす」


 教授の言葉と同時、突然、森の木々がざわざわと音を立て始めた。枝が揺れるほどの風は吹いていない。

 理緒はビクッと驚くが、教授は平然としている。


「香りが森の奥まで届いたようだ。このキャンドルの香りはあやかしを活性化させる。今私が持っているのは動物系統のあやかし用のものだ。ネコのマタタビのような効果があると考えればいい。我を忘れる勢いで活性化するぞ」

「えっ」


 耳を疑って、教授の方を見る。


「そ、それって大丈夫なんですか!? 噂通りじゃないのかもしれませんけど、もしも万が一、本当に森に引きずり込まれるんだとしたら、そんなあやかしが活性化したら危険なんじゃ……っ」

「ああ、まったくだ」


 金色の髪をさらりと揺らし、満面の笑み。


 ……あ、いけない。


 とてつもなく嫌な予感がした。

 教授のあやかし調査に付き合わされると、理緒はだいたいロクな目に遭わない。


 無茶ぶりをされ、厄介な役を押しつけられ、いつも大変な目に遭わされる。

 ここは逃げた方がいい。一目散にこの場から脱出するべきだ。本能がそう告げるけれど、一瞬早く、状況が動いてしまった。


「さあ、あやかしがきたようだぞ」


 まるで嵐のように森の木々が蠢いて。


「ここからは――」


 パンッと教授に背中を押された。


「――お前の出番だ、理緒」




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