第4話 さあ、あやかし調査の時間だ
「『髪絡みの森』という噂を知っているか?」
そんな前置きをして、
髪絡みの森。
大学の裏門側には住宅街が広がっており、そこを道なりに進んだ先に小さな森がある。
森のそばには狭い路地があって、誰かがそこを通ると、度々、森から老女の声が聞こえてくるという。
しかし決して返事をしてはならない。
もしも呼び声に応えれば、木々の間から老女の白髪が無数に伸びてくる。そして全身を絡み取り、返事をした者を森に引きずり込んでしまうのだ。
そんな噂が今、この街のなかで実しやかに語られているらしい。
「正確な場所は今しがた、コウモリたちが確認してきた。『髪絡みの森』はここから二十分ほどのところにある」
ブロンドをさらりと揺らし、教授は言う。
「調べに向かうぞ、理緒。――あやかし調査だ」
予想はしていたものの、
氷室教授はこの大学で海外民俗学について教えている。
しかし本棚の蔵書が示す通り、現在、教授が個人的に研究テーマとしているのは日本の妖怪や怪異――いわゆる、あやかしについてである。
海外のヴァンパイアである教授と同じように、日本にもやはり『人ならざるモノ』たちがいる。そうした妖怪や怪異を教授はあやかしと総称し、日々研究していた。
本人曰く、道楽半分の趣味だそうだ。ヴァンパイアは悠久の時を生きるため、長い時間のなかであらゆる趣味をやり尽くしてしまう。狩りやらチェスやら領地の支配やら様々なことをやり尽くして、今は人間のように学問の研究に凝っているのだそうだ。
なかでもヨーロッパ生まれのヴァンパイアである氷室教授にとって、日本のあやかしは自分との違いや共通点が様々あって、非常に興味深いらしい。
そこで氷室教授は文献や蔵書の収集に便利な大学教授という肩書を手に入れ、長い人生で得た知識を海外民俗学として学生たちに教えながら、ここ霧峰大学に在籍している。
そしてあやかしの噂を聞きつけると、こうして調査に乗り出すのだ。
はた迷惑なことに、理緒はその助手役をさせられている。
「えっと……」
無駄とは知りつつ、一応、反論を試みる。
「それ、僕もいかなきゃいけないんでしょうか……?」
「ほう? 何か用事でもあるのか? この私の調査以上に重要なことが?」
「教授から言いつけられた、五十枚のレポートがあります」
「それはお前が居眠りをしていたからだろう? 正当な罰だ。理由にはならない」
「……い、居眠りじゃないですよっ。僕は真面目に授業を受けようと思ってました。確かに意識朦朧としてましたけど、あれは日なたに座ってしまったからで……っ」
「では講義の最中に大声を出し、私の話を遮ったことは?」
「あれも他の学生の人に鏡を向けられたからですっ。……教授ならわかりますよね?」
やれやれ、と大げさに教授は頭を振る。
「日光や鏡ぐらいどうして克服できない? 私の眷属として情けないぞ?」
「眷属とか言わないで下さい。僕は人間です!」
軽口を言われて全力で言い返した。
理緒の望みは大学生活のなかで穏やかな日常を送ること。ヴァンパイアに眷属扱いされるなんて頷けない。
しかし氷室教授はどこ吹く風といった様子で肩を竦める。
「何をどう言おうとも、お前は私に逆らえない」
ベストのポケットに手が差し込まれ、取り出されたのは銀色の懐中時計。
「聞き分けがないと、これを与えてやらないぞ?」
「う……っ」
言葉に詰まった。
とある事情があり、あの懐中時計をちらつかせられたら、理緒は教授に逆らえない。肩を落としてうな垂れる。
「わかりました……。森でもどこでもついていきます」
「レポートもしっかりやるように」
「……教授はすごく人でなしだと思います」
「そもそも人ではないからな」
楽しげに言い、教授はスーツのジャケットをなびかせ、軽やかに立ち上がる。
「では、ついてくるがいい。調査の時間だ。『髪絡みの森』の真相はこの私、レオーネ=L=メイフェア=氷室が解き明かそう」
それから程なくして、二人は大学の裏門をくぐり、敷地の外に出た。
ところどころの木の枝にコウモリがいて教授に道を伝えているらしく、実際、二十分ほどで目的にたどり着いた。
どちらともなく足を止めると、教授があご先に手を添えて小さく笑う。
「ここが件の『髪絡みの森』というわけだ」
雑草が鬱蒼と茂った、ひどく細い路地だった。右側は住宅街なのだが、コンクリートブロックの壁が続いているせいで、生活の気配というものが遮断されている。
逆に路地の左側は森から多くの枝が伸び、空をほぼ覆い尽くしてしまっていた。おかげで日光がほとんど入ってこず、日没後のように薄暗い。
一本隣の路地は明るく生活感があったのに、まるで別の世界に迷い込んでしまったような雰囲気だった。
思わずゴクリと喉が鳴る。
「なんか、確かに何か出てきそうな感じがありますね……」
理緒などは自然に腰が引けてしまう。
逆に教授は楽しそうに目を細めた。
「閑静な住宅街のエアポケットといったところだな。実に日本のあやかしが好みそうな空間だ。怖いか、理緒?」
「怖い……です。だから帰ってもいいですか?」
「どうしてもと言うなら構わないが、レポートが百枚に増えるぞ?」
「行くも地獄、帰るも地獄じゃないですか……」
色々諦めざるを得なくなり、二人で森のまわりを一周してみることになった。
別段、柵のようなものもなく、出入りを禁じられている様子はない。
ただ背の高い草木が生い茂っていて、簡単には森のなかに入れそうもなかった。入口が見当たらないと言った方が正しいか。草木をかき分けていけば不可能ではないが、好き好んでそんなことをする人間もあまりいそうにない。
しかし森自体は決して広くはなく、ものの十数分で元の場所に戻ってきた。
「とりあえず一周してみましたけど、何も起きませんね。あ、ひょっとしてコウモリたちが聞きつけてきた噂って、ただのデマだったんじゃ……」
「まだ周囲を見てまわっただけだろう? 調査はここからだ」
手応えのなさとは対照的に、教授はむしろいきいきし始めていた。
「理緒、私の鞄をここに」
研究室を出た時から理緒は教授の鞄を持たされていた。
シックなアンティーク調の大きな鞄。昔の映画に出てきそうな旅行鞄だ。それを渡すと、教授は地面の上に置き、留め金を外してなかを開いた。
横から覗くと、小型のランタンが入っていた。ベルトとクッションスカーフで固定されている。
……何に使うんでしょうか?
この三週間ほどで理緒は数度、教授の調査に付き合わされている。調査の際、教授は必要になりそうな道具を毎回推測し、この鞄に入れて持ってくるのだ。
しかし今回は初めて見る道具だった。
「教授、これはなんなんですか?」
「昔、フランスの裏13番街で手に入れた道具だ。名は『宝石光のランタン』」
教授は鞄の内ポケットからマッチを取り出す。
「昼間の講義でヨーロッパの大開墾運動について触れたことは覚えているな? ああ、お前は居眠りをしていたから知りはしないか」
「お、覚えてますっ。それくらいはちゃんと聞いてました」
「結構。11世紀の人間たちは森を切り拓き、『森のなかには人ならざるモノが住む』という幻想を打ち砕いていった。歴史はそう伝えているし、講義では私もそう教える。しかしだ。事実は少しだけ異なっている。森のなかには実際に人ならざるモノたち――」
教授は静かに告げる。
「――
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