第3話 教授、正体を隠す気あります?
講義を終えた
普段の講義は主に一号館から十五号館の教室棟で行われる。一方、ここ教員棟には学生課や研究室があり、理緒のような一年生は用事がなければ本来あまり立ち入らない場所だった。
しかし事情があって入学以来、もう何度もここを行き来している。その事情とは……
「はぁ、また厄介なことにならなければいいんですけど……」
意気消沈しながら歩いていると、やがて氷室教授の研究室に着いた。
教員棟九階、北側奥。日当たりは悪いが、適度な広さがあって、教授はお気に入りらしい。
タイル張りの廊下には三、四年生や学院生の姿があり、理緒は白い扉を控えめにノックする。しかし数秒待っても返事がない。
「……不在でしょうか?」
だったらしょうがない、回れ右して帰ろうか、という気持ちが湧いてくる。
しかしいざ踵を返そうとしたところで、扉の向こうから返事がきた。
「――誰だ? 私は今、少々立て込んでいる。急用でないならまた改めてくるといい。その時は歓迎しよう」
耳に凛と響くような透き通った声。言わずと知れた、氷室教授。
しかし取り込み中なら渡りに船だった。
「神崎理緒です。お忙しいならまたにします。それじゃあ――」
「理緒? お前なら構わんさ。遠慮せずに入ってこい」
「あー…………はい」
逃げられなかった。
まあ、そうだろうなとは思っていたけれど。
理緒は諦めて扉を開ける。すると目の前に研究室の見慣れた景色が広がった。
全体の雰囲気はさながらアンティークな高級家具店。
年代物だが品の良い木目のデスクが部屋の奥にあり、備え付けられているのは英国製のロッキングチェア。そこかしこにある棚は北欧から取り寄せたものだとかで、教授のお気に入りのティーセットや研究道具がしまってある。
そんな海外風の雰囲気に反して、左右の本棚にこれでもかと収まっているのは、日本の妖怪や怪異関連の蔵書だった。専門家が記した研究書もあれば、古文書や絵巻物のようなものもある。
初めて研究室にくる学生は、部屋の雰囲気と本棚の文献のミスマッチさに唖然とする。しかし理緒の場合はよく出入りしているので、いつもの光景といった感じだった。
ただし、ある一点を除いては。
見慣れた研究室の景色に、今日は異質なものが混じっていた。
無数のコウモリである。
ロッキングチェアに優雅に腰掛けている氷室教授のまわりをコウモリたちが飛び交っていた。
「な……っ」
理緒は言葉を失った。
普通、コウモリなんて部屋にいたら誰だって大騒ぎをする。
しかし教授はまったく落ち着いていて、騒ぐどころか、コウモリたちにあれこれと指示を出していた。
さらにはコウモリたちは一般的なそれとは微妙に姿が違う。
どことなく丸っこく、ファンシーなぬいぐるみのような姿をしていて、泣き声もきゅーきゅーと妙に愛嬌がある。
見目麗しい大学教授がぬいぐるみのようなコウモリたちと会話をしている。
たぶん普通の人間が見たら、夢か何かだと思うに違いない。それぐらいどうかしている光景だった。
教授がこちらに視線を向け、小首を傾げた。
「どうした、理緒? 扉を開けたまま呆けたりして。早く入ってくるがいい」
その言葉ではっと我に返った。
開けっ放しだった扉を全速力で締める。
……み、見られてませんよね!? 他の学生や教員にこんな光景を見られていたら大騒ぎになりますよ!?
冷や汗を流すこっちの気も知らず、教授は平然した顔。
「お前はいつも忙しないな。もっと心に余裕を持って過ごせ。帆船でゆったりと航海するように過ごすのが悠久の時を生きるコツだぞ?」
「僕は悠久の時なんて生きるつもりありませんっ。いやそうじゃなくって!」
慌ただしく駆け寄って、教授のデスクに身を乗り出し、窓を開ける。
「なんでコウモリたちを部屋に入れたりしてるんです!? しかもみんな気を抜いてぬいぐるみみたいなあやかしモードじゃないですか! ファンシーなコウモリと会話する大学教授なんておかしいでしょ!? おかしいですよね!? 僕は間違ってませんよね!?」
腕を大きく振って手招きし、コウモリたちを窓の向こうへ追いやりにかかる。
「ほらみんな、出てって下さい! 早く早く! 人に見つかったら大変ですから!」
コウモリたちはつぶらな瞳で教授の方を窺い、ご主人様が苦笑しながら頷くのを見ると、きゅーきゅー鳴きながら部屋を出ていった。
その際、窓を通ると同時にポンポンポンッと煙が上がり、ファンシーな見た目が普通のコウモリに戻っていく。
最後の一匹が出ていくのを見届け、理緒はぐったりしながら窓を閉めた。一方、元凶の人物はロッキングチェアで肩を竦める。
「気は済んだか? せっかく使い魔たちから定時報告を聞いていたというのに、まったくお前というやつは」
「定時報告って……まさか僕の知らないところでしょっちゅうコウモリたちをこの部屋に入れてたんですか!?」
「当然だろう? いつ何時、この国のあやかしと呼ばれる者たちが現れるかわからない。私は常に使い魔を放ち、街中を監視している。己の領地のなかに目を光らせるのは、貴族としては当然のことだ」
ロッキングチェアの肘置きに頬杖をつき、氷室教授は微笑する。
その雰囲気はまさしく高貴な貴族。思わず納得してしまいそうになるが、何をどう言おうが、コウモリを使い魔にしている大学教授なんて人間社会ではありえない。
こめかみをぴくぴくさせなが理緒は尋ねる。
「前々から聞きたかったんですが……っ。教授は人間社会でちゃんと正体を隠す気があるんですか? コウモリと話してるところを誰かに見られたらどうするんです?」
「別に使い魔を見られる程度、どうということはないさ。対処の方法はいくらでもある」
「対処の方法?」
「私がどうやって人間社会に溶け込み、大学教授という立場を手にしていると思う?」
「え、それって……」
「人間の記憶をいじることなど、この私にとっては造作もない」
「最悪だ……っ。なんですか、その悪の権化みたいな発言は……!」
聞かなければよかった、と後悔していると、教授は「はは」と楽しげに肩を揺らす。
「悪の権化か。それは言い得て妙だ。人間にとっての根源的な恐怖の象徴、闇の使者、それが私の種――ヴァンパイアだからな」
頬杖をついた得意げな顔は、人間離れした美貌のおかげでずいぶんと様になっていた。
それもそのはず、このレオーネ=L=メイフェア=氷室教授はそもそも人間ではない。
彼は吸血鬼――ヴァンパイアである。
人間の血を糧として悠久の時を生き、この世の理を超越した様々な能力を持っていて、先ほどのようにコウモリを使い魔として操ることもできる。
一般的にヴァンパイアは陽の光や十字架が弱点だと言われているが、教授は昼間でも普通にキャンパス内を歩くし、十字架を掲げた教会のそばを通っても平然としている。
教授本人曰く、二百年も生きていれば、人間が知っている程度の弱点はどうとでもなるとのこと。そんな規格外のヴァンパイアが氷室教授の正体だ。
いまだに理緒は受け入れきていないのだが、この世には教授のような『人ならざるモノ』が数多くいるらしい。海外にはヴァンパイアや人狼や妖精のようなモノたちがいて、人間の知らないところで日々を営んでいる。いわゆる都市伝説やおとぎ話のなかの存在は確かにいるのだ。
理緒がそうした世界を垣間見てしまったのは、三週間前、入学式があった日の夜のことだった。
翌日からの大学生活が待ちきれなくて、理緒はこっそりとキャンパス内の敷地にやってきた。散歩がてらに少し辺りを見てまわるだけのつもりだった。
しかしそこで生まれて初めて、人間ではない異形の存在に出会ってしまった。
襲われ、追い回され、逃げ惑った末、理緒はとうとう胸を切り裂かれてしまった。講堂などがある中央棟の『ガラスの階段』から転げ落ち、理緒の命は風前の灯火となった。
そこに現れたのがヴァンパイアの氷室教授である。
結果として、理緒は氷室教授に命を救われることになった。
ただし、大きな代償を課せられて。呼び出された理由がその代償絡みでないことを祈りつつ、理緒は尋ねる。
「それで教授……僕はどうして呼び出されたんですか?」
「良い質問だ。今朝方、コウモリたちが噂を聞きつけてきた」
教授はロッキングチェアで優雅に足を組み替える。
「『髪絡みの森』という噂を知っているか?」
うわ、やっぱりかー……と思った。
この研究室に呼ばれることは、イコールろくでもないことに巻き込まれることなのだ。
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