歩道橋の下にはお菓子の家
「なんでっ、なんでよ! なっちゃん、一緒の学校に行こうって…」
その日を僕はよく覚えている。
高校三年生。僕たちは学校のある町の七不思議を調査することとなった。いや、厳密には「調査させられた」。七つの不思議を調査するために集められた七人の生け贄、とでもいうのかな。それが僕たちだった。
春、僕を含む七人が七不思議調査委員会のメンバーとして集められた。
彼女とは委員会に入るまで話をしたこともなかった。だけど、『彼』によって集められた七人の中では同学年という理由を持つ彼女、菜摘を含む僕たち四人は友人として付き合うようになった。
僕と、秋彦と、冬実と、菜摘。僕たちは同じ三年生だった。冬実と菜摘は一年生の頃に知り合い、親友としてその日まで過ごしていた。
彼女たちは、互いに「なっちゃん」「ふゆちゃん」と呼び合う仲の良さだった。時には男子には理解しにくい女子特有の距離の近さで会話し、僕と秋彦を困惑させた。
「ほんと、女子ってわからないわよねー。はるちゃん」
「そうよねー、あきちゃん」
そんな二人を見ながら、僕と秋彦もふざけあって一時期は「あき」「はる」と呼び合うようになった。
来年には進学か、就職か。僕らにはその二つしか選択肢は見えていなかった。同じような境遇の中で与えられた『委員会』という最後の役目を、僕らはせめて楽しもうと笑って言った。笑っていたんだ。
それなのに
夏休みはすぐ目の前という時に、菜摘はいなくなった。
僕たちの目の前で。
その日は少し曇っていた。梅雨が開けたばかりで、まだじめじめとした湿気が残り空気が重かった。一日授業を終えて帰ろうと荷物をまとめていると、携帯がメールの受信を告げた。
『なっちゃんが変なこと言うの』
メールの相手は冬実だった。
その年は例年に比べると短い気もする梅雨に入る前から、菜摘は変なことを言い始めた。僕たちの会話の中で唐突に「おなかすいた」「おかしちょうだい」「なんか食べに行こう」と言い出すようになったんだ。確かに少し食い意地がはっていたかもしれない菜摘。でもその体型は『デブ』という程ではなくて、地味で痩せ型な冬実と並んでもほんの少しだけ『ぽっちゃりしているね』と言えるかな程度のものだった。
菜摘と冬実は食に興味を持っていて、高校卒業後は同じ専門学校に通いパティシエを目指すつもりだった。
菜摘は食べることを心から楽しんでいたんだ。ここの店の何が美味しい、この料理はどこが変わっていておすすめだ、新作のスウィーツはここがイマイチだからこうすると良くなる。彼女の食べ物の話はおもしろかった。興味深い、の一言に尽きるってこう言うんだな。単に「おいしい」で終わらせずに分析して感想を言って、僕たちにどう? と勧めてくる。その笑顔に彼女の隠さない幸せな感情がどれだけ溢れていたか。
そんな彼女が言い出した変なこととは、もっと食べたい。足りない、もっともっと。もっともっともっとちょうだい! ひたすら飢えを満たそうとするものだった。
徐々に、いつも一緒にいる冬実の表情が曇っていった。菜摘はこんなこと言う子ではない、と。菜摘の笑顔に狂って歪んだものを感じ始めていた。それが何だったのか、結局最期まで解らなかったけれど。
菜摘は、もっとと言い出してからしばらくしてこう言った。
「歩道橋の下に美味しそうなケーキ屋さんがあるよね」
あるはずない。
僕たちは入学してからずっとその道を、その歩道橋を利用しているんだ。もし新しい店が近くにオープンしたら誰だって気づくはずだ。なにより。『歩道橋の下』に店なんかあるはずないだろう? 歩道橋は道の上に架かるものだ。その歩道橋は、大きな道路、それも交差点の上に架かっていた。
誰がどう見ても、建物なんか建てられない。
それでも菜摘は言うんだ。
「今朝あの店からクッキーの焼ける匂いがしたよ」
「あの匂いは絶対ケーキのスポンジだよ」
「すごくいいクリームの匂いがしててね」
「ああ、食べてみたいなぁ」
食べてみたいなぁ。
行ってみたいなぁ。
行きたいなぁ。
行ってみない?
行こうよ。
行こう!
「あのお店に行こう!」
だから。そのケーキ屋は何処にあるんだよ。
誰も知らないケーキ屋。別の道のことかと思って調べてみたけど、どこにもそんな店なかった。あるはずないんだよ。
じゃあ、菜摘は何を見ているんだ?
歩道橋を通るとき、菜摘はいつも下を見ていた。歩道橋の下を。
僕たちには、何も見えなかった。そこにはただ大きな道路と交差点があって、たくさんの車が走っていた。
菜摘は下を指差して
「あのお店のケーキ、食べてみたいな」
と言っていた。
菜摘には何が見えているんだ?
僕たちには解らなかった。
歩道橋の下には、何もなかった。
そしてその日がやって来てしまった。その日もいつもと変わらないはっきりしない天気で、空は青色を隠していた。
放課後、いつものように帰宅することばかり頭が考え出した頃、携帯がメールの着信を告げた。
「なっちゃんが変」
冬実からのメールはいつもと同じはずだった。でも、いつもと違ったのは、その後にあったもう一文だった。
「もう我慢できないって」
僕は秋彦を連れて冬実に合流した。菜摘は既に学校を出た後だった。冬実は今にも泣きそうな顔をして
「なっちゃん、あたしの声聞こえてない」
いくら声をかけても反応しない、と冬実はそう言った。
僕たちは菜摘を追った。
そして、着いた歩道橋の上で見た光景に僕たちは自分の目を疑った。
僕は思った。
これが、七不思議の一つ。『歩道橋』なのかと。
空の雲は途切れ、赤い夕焼けが、いいや。血をどろどろと流し込んだように赤黒い夕焼けが、すぐそこまで迫っていた。
僕の肌はざわざわと鳥肌が立っていた。多分、秋彦も冬実も同じだったと思う。だって、毎日何も感じず当たり前に使っていた歩道橋にこんな怪異が潜んでいたんだから。
その七不思議は、僕たちの本当にすぐそばにあったんだ。
車の音がうるさかった。どこか遠くでチャイムの音が鳴っていたかもしれない。ドクンドクンと心臓が危険を訴えていた。でも、それよりも僕の耳に残っているのは、彼女の、菜摘の笑い声だった。
歩道橋の上で見たものは、菜摘が下を見てくすくすと笑いながら立つ姿だった。
「なっちゃん?」
冬実が近づこうとした時だった。
菜摘が手すりの先に手を伸ばして、
「菜摘!」
手を、伸ばして、
「いやぁああああああ!!!」
歩道橋の下に、おちていった。
僕には見えていた。
夕陽に照らされて伸びた菜摘の影に、あるはずのないたくさんの『手』が伸ばされていたことを。
菜摘の目には何が見えていたんだろう。僕の目に写った最期の彼女は笑っていた。幸せそうに。でも、それは本当に彼女の幸せだったんだろうか。菜摘が最期まで伸ばした手は、本当に彼女が望んでいたものに伸ばされていたんだろうか。
菜摘は、僕たちの目の前で歩道橋の下におちていった。遺体は、見つからなかった。
ただ、最期の瞬間に菜摘が立っていた場所には一冊の日誌だけが遺されていた。そこには菜摘の字で七不思議の『一つ目』が書かれていた。
その日から何日も経って、あの瞬間を思い出す。目を閉じて、何度もあの瞬間を思い出す。
笑っていた菜摘。伸ばした手。そして、歩道橋の下から伸びたたくさんの手。菜摘を下に引き寄せた、怪異の手。菜摘の伸ばした手を絡めとり、『下』に引きずり込んだ手たち。
僕の携帯には、まだ好きなお菓子について笑顔で語る菜摘の写真が残っている。その手には、彼女が僕たちの為に作ってくれた色鮮やかなマカロンたちが乗せられている。
菜摘を一人で撮った写真はその一枚だけ。たった一枚だけ、残っている。彼女は、菜摘は、夏を目の前にして急に消えてしまった。
七不思議調査委員会のメンバーの数が一人減った。
今日もあの歩道橋をたくさんの人が利用している。こんな怪異が潜んでいることも知らずに。
委員会の日誌にはこう書かれている。
『歩道橋の上から下を覗き込んで手を伸ばすと、下から手を引かれて
真っ逆さまにおちる。
おちた先にあるのは、自分がもっと欲しいと望んだ欲望のなれの果て。』
菜摘が歩道橋の下に見ていたものは、彼女がもっともっと欲しいと言っていたものだったんだ。欲に目が眩んで手を伸ばしすぎると、その欲から手が伸びて引きずり込まれる。
これが、僕たちの七不思議の一つ目。『歩道橋』だった。
そういえば。
菜摘には姉が一人いると聞いた気がする。その人は、こんな風におかしくなった妹のことをどんな風に思っていたのかな。
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