雪乙女の心(3)

 色鮮やかな花たちの中に紛れる雪が人々の目を引く。


 今宵はいつもより大胆で華美な格好が許されているというのにその子どもは、首を詰襟で、腕は長い袖、指先まで手袋で肌を隠し、頭部も白いベールできっちり覆っており、口元が僅かに見えるのみ。唯一色の付いた青いリボンが子どもの胸元で揺れている。


 通常の舞踏会であればあり得ない格好だが、今宵は仮面舞踏会。貞淑な貴婦人の仮装・・・・・・・・・であっても構わない。


 城で開かれた舞踏会に幼い子ども、それもエスコートしているのが銀髪の青年となればその子が誰かはおおよその見当がつく。


「あれが噂の」


「人にしか見えませんね」


 いくら声を潜めようともせつなの耳はしっかり聞いている。


「周りの目は気にするな。もっと肩の力を抜け」


 ヴィルヘルムの左手が右腕に添えられたせつなの手に重なった。


 せつなは声なく叫ぶ。


 違う、そうじゃない!


 物珍しげに見られることにはもう慣れているのだ。


 組んだ腕に走る血の流れが、寄り添う体温が、暑くまるで心臓を太鼓のように叩かれているような。抱っこされたこともあるんだから今更、と己に言い聞かせてこれでも平静を装っているのだが、急に話しかけられて呆気なく崩れてしまう。


 他の参加者の衣装に比べれば無難な礼服。後ろに髪を撫でつけ、白い美貌には目元を覆う仮面。ベールの下にある彼女の顔にも、同じ仮面が付けられている。いくら顔を隠そうとも、彼の魅了が褪せることはない。シャンデリアの下で輝く銀色が眩しく、目新しい姿を凝視するせつなの目を焼いた。


 弦楽器の音が優しく大広間に響く。奏でられ始める音楽隊による生演奏、中央で踊る男女、端に寄って談笑を楽しむ仮装した人々。


 絵画の世界だなぁ、と初めての舞踏会を見て思う。


 夢のような世界の中で彼女が真っ先に興味を示したのは、甘い香りを漂わせるテーブル。


「おお!」


 さすが貴族のパーティー。


 艶のある果物、クリームたっぷりケーキ、香ばしい軽食。全て片手で摘んで食べれる一口サイズで、綺麗に並べられていた。スマホがあれば食べる前にまず激写していただろう。せつなのお腹がキュッと引き攣る。


 給仕に果物とケーキを切り分けてもらって振り返ると、少し手を離した間にヴィルヘルムは女たちに取り囲まれていた。仕方なくせつなは人気ひとけを避け、物陰に下がってケーキの上で輝く瑞々しい宝石を口に放る。じゅわっと広がる自然の甘みに頬を綻ばせながら、その目はしっかりと彼を捉えている。


 どうやら顔見知りもいるようでヴィルヘルムは丁寧に対応している。あれではしばらく戻って来ないだろう。


「ん? ローニ」


「セツナ?」


 隠れるように隅にしゃがみ込んでいた金髪の少年を見つけた。顔には参加者の証である仮面を付けていて、身なりも宝石のブローチなどを付けた大人に負けず劣らずの豪華な舞踏会仕様で小さな王子の仮装をしていた。


 いや、そういえば正真正銘王子だった。


「こんなところで何してるの? 踊らないの?」


「うん……」


 応答はぎこちない。見回してみると他に子どもはいないので大人たちに馴染めず孤立していたのだろう。


「ローニ、口開けて」


 首を傾げながらも言われた通りに小さく開いた口にせつなは赤い果実を一粒放り込む。


 シャリっとした食感にローニは目を見開いた。


「ちょっと凍らせてみた」


「おいしい」


「へー、俺も一つ欲しいな」


 背後がぞわぞわするのを感じながらも我慢して、近づいている気配に逃げなかったのは、ローニを驚かせたくなかったから。


 その男は外套を羽織った騎士の格好をしており、髪は焦茶色に染めていた。仮面の中から覗く青い瞳が細められ、子どもたちに頬笑みかける。


「とうさま!」


「陛下」


 初対面のときとは打って変わってせつなはお辞儀をしてみせた。


 精霊としてあるせつなは、王に対して忠臣のように振る舞う必要はない。ただ周りに反感を与えるようなことは避けるべきとヴィルヘルムに言われていた。


「二人共、せっかくの舞踏会なんだ。こんなところにいないで踊ってきたらどうだ」


 ローニはハッと期待するような目をせつなに向けたが「私は踊れませんので」と彼女が断ると残念そうに「ボクも……」と俯く。


「お前は踊れるだろう。いつも通り宰相の令嬢と踊ってこい」


「え、あ」


 戸惑うローニの背中をアルフィは笑顔で押し、呼び寄せた少女と一緒に大広間の真ん中へ押し出す。


 少女の方が背が高いが、彼女は慣れたようにローニと踊り出す。


「今日は普通に接してくれるんだな。この格好のおかげか?」


「……貴方の光は、その程度で収まるものではないです」


 会場の照明よりも輝く隣の男から十歩ほど距離を取る。


「ははは! そうやって慎みつつ態度が素直なのは、あいつそっくりだ」


 アルフィの視線が向かう先は、女に囲まれて動けないでいるヴィルヘルム。


「貴殿は嫉妬とかしないのか?」


「してますよ。普通に」


 例えばヴィルヘルムの親友とかに。


「冷静に見えるけどな」 


 覗き込まれせつなは顔を逸らす。


 自分以外の誰かがヴィルヘルムと親密そうにしたり、触れようとしたりすると当然イラッとする。けれどせつなにはヴィルヘルムを独占できる理由がない。


「やっぱりヴィルが好きなんだな」


「そうですが、なにか?」


「いやいや文句なんてないさ。ただあいつはモテるわりに色恋沙汰とは無縁だったもんだから興味があるんだ。ちなみに貴殿はあいつのどこに惚れたんだ?」


「顔」


 どこに、いつから。それは間違いなく最初に雪の中で倒れていたのを見つけたときだと断言できる。


 静かになったアルフィをチラ見すると呆然としていた。「いや顔って……」と言いながら頬を引き攣らせる。


 違う言葉を期待していたんだろうが、内面を知る前でも一瞬で好きなってしまうのが一目惚れなのだから仕方がない。


「あの美しさ惹かれない者がいたら、そいつの目は節穴です」


「それは否定しないが……ああいうのがいいなら、レンナルトは? 血縁だけあって顔立ちは似ているだろ」


 一瞬せつなは眉を顰めたが、アルフィの言葉を否定しなかった。


 現在ニフルヘイムの城で謹慎状態にあるヴィルヘルムの義弟レンナルト。彼も確かに美形ではある。


 初対面のときから彼に抱いていた嫌悪感は今は薄れている。どうやらあれはレンナルトが使っていた精霊を閉じ込める為のまじないに対する拒絶反応だったようで、今は存在ごと消し去りたいと思うほどの憎しみはない。


 というか興味がない。


「あと俺とか」


「論外」


 はっきり切り捨ててやればアルフィの笑顔が固まる。仕方がないだろう。魂の輝きが眩し過ぎて美形かどうかなどせつなは判別できないのだから。


「中身を伴わない美しさでいいなら、とっくに凍らせてますよ」


 その言葉は思いの外冷ややかに響き、男の体が強張ったのを気配で察した。


「一目惚れだけど、それだけじゃないから大変なんです」


 幼い容貌に似つかわしくない感情が浮かぶ。

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