雪乙女の心(2)
「よお、街は楽しんだか?」
アルフィはペンを置き、戻った親友に声をかける。
ヴィルヘルムは促されたソファには座らず、アルフィの前に立った。
「おかげさまで。——ところで陛下、お伺いしたいことがあるのですが」
「なんだ改まって」
恭しく、愛想笑いの一つも浮かべない男をアルフィは愉快そうに見上げる。
「舞踏会とはどういうことですか」
「ああ、それか。せっかくニフルヘイム卿が来ているというのに何もしないわけにはいかない、って言う連中がいてな」
「今回は公的訪問ではないので、歓待行事などは不要と申しましたよね」
「聞いた聞いた。当然そのつもりだったし、俺も何も言わなかったが、お前が来てることに何人かが気づいてな。隠し切れることじゃないのは、お前もわかっていただろう」
祖王の末裔と繋がりを持ちたがる者は多く、常にその動向に目を光らせている。王都に入った時点、早くて道中に鼻の効く者に勘付かれた可能性があった。
「だからといって、こんな急に」
「文句は企画した奴に言ってくれ」
最終的に許可を下したのは
「そう気を張らなくてもいい。舞踏会といっても小規模の気軽なものだ。俺もローニを参加させるつもりだし」
「殿下を?」
ローニはまだ社交界に出る歳ではない。しかし今回の舞踏会は本当に身内ばかりの規模を抑えたものを計画しており、これを練習に未熟な王子に学ばせようとしていた。
「学ばせるというより、慣れさせるだな。お前も知っているだろう。あいつの人見知り」
アルフィとは正反対にローニは慎ましい性格で、親しい友人もなく部屋にこもっていることが多い。それが父の悩みの種であり、だからローニが自分から街に出たいと言い出したときは驚いた。
「ほんと懐いたよなあ」
ローニが初対面の相手に引っ付いて歩くなど本来ありえない。ヴィンガルから助けられたのがよほど衝撃的だったのか。
街での様子を実際にその目で見たような口振りは、王子にこっそり付けていた護衛に逐一報告させていたことによるものだろう。
「雪乙女殿も、お前の予想と違って息子に優しくしてくれているようだし。このままいい関係を築いてくれるとありがたいんだが」
「……そうだな」
思った通りの応えだったのに、予想していたよりも声の調子が僅かに低く、アルフィはヴィルヘルムを凝視した。感情をあまり表に出さないヴィルヘルムの、長い付き合いだからこそわかる微妙な変化。
「もしかしてお前、気に入らないのか?」
「そんなわけがない。殿下が友人を得るのは大いに賛成だ」
「ほぉー?」
「そのだらしない顔をやめろ」
どんなに睨まれても、アルフィは最後までニヤけるのをやめられなかった。
ニワトリの声で目が覚め、体を起こしてバルコニーの方を睨めば羽ばたき共に気配が遠ざかる。あれはきっと嫌がらせに違いない。もともと早起きするつもりではあったが、早過ぎてしまった。
欠伸をして、ぼーっとしている間に鐘の音が一度鳴る。
そうえいば私……。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう」
気づくとベッドの横にシーラが立っていた。カーテンが開き、今日もソルは恵まれた快晴。
「さあ、今日は忙しくなりますよ」
部屋の真ん中に姿見が置かれ、テーブルの上に化粧品等の小瓶が並べられている。通常支度には侍女が複数人で取り掛かるというが、せつなの場合はシーラ一人で足りる。
ドレスについては昨夜の内におおよそ定まっており、今から実際に色々と合わせて整えるのだ。
「あのさシーラ」
「なんでしょう?」
「私、舞踏会の作法とかまったく知らないんだけど」
ヴィルヘルムが滞在している客室は、せつなの部屋からそれほど離れていない。早朝から訪ねた彼女たちを彼は拒むことなく迎え入れた。
せつなたちを座らせ、向かいのソファに腰を落ち着けたヴィルヘルムは寝起きを思わせるラフな格好で、いつもは高い襟で隠されている首筋から鎖骨のラインに目を引き寄せられる。
「それでなんの用だ」
「あ、うん。私、舞踏会って初めてで作法とかよくわからないから、教えてもらおうと思って」
「作法……そこに立て」
言われるがままにイスから離れ、ヴィルヘルムから足元までよく見える位置に立つ。歩けと言われて歩き、回れと言われて回る。つぶさに見つめてくる瞳に震えそうになった。
「姿勢は問題ないな」
もともと曲がっていると言われたことはないが、常に着物でいるようになってからは自分でも背筋がピンと張ったように感じていたので、認められて嬉しくなる。
「基本は教えるが、今回はそこまでこだわる必要はない。舞踏会と言っても『仮面舞踏会』だからな」
通常の舞踏会と違い、参加者は身分を伏せる仮面を付け、ある程度の無礼講で行われる。遊びに近いもので、仮装も許されていた。
「ちなみに踊りもできないんだけど」
「半日で習得できる自信は?」
「ない」
「だろうな。踊らなくても問題はない。街に出かけたときのように気軽に構えていればいい」
「わかった。早くからごめんね、ありがとう」
「かまわない。そういえば、その頭はどうするんだ」
「頭? ああ……」
髪の長さを指摘されたのだと気づいて、一筋つまむ。
「仮装で何か被るのはいいんでしょう?」
今も身につけている被衣を引っ張り「こんな感じにするから大丈夫」と頬笑む。
「そうか」
これで話は終わり、と思ったがせつなはハッと気づいて焦る。
待って。そうだ、聞かなきゃって思ってたんだ。
「あのさ、もしかして」
下に向けた指先をすり合わせ、もじもじと相手を見上げる。
「長い方が、好き?」
「いや別に」
即答だった。
急激に込み上がる感情にせつなの顔は真っ赤で涙目。もちろん髪のことだとはわかっている。自分で言い出したことだ。しかし思い切った「好き?」の返答に少なからずショックを受ける。
「そ、そっかぁ! それじゃまたあとで!」
それ以上その場に留まることができず、せつなは
部屋に戻ってベッドに飛び込み、顔に枕を押し当て「むぅうう!」と唸り転げ回る。
「大丈夫ですかお嬢様?」
「……うん、大丈夫」
人に情けない姿を晒し続ける趣味はないし、今日は忙しいのだ。感情を抑え込んで切り替える。姿見の前に立って背筋を伸ばす。
「よろしくお願いします」
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