雪乙女の心(1)

 馬車で店前まで乗り付けられる大通りには、広場の露店とは違う、百年以上の歴史を誇る老舗が並んでいた。ソルで高品質な物を求めるとまず勧められるのがこの通りだ。


 角に店を構える家具屋の前でローニが立ち止まり、被衣の裾を掴まれていたせつなもつられる。窓から店内にある何かを凝視していたので「入る?」と訊くと、こくりと頷いたので立ち寄ることにした。


 木材の柔らかな香りが鼻を通り抜ける。


 小物を並べた棚にローニは向かう。


 尻尾を立てて歩く母猫の足元で六匹の子猫が戯れる姿。一見、黒い体は虹色の輝きを見せ、石であるのに生気を感じさせる不思議な置物であった。


「買うの?」


「うん」


 一目で余程気に入ったらしい。常に潤っている青い瞳を大きくして、父親からもらったお小遣いを詰めた財布を握りしめる。


 ヴィルヘルムが店員を呼んだ。ローニは自分で買い物をするのが初めてらしく、ヴィルヘルムに助言をもらいながらたどたどしく支払いを済ませた。普段は城に商人を呼び、会計も別の者がやるので金銭に触れることもほとんどないという。


 自ら購入した物を嬉しそうに抱えているが、そのまま持ち運ぶのは危ないので、品物は白に届けるようヴィルヘルムが手筈を整える。


「お前も欲しい物があったら言えよ」


「うーん……」


 そう言われても急には思いつかないものだ。とりあえずここにはないので店を出る。


「お嬢様、ドレスを見に行きませんか?」


「ドレス?」


「はい。明日は舞踏会がありますから用意しませんと」


「え?」「なに?」


 声が重なり、せつなは虚をつかれた表情のヴィルヘルムと顔を見合わせる。


「一応用意はしていたのですが、今のお嬢様にはサイズが合わず——」


「待て。舞踏会だと? 俺は聞いていない」


「え!? ですが城の者が……」


 シーラが戸惑っていると、ローニがおずおずとヴィルヘルムを見上げた。


「とうさまが明日の舞踏会には、セツナたちも出ると……」


「そうですか」


 銀髪の青年の後ろで一陣の冷風が吹き抜ける。


 ローニはせつなの背に隠れた。彼女の身体も冷えているだろうに、ぷるぷると震えながらぴったりとくっついている。「あんたに怒ってるわけじゃないよ」とローニの腕をたたいて慰める。


 ヴィルヘルムの意識は今、たった一人に向けられているのだろう。忌々しい。妬むほどではないけれど、若干面白くない。


「シーラ、ドレスについては問題ないよ。形とか教えてくれれば変える・・・から」


 こちらを見て欲しいという気持ちが抑えきれず、隣を通り過ぎる通行人にもはっきりと聞こえるくらい声が上がった。思惑通り、横目で窺うと白銀の瞳がこちらを向いているのでほっとする。


「仕立て屋に向かう」


「え? いやだからいらないって——」


「具体的な見本は必要だろう」


 その通りだ。一度でも腕を通した物ならいくらでも形作れるが、ドレスは大まかな形はできても細かいデザインまでとなると難しい。参考にできる現物はいくらあっても困らない。


 高級感の漂う白亜の店内。多くの従業員に出迎えられ、応接間に案内され、お茶が出た。


 あれ? 服を買いに来たんじゃなかったっけ。


 呆然としているせつなの前で、ドレスやアクセサリーが次々と部屋に運び込まれて来る。そしてせつなを囲んで話し合うシーラと女性従業員。


 それまでせつなにくっついていたローニは空気を察してか、ヴィルヘルムと共に女性陣から離れて座っていた。


 この店では、大人用だけでなく子女用の商品も扱っており、既製品も豊富だ。 


「お嬢様これはどうです?」


「うん、可愛いね」


「ご試着されますか?」


 シーラの指した薄いピンク色のドレスはコスモスのように愛らしいのだが、今のせつなのサイズに合わせて用意された物なので子どもっぽい。精神年齢十六歳のせつなにはなかなか厳しい。日本人顔、体型に合うとも思えず女性従業員の申し出を断る。


 そう考えるとここにある物はほぼダメになってしまう。せつなはアクセサリーの方に目を向ける。こちらは子ども向けばかりでなく、大人用のも出されていた。使われているのは全て本物の宝石。可愛い物、美しい物はとても目の保養になるが、庶民感覚には肩身が狭い輝きだ。


 他にはヴィルヘルムの注文で、加工前の宝石や布が運ばれた。


 まさかわざわざオーダーメイドする気?


 時間はかかるだろうが、似合う物をあつらえるならそちらの方が最適ではある。デザインだけでもしてもらえれば、せつなの能力で明日に間に合う。


 もちろん案だけ盗むようなことはせず、品物はちゃんと買うつもりだ。


 ふと、小物の中に見慣れた輝きを見つけた。従業員が装飾品だけでなく、オススメ商品を持ってきたらしい。


 宝石の隣に並べられた透き通った色ガラスの箱。小物入れにぴったりな可愛らしいそれは、着物の下に隠れているペンダントと同じコルムのガラス粉でできていた。


「こちら、当店自慢のニフルヘイム産ガラスの宝石箱でございます」


「へー、こういう店って高級品しか置いてないと思ってた」


「あの、お嬢様」


 急にこそこそしだしたシーラに耳を寄せると、とんでもない数字を聞いて目が飛び出るほどの衝撃を受ける。


「高っ!?」


 コルムのガラス粉は、ヘルでは平民でも気軽に買えるほどの安価の品。その加工品も手頃なものだろう考えていたら、ガラスの箱が宝石と同等だという。


「他所ではこんなものだ。職人の腕によっても左右されるが……これはかなりの腕利きの作品だな」


 ヴィルヘルムは感心しながら「買うか?」と訊き、せつなは首を振って慎重に宝石箱を置く。


 結局、ドレスは対象年齢を上げた物まで出させ、大人しめのシンプルな既製品を数着選び、アクセサリーはなし。あとはヴィルヘルムが石を何個か購入し、せつなたちの買い物は終了。


 やや疲れた顔で店を出て、目の前を通りかかった紳士を見たせつなは、自分の物を選ぶときよりも目を輝かせる。


「男性用の服も必要じゃない?」


 舞踏会にはヴィルヘルムも出る。むしろこの中のメインは彼なのだから、彼こそ着飾るべきだとせつなは意気込む。


「俺のも持ってきているんだろ」


「はい」


 せつなの物だけ用意していたなんてことはない。王都に来て何があるかわからないのだ。当然、ヴィルヘルムの礼服一式も用意してある。


「ならいい」


 女二人はその素っ気ない一言に肩を落とす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る