ひだまりの都(7)

「ゆーたんへいむす?」


 たどたどしく復唱するせつなの背後でヴィルヘルムが「海の向こうから来た者のことだ」と補足する。


 つまり、外国人って意味かな?


 ヴィルヘルムは顔を逸らし、彼を見て呆けていた商人は我に返る。


「その様子じゃ違うのか。まあ、本当にそうだったらもっと騒ぎになってるだろうしな」


がい、ユータンヘイムスはそんなに珍しいんですか?」


「そりゃあ、二百年前に来たっきりだしねえ」


「二百!?」


 航空技術がないとはいえ、この世界にも船舶存在する。氷城の書庫で大型船の絵を見たし、海辺では海路使っての交易もあると聞いている。


 せつなの故郷ほどでなくとも、それなりの国外交流があってもおかしくないのでは。


「そんなにおかしいことじゃないだろう」


 そう言いながら商人は地図を広げた。少し歪な楕円の大陸が真ん中に、その周囲に点のような小島がいくつか。あとは海を表す空白。


 それが二百年前までの世界・・地図だという。


 海は果てしなく広く、今まで幾人もの冒険者が最果てを求めて旅立ち、途中で諦めた者以外で帰って来た者はいなかった。ゆえにこの国の人々は、この大陸が唯一の人間の世界だと信じていた。


 しかし二百年前。海の向こうから見たことのない一隻の船が現れる。乗船者は、この大陸とは別の地から来たという異人たち。


 人々は雷に打たれたような衝撃を受け、再び最果てに夢を見る者たちが増え始めたが、それはやはり困難なものだった。


 異人たちは海路を見失い、およそ一年ほど海上を彷徨った末に奇跡的にこの地に辿り着いた漂流者であったのだ。


「船員は半数以上亡くなり、生き残った者たちも故郷に帰ることはなかったという。この国とは別の大陸の存在が明らかになったことで、オレたちの世界は広がるはずだったが、未だ海を渡り切る術はなく、この地図も未完のままさ」


 もう一枚出された紙には楕円の大陸が左側にずれ、右端には大地が出っ張っている。絵にすれば近いように見えても、この空白が実際はどのようになっているのか、誰もわからない。幻とされる大陸の一部が描かれたそれは、地図としては普及せず、物語の挿絵として使われているのだとか。


「その本がここに二冊あるんだが、知的なお嬢さんお坊ちゃん、どうだい?」


 なるほど、この為に呼び止めたのかとせつなは苦笑する。


 隣にいたローニは驚いてせつなの背に隠れた。


「その物語の本なら我が家にもある」


 ヴィルヘルムのその一言でせつなはその本への興味が失せる。


 残念そうに本を引っ込める商人のもとを離れ、今にも馬が駆け出しそうな馬車の彫像がある場所へ向かった。彫像から先には露店はなく、広い芝生と林があった。芝生の上で敷物を広げ日向ぼっこする者、ゆらめく木陰の中を散歩する者、公園の中では時間がゆったりと流れていた。


 一方で、彫像付近では人が集まり突然拍手が湧く。


「吟遊詩人が来てるみたいですね」


 シーラの言う通り、拍手が止むと楽器の音色と歌声が聞こえてくる。二人組の女がうっとりと詩人の容姿を褒める言葉を呟いたが、人の壁が高く、せつなとローニからは何も見えない。暑苦しい人混みの中に突入するのは憚られ、隙間を探す。


「おとうさーん、こっちこっち!」


 少年が大家族を引き連れ、ちょうどせつなとローニの間に割り込む形になり、気づいたせつなが振り返ったときには、次々に集まってくる人々でヴィルヘルムたちの姿を完全に見失っていた。


「すみま、うわっ」


 気配を探ろうとすると人の波に押し流され、背中が誰かにぶつかってようやく止まる。


 振り向いて見上げると、この世界では初めてみる褐色肌の、まだ青年には届かないぐらい少年がいた。フード付きのローブを纏い、せつなのように頭からすっぽりと覆っている。右耳にぶら下がる細長い水晶のような耳飾りに目を奪われていると、少年はせつなから離れ、静かに頭を下げると足音も立てずに人混みの中を滑るように去っていった。




「お嬢様ぁ! どこですかー!」


 シーラは必死に人混みを掻き分ける。王子ローニまで逸れないようヴィルヘルムは側につき、周囲を見回して白い塊を探す。


 しっとりとしていた音調が賑やかなものに変わり、子どもたちが吟遊詩人の前に出る。


「まわるまわる獅子の子よ 


 火竜の息吹おそれずに


 おどれおどれ獅子の子よ


 影の手を振り払え


 獅子よ獅子よ


 我が子を見失うなかれ」


 音楽が止まると同時に吟遊詩人の背後から小さな花火が打ち上がる。突然咲いた空中の花に人々が足を止めた。その中に正反対を向いて立ち尽くしている小さな白を見つける。


「お嬢様!」


 振り向かなりシーラに抱きつかれ、せつなはきょとんとする。ローニが彼女の被衣の裾を両手でぎゅっと掴む。


 ヴィルヘルムは、こちらを見上げた途端気の抜けた笑顔になった頬をつまんだ。ピシッと石のように動かなくなった少女の頬は柔らかく、しばらく揉んで、このままだとずっと息を止めていそうだったので離す。


「あまり心配をかけるな」


「お嬢様!? お気を確かに!」


「セ、セツナっ」


 崩れ落ちた体をシーラが支え、ローニが涙目で呼びかける。せつな本人はとても幸せそうな寝顔・・だ。


 いつの間にか吟遊詩人の姿なく、人々の注目はせつなたちに移っていた。

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