ひだまりの都(6)

 陽の恵みが強まるこの時期に、王宮の庭園に雪が舞い、暴風が巻き起こり、丹精込めて造り上げた庭の一部が見るも無惨な姿に変わり果てていた。それが年端も行かぬ少女と庭園に住み着いている雄鶏の仕業と知って、五十年以上勤めている老齢の庭師は度肝を抜かれる。


 庭師が見習いとしてここに来た頃には、すでに庭園を己の縄張りとし、王都の鳥たちの頂点に君臨していた雄鶏ヴィンガル。


 巣やヒナの面倒を見るなど慈愛の一面がある一方、庭園を訪れる人間を厳しく審査し、気に入らなければ容赦無く追い出す気性の荒さを持つ。そのせいで、優美な庭園だというのに滅多に人が寄り付かない。


 それでもヴィンガルを追い出すことはなく、適度な距離感を保ち隣人として共存してきた。


 なのにまさか、羽をバタつかせ暴れ狂う雄鶏の足を掴み上げ、侍女と王子に拍手されている少女という異常な光景を目にすることになろうとは。


 銀髪の美しい青年が現れ、白い衣の少女がニフルヘイム侯爵が連れて来た客人だと知る。


 侯爵の来訪はあらかじめ使用人たちに通達されているが、同伴者の詳細までは教えられていなかった。しかしニフルヘイム侯爵について数日前から王都で広まったとある噂がある。


 かの公爵は精霊と契約し、祖王の奇跡を再現したという。今回の異例な来訪は、そのことを王へ報告するためで、件の精霊も連れてくるのでは、と城ではその話題で持ち切りだった。


 彼女がそうなのだろう。


 メイドたちなどは、滅多に現れない精霊を見ることができるかもしれないとはしゃいでいたが、植物を扱う庭師は子どもの頃から精霊の危険性について師に教えられており、少し不安を抱いていた。


 愛らしい少女の姿をしているが、あの激闘、この庭の惨状。


「やはり精霊には気安く触れるべきではないのう」


 彼女たちが去るまでその場で待った。


 残された荒地を見てため息をつき、庭師は弟子たちを呼びに行った。




「お前はなにをしているんだ」


 ヴィルヘルムは膝を折り、目線を近づけるとせつなの頬にかかる髪を手の甲で押し退け、雄鶏に引っ掻かれていた柔らかな輪郭に指を添える。


 擦り傷程度の小さな傷なら瞬時に治るため、血色の映える頬はすでに滑らかな柔らかさを取り戻していた。


 確認を終えた手が離れて、せつなはほっとしながら名残惜しむ。


「ニ、ニフルヘイム卿、怒らないで。セツナはボクを助けようとしてくれたんだ」


「承知しております殿下」


 そこで一度口を止め、ヴィルヘルムはせつなの隣にいる王子——ローニを見つめる。ローニが怯えたようにせつなの後ろに隠れるとヴィルヘルムはせつなの帯に引っ掛かっていた羽根を取り、目を細める。


「陛下も昔、よくあの鳥に蹴られていました。慣例のようなものだと聞いています。殿下にもこの娘にも非はないのですから、咎めるつもりはございません」


 しかし呆れてはいるのだろうな。土が捲れた庭園を見て、せつなも少しやりすぎたと思っている。


 ローニは表情を緩めてせつなに笑いかけた。


「あのニワトリ、一体なんだったの?」とせつなはヴィルヘルムに問いかける。


「あれはヴィンガルという、昔からこの城の庭に住んでる雄鶏だ」


「ただの雄鶏じゃないよね」


 見た目も規格外だが、せつなの氷結に耐え、とてもただの鳥とは思えない足捌き、気迫。ヴィルヘルムが逃がせと言うので氷漬けにせず解放したが、あれは野放しにしていていいモノではないような気がする。


「詳しいことは知らない。ソルダグ王家はあれを排する気がない。だからお前も放っておけ」


「うん……」


 まあ、望んで関わりたいものでもないし。


 うんざり顔で頷く。調子に乗って力を使ってしまったが、ここでは環境のせいで回復が遅く、疲労が残っていた。


「今日は城下に行く予定だったが、やめておくか」


「やめない! 行く!」


 ほんのり感じる優しさは嬉しいけれど、せっかくのヴィルヘルムとのお出かけを潰してたまるかと噛みつく。




 街に降りたせつなたちが真っ先に向かったのは、露店が集まる広場。食物を扱う屋台から、王都に店舗を持たない旅商人が置物などを広げていたり。さまざまな物が安価で売っている庶民向けの市場にヴィルヘルムが連れてきた理由は、ここなら食べ物がすぐに出てくるからだろう。馬車の中で鳴ったせつなの腹の声は、聞き逃しようがなかったのだ。


 パンに焼き魚を挟んだ食べ応えのあるサンドイッチのような物。新鮮な果物に舌鼓を打つ。


 全てヴィルヘルムの支払いで、せつなと共にご馳走になっていたシーラは始終恐縮していた。


 最近の人気商品だというマドレーヌに似た焼き菓子の屋台を眺めていただけで買ってくれるものだから、せつなは甘さでどろどろになりそうだ。


 何気なく隣を見て、シーラがその菓子を包んでしまおうとしているの気づく。


「食べないの?」


「はい。彼にも食べてもらおうと思って」


 自分だけが恩恵にあずかるのは悪いと、馬車で待つ従者のために包んでいたらしい。


 しかしヴィルヘルムが「いいから食べておけ」と言う。


「あいつにはこっちの方がいいだろう」


 いつの間にか旅商人の屋台で酒を購入していた。


 さすが、と感心しているせつなの隣に、小さな口で少しずつ菓子を齧る少年がいる。せつなはヴィルヘルムの服の裾を引き、寄せられた耳元に鼓動を早めながら囁く。


「ねえ、この子連れて来てよかったの?」


「陛下が許可してしまったからな」


 街に出かけると聞いてローニが何か言いたげにしていたので、せつなはつい「一緒に行く?」と聞いてしまったのだ。彼はおずおずと控えめに頷いたけれど、さすがに王子を勝手に連れ出すわけにはいかない。だから保護者に聞いてみれば、アルフィは喜んで息子の外出許可を出した。ローニが自分から出かけたがったの初めてだと嬉しそうにしていた。


 帽子とラフな服装、変装としては物足りない格好をした王子。金髪と青い目はこの地では尊い組み合わせとされているが、珍しいわけではない。ただその純度と輝きが格段に違うので、間近で覗き込まれさえしなければ大丈夫。


 同じように髪と瞳の色合わせ確認されたらまずいヴィルヘルムは、帽子と地味な格好はしているものの気品までは隠しきれず、むしろそれを利用して堂々と「貴族のお坊ちゃん」風に装っていた。街を出歩く貴族の子どもは少なく、この方が目立たないのだという。王の幼馴染であるヴィルヘルムは、こういうことに手慣れていた。


 一方で王子は人混みに戸惑い、せつなが離れると慌てて被衣の裾を掴む。


「随分と懐かれたな」


「うん」


 まるで弟でもできたようで、悪くはない。


「父の方は近寄るのも嫌がっていたのに、息子は平気なのか」


「だってあの子は普通だもの。あの男の方が異常なんだと思う」


「……城では発言に気をつけろ」


 もちろんだ、とせつなは頷く。相手の身分を考えれば自分の態度が思わしくないことはわかっているのだ。


 市場を通り抜け、端の方にあった旅商人の露店の前を通りかかったとき、せつなを呼び止める声があった。


「そこの珍しいお召し物のお嬢さん!」


「私?」


 市場には各地方のあらゆる身なりをした人が多いのでてっきり埋もれている思っていたが、どうやら旅人から見ても振袖は目を引くらしい。被衣で覆われているというのに商人だけあって目敏い。


 店主は引き止めるのに成功した客を手招きする。


「お嬢さん、ひょっとして『ユータンヘイム』かい?」

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