ひだまりの都(5)
雲一つなく、くまなく日差しを行き渡らせる青い空。風に揺れる花々は正気に満ち、蝶は舞い、鳥はさえずる。なんと賑やかな庭園だろう。まだ数日しか経っていないというのに樹氷の庭が懐かしい。少し日差しがきついことを置けば、散歩に最適だ。
ここにヴィルヘルムがいればもっといいのに。
昨夜は酒の席が大層盛り上がったらしく、王がとっておきの秘蔵酒まで持ち出した結果、二人は二日酔いで撃沈。朝食にも間に合わないという有様。
まったく、仲の良いことで。
こちらにいる間はヴィルヘルムは執務から解放され、せつなと共に過ごすはずだった。
せつなの周りに冷たい風が吹き、後ろに控えていた侍女は気落ちしているのを察して、
「雪乙女様。あとで旦那様が街に連れて行ってくれるそうです」
「ほんとに?」
膨れっ面をやめて振り向いた少女に、侍女は力強く頷く。
「はい! 旦那様は常に雪乙女様のことを気にかけていらっしゃいます。なので寂しく思う必要はありませんよ」
せつなの顔がぽっと赤くなる。この侍女にも己の気持ちが知られているのだ。
「うぅ……」
被衣を被り直して顔を隠す。
白く、背を丸める姿はとても愛らしく、侍女は微笑ましそうにしていた。
彼女を見て、せつなは恥ずかしいといえばもう一つあったことを思い出す。
「ところでシーラ。その雪乙女って呼ぶのやめてくれない? 名前でいいよ」
「え、いえ、そんな恐れ多い」
狼狽えるシーラをじっと見つめる。
「で、ではお嬢様と」
「……うん、それでいいよ」
二つ名の呼称でさえなければ。名前呼びを強要したいわけでもない。歳の近い彼女に敬語を使われるのもむず痒いが、使用人であることは気遣うべきだろう。
もう少し庭園を散策してからヴィルヘルムのもとへ向かおうと決め、シーラと一緒に花の中の道を歩く。
タンポポに似た花からまったく見たことがないような大振りなもの。本当に多種多様に咲いている。
「これなんて名前か知ってる?」
項垂れる茎からぶら下がった瓢箪のような形のものをつつくと、中から蜂が飛び出してきた。どうやらこれも花らしい。
「いえ、わかりません。すみません、植物のことはあまり知らなくて。ニフルヘイムじゃ見ないものばかりですし」
「あそこは年中雪ばかりっていうしね」
「そうですね。植物は領境の方が色々あって……あ、でもヘルの近くでも見られる花もあるみたいですよ」
「へぇ」
——ぅぁああああああ!!
「なにごと?」
穏やかな空気を切り裂く叫び。
シーラを置いて駆け出し、聞こえてくる嗚咽を辿って視線を巡らせる。
いた!
巨木の天辺に近い場所、太い枝の上で幹にしがみついている子ども。今のせつなより小さな子どもが大きな瞳を濡らして「とうさまぁ」と助けを呼んでいる。
なぜあんな所にいるのか、考えるのはあとにしてせつなは跳躍して枝を伝ってあっという間に子どものもとまで駆け登った。
「大丈夫?」
「だ、だれ?」
子どもは青い瞳を瞬かせ、枝の上にも関わらず支えもなく真っ直ぐと立っている少女を呆然と見上げた。
「ん?」
瞳の色と金髪を見て、せつなはひっかりを覚える。
子どもの側に卵の入った鳥の巣を見つけた。親鳥が来る前に降りなければ、と子どもを抱える。
すると子どもは目を見開いて固まった。ちょうどいい、暴れたりしたら落としかねない。
「よっと」
「ひぅっ!?」
なんの躊躇もなく飛び降りて、子どもの顔が真っ白に。
とんと着地して、足を痛めた様子もなく平然としているせつなが体を離すと、子どもは腰が抜けて座り込んでしまった。
「うっ、うぅ……」
ぼろぼろと泣き出す姿に、さすがに気配りが足りなかったと反省する。
「お嬢、様ぁ!」
息を切らしてようやく追い着いたシーラは、せつなの正面にいる人物を目にするなり飛び上がった。
「王子殿下!?」
やっぱり。
黄金の髪に青空のような瞳。それは聞いていたソルダグ王家の特徴に当て嵌まる。
しかし、とせつなは唸る。
アルフィは髪の色の判別すら難しいほど、せつなの目には捉えづらかったというのに、この少年はまったく眩しくないのだ。恐ろしいほどの威圧もなく、触ることもできる。普通なのだ。
シーラが現れてから、懸命に涙を止めようと目元を擦る少年の前にせつなはしゃがむ。
「殿下はなぜ木登りを?」
「……木の下にたまごが落ちてて」
ああ、それを巣に戻そうとしたのね。
「ひろったら、後ろから掴まれて、上に運ばれたんだ……」
「んー?」
予想とは違う言葉に困惑していると、
——クォオオオオオケェエエエエエ!!
「うるさっ!?」
けたたましい鳴き声に顔を顰め耳を塞ぐ。せつなが上を見ると、それは木の頂点で翼を広げ、豊かな尾を揺らし、頭には赤い冠。自分が一番偉いのだというような堂々っぷりでせつなたちを見下ろして、否、見下して嘴を開く。
——クォオオオオオケェエエエエエ!
「なんでニワトリが木の上に」
そこまで高く飛べる鳥だったろうかと素朴な疑問を抱き、大型犬ほどの大きさのニワトリを普通に考える間違いに気づく。
王子に狙いを定めたニワトリは木の上から飛び降り、王子との間に立ち塞がったせつなに鋭く光る爪を向ける。
凍つく呼吸をしたせつなと、烈風を纏うニワトリが今まさにぶつかる瞬間を前に、侍女と王子は息を呑む。
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